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老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

聖人に夢なく凡人に夢は多すぎる

2016-12-01 12:32:23 | 俳句
   

山頭火の日記から。
執着のないところには夢はない、夢は執着の同意語の一つだ。
私はよく悪夢におそわれる、そして自分で自分の憎愛の念のはげしいのにおどろく。

昭和7年4月10日の日記。
唐津から伊万里へ八里を歩いてくる。
途上空き家、貸家、売り家がよく目につく、不景気は深刻である。

我が団地は空き家、売り家が目立つ。過疎化に駆け足で進んでいる。
世の中、将来がよめず混沌としている。
イギリスのユーロ圏からの離脱。
アメリカはトランプ大統領。
日本では憲法改正 云々。ラジオを聞いていると、日銀の金利0政策の失敗を声高に云っているし。
いつの時代も庶民には問題をいっぱい抱えている。

     ☆    朝まゐりはわたし一人の銀杏ちりしく   山頭火

     ☆    ほんに小春のあたたかいてふてふ


今朝は蒲団のから起きあがれなかった。
横になっていけも眩暈がする。
ベットに座れない。立てない。
夫は散歩でいない。

毎日、毎日 身体の不安を口にするのもはばかる。
云えばきりがない。

私の夢は多くない。
人並みの健康だけで良い。
毎日、ブログを書いて、主宰の選に入る句を一句でも作れれば良い。

     💐    村時雨昼の篝火はぜにけり





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