☆杉襖倒れんばかり霧迅し 加藤風信子
崇徳上皇の御陵はさみしい。
御陵の中でも特別に寂しいく哀れな感がする。
鉄の門扉の向う4~5メートル先に、崇徳天皇白峰陵と書いた碑が建っている。
鳥居の前には大い杉があり、花がお供えこそしてあるが、天皇さまの御陵としては、空疎である。
向かって左側にある杉の木を倒した後を美しく掃いてある。それが救いかなと感じた。
燈籠が二基、石の鳥居の横にある。
崇徳上皇は保元の乱(1156)に敗れ讃岐に配流された。
坂出市林田の雲居御所で三年間過ごされた後、国府の近くの鼓岡にある 木の丸御殿に移られた。
御殿では、お経を唱えたり、写経をして毎日を過ごされた。
「 浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音ぞみのなく 」
この和歌を添え三年間をかけて写した多数のお経を、京都に送った。
しかし亰都の朝廷はこれを受け取らず、崇徳上皇の元に送り返した。
保元三年(1164)に鼓岡の木の丸御殿で失意を抱きながらお亡くなりになる。
「 ここもまた あらぬ雲居となりにけり 空行く月の影にまかせて 」
☆ 著莪の花帝の怨霊斑となりて 山口誓子
☆ 御ンうらみ月も曇るとおぼえたり 伊藤柏翠
白峰寺から北へ御陵への道を辿ると著莪の花が沢山ある。
日本の三代怨霊の説とか妖怪伝説、又は祟り が崇徳上皇にはついてまわる。
誓子の句も、この怨霊伝説にのっとった句である。
柏翠の句も上皇の身を想うとこの寂しい地で感じたことを詠んだのであろう。
☆ 紅葉山めぐりて目鼻冷えにけり 新田祐久
讃岐の特に白峰の辺りは上皇のゆかりの地が沢山ある。
御陵への道をたどりながら、なんと寂しい場所か、都の宮廷で過ごされた上皇にとっては耐え難い場所であったと思う。
冬の山中には小鳥の声さえまばらである。
白峰寺へ参拝をした時は必ずこの御陵へも訪れるがいつ来ても誰にも逢わない。彩りとして冬の紅葉が少しだけ御陵を染めているのみ。
少しだけ今上天皇さまや皇太子に思いをめぐらせた。
国民の間には様々な意見がある。敢えて触れない。
🍃 雲居御所虎落笛聞こゆばかりなり
🍃 西行像埋めて冬の紅葉かな
🍃 櫨紅葉みささぎ径の深き谿
🍃 かくありぬ上皇忍ぶ冬青空
🍃 渓音や落葉踏みゆく雲居御所
🍃 冬遍路白峰へつづく岨の路
白峰御陵はさみしい御陵。
寂しさと淋しさが付きすぎぬように詠むのが難しい。
どうしても、崇徳上皇の生い立ち、雲居御所での日々を想像している句に歳時記の例句も、もれない。著名俳人さえも独立した句をなし得ていない。