私は以前、認知症の「ジジイ」に
信号待ちで止まっているところに、後ろから、ブレーキーとアクセルを間違えて踏んで衝突をされたことがある。
救急車で病院に運ばれた。
外傷は無かったけれど、筋肉が伸びた?筋がちがった。。。
二週間は家で身動きができなかった。
自動車は勿論 壊れた。
たまたま我が家の車は「ホルクスワーゲンで鉄の重い車体」だった。
相手は、ろくろく歩けないのに、「トヨタの立派な8人乗りのワゴン車」だった。
5~6メートル前ではなく、対向車線に横っとびをしていた。
大型の対向車が、来ていたら(信号待ちだからそれは無いか)
もし、私が乗っていた車が「軽自動車」だとするといきなりスピイード発進した大型車にぶつけられたら、筋肉が伸びた、筋がちがったでは済まされなかったと思っている。車はさてどんな形状に、、、?
医師ともそんな会話をした。
不幸中の幸いだったと。
今日の新聞記事。
車椅子の夫婦がエスカレーターから落ちて、後ろのご婦人に当たって ご婦人はお気の毒にお亡くなりになった。
この量販店は、いつも私も利用をしている。
事故の現場となった、エスカレーターのある場所は、その日も私は利用をした。
二時間前にそんな事故があったとは、露にも知らなかった。
どうして、あの場所で 事故が起こったか。
「不思議」でならない。
「エスカレーター乗り場」と「エレベーター」は2メートルしか離れていない。
どうして、車椅子を使う人、ほんの数歩でエレバーターに乗れるのに、エレベーターの利用をしなかったのか?
***** としか云いようが無い。
被害者に成り代わって云っているのだ。
痛い目にあったうえ、あっちの世界へ行ってしまわれた。
一日前には、夢にも思っていなかったであろう。
車椅子の人、今は後悔をしているであろう。
しかし、被害者の立場になってみたら、後悔ではすまされない。
あの、現場。
エレベーターまで50メートル、100メートル、遠回りになるかって?
エレベーターが見つからなかった、、、、!
それはあの場所では言い訳にはならない。
たとへ近くに無くても自分が事故にあっては困るであろう。遠回りをすればいいのだ。
自分にとっても安全ではないか。
この建物では、他に何箇所もエレベーターはある。
今回は、僅か2メートルしか離れていないところにエレベーターはあるのだ。
被害者の立場になっての発言である。
この方の無念さを考えると書かないではいられなかった。
そう、世の中のチャイドルカーを押しているママたち、気をつけましょう。
被害者になってみなければ、この事故も、単なる事故としか思えないであろう。
月日がたてば忘れることがある。
しかし、痛みをともない命に関係するような理不尽な**の無知が相手の事故だと思いだすと、今でも腹が立つ。
避ければ、避けれる事故なのだ。だから怒りをあらわにするのである。
他人のことであるけれど。
認知症の人は車を運転するべきではない。家族もそれを許してはいけない。
車椅子に乗る、身体の不自由な人でも、この件の事故はエレベーターを利用したらよかったのだ。
数歩しか離れていないエレベーターを。
信号待ちで止まっているところに、後ろから、ブレーキーとアクセルを間違えて踏んで衝突をされたことがある。
救急車で病院に運ばれた。
外傷は無かったけれど、筋肉が伸びた?筋がちがった。。。
二週間は家で身動きができなかった。
自動車は勿論 壊れた。
たまたま我が家の車は「ホルクスワーゲンで鉄の重い車体」だった。
相手は、ろくろく歩けないのに、「トヨタの立派な8人乗りのワゴン車」だった。
5~6メートル前ではなく、対向車線に横っとびをしていた。
大型の対向車が、来ていたら(信号待ちだからそれは無いか)
もし、私が乗っていた車が「軽自動車」だとするといきなりスピイード発進した大型車にぶつけられたら、筋肉が伸びた、筋がちがったでは済まされなかったと思っている。車はさてどんな形状に、、、?
医師ともそんな会話をした。
不幸中の幸いだったと。
今日の新聞記事。
車椅子の夫婦がエスカレーターから落ちて、後ろのご婦人に当たって ご婦人はお気の毒にお亡くなりになった。
この量販店は、いつも私も利用をしている。
事故の現場となった、エスカレーターのある場所は、その日も私は利用をした。
二時間前にそんな事故があったとは、露にも知らなかった。
どうして、あの場所で 事故が起こったか。
「不思議」でならない。
「エスカレーター乗り場」と「エレベーター」は2メートルしか離れていない。
どうして、車椅子を使う人、ほんの数歩でエレバーターに乗れるのに、エレベーターの利用をしなかったのか?
***** としか云いようが無い。
被害者に成り代わって云っているのだ。
痛い目にあったうえ、あっちの世界へ行ってしまわれた。
一日前には、夢にも思っていなかったであろう。
車椅子の人、今は後悔をしているであろう。
しかし、被害者の立場になってみたら、後悔ではすまされない。
あの、現場。
エレベーターまで50メートル、100メートル、遠回りになるかって?
エレベーターが見つからなかった、、、、!
それはあの場所では言い訳にはならない。
たとへ近くに無くても自分が事故にあっては困るであろう。遠回りをすればいいのだ。
自分にとっても安全ではないか。
この建物では、他に何箇所もエレベーターはある。
今回は、僅か2メートルしか離れていないところにエレベーターはあるのだ。
被害者の立場になっての発言である。
この方の無念さを考えると書かないではいられなかった。
そう、世の中のチャイドルカーを押しているママたち、気をつけましょう。
被害者になってみなければ、この事故も、単なる事故としか思えないであろう。
月日がたてば忘れることがある。
しかし、痛みをともない命に関係するような理不尽な**の無知が相手の事故だと思いだすと、今でも腹が立つ。
避ければ、避けれる事故なのだ。だから怒りをあらわにするのである。
他人のことであるけれど。
認知症の人は車を運転するべきではない。家族もそれを許してはいけない。
車椅子に乗る、身体の不自由な人でも、この件の事故はエレベーターを利用したらよかったのだ。
数歩しか離れていないエレベーターを。