老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

空っぽの頭 どうにかならぬか

2016-12-14 23:42:47 | 俳句
    

門入ダムの東側の湖畔にある石のモニュメント。
庵治石だと思う?
いかんせん、鑑賞眼が無い。曲線と直線の組み合わさった造形としか解らない。
大きな立派なモニュメントだ。
香川県は庵治石の産地。 イサム・ノグチ氏のアトリエの跡と作品、 流政之氏のアトリエと作品の数々。
新しくできた庵治の小高い丘の現代作家の石の彫刻。
芸術の興味のある人にとっては、香川県はいたる所に展示されている彫刻を訪ね歩いても何日もかかるほど、楽しいに違いない。

ダム湖に架る橋の上から下を見ると、この階段がある。
ダム管理に必要な建物に降りて行く階段だ。
幾何学模様に見えてシャターを押した。
昨今、廃虚ツアーが流行をしているようだけれど、探せばいくらでも現代のア-トとおぼしき何かがあるのに。
廃虚もいいけれど、現在を生きて息をしている物もいいよ。


    

階段を降りきると箱庭のような公園がある。
勿論、関係者以外はこの階段を利用することはできない。

      

いつ来ても、散歩をしている数人にしか出合わない。
こんなに秋は紅葉、春になれば、そうもう少しで椿のが咲く素晴らしい場所を知ってか知らずか、閑散としているのが残念だと思える。
少し上流といっても1キロくらいの場所にはキャンプの出来る設備がある。
そこには日曜日ともなれば親子連や職場の仲間であろうかバーベーキューをしている。

       

少し考えることがあって句づくりにならない。
ボーとしている。
猫は一日中寝てばかり。淋しい飼い主を慰めてくれよ~。
俳句、手芸、病院通い。
何か、世間から取り残されている。
広い世界と、コンタクトをとって何かをやらなくては、齢ばかりくっていきそう。
ブログを書いて自己満足をしていては世間が狭くなるばかり。

     🍒    冬木の芽明日のことは明日にせん

     🍒    行乞記など読み返す雪時雨

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槙の実

2016-12-14 00:07:34 | 俳句
    ☆   よろこべばしきりに落つる木の実かな    富安風生

     

神社の境内を歩いていると、じゃりじゃりと小さな音がして、足の裏に何かを踏んでいる感じがする。
槙の実だ。
子供の頃、近くの古刹で遊んだ。
男の子が塀の屋根に登って、槙の大きな木に生っていた槙の実を採っていた。
あの槙の実が地面に落ちていたのに気が付かず靴で踏んでいたのだ。
地面に落ちて、何日もたっている。干からびている。人にも踏まれている。
中には青いエメラルド色をした艶々としたのもある。
が、子供の頃を思いだすには充分だ。
子供の頃は学校が終わって遊ぶ近所の仲間は女の子より男の子の方が多かった。
ター坊、かっちゃん、ケンちゃん、タアちゃん、セイちゃん。
昔、採った槙の実はもっと、黒ずんだ紫色をしていた記憶だけれど。
口にほうりこんだ気もするが、味の記憶は残っていない。
竹馬の友は今どこでどうしているのか?
女の遊び仲間は、年齢に関係なく二、三年に一度集まって、旧交を温めている。
学校の同期会よりずっと密度が濃く、次はいつ逢えるか楽しみだ。

      

この槙の木では、登ることは出来ない。
古刹の塀の傍にあったので、男の子達も採ることができたのだ。
槙籬があって一度、実を二~三粒採ったことがある。
俳句をやっていなかった五、六年前になるだろうか。
俳句はずいぶん情緒的になる。
その時は (あれ、槙の実だ)とくらいにしか思わなかった。
>風声さんの句はいいな。満身で喜びを表現している。

     💐    木の実降るよたれそつねぞ幼友

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