( テレビを観ている間、私の膝から降りない。)
朝からテレビを観た。
ちょっとのつもりが、面白くて最後まで観てしまった。
朝のノルマも果たさずに、、、困った人だ。
「同窓会は、つかの間の一瞬が楽しい」そんなひと時だというセリフにいたく同感をした。
私は同窓会は嫌いである。
学生時代の劣等感が今も尾をひいていて、同窓会に出席をしても、心から楽しむことができない。
コンプレクッスというやっかいなものが巣くっている。
社会でそうそうたる地位について活躍をしている友人達を見ると、自分の社会での立位置を思ってしまう。
つまらない見栄だと重々承知はしているつもりだけれど、寂寥感がひしひしと。
女性は、自分に輝くものが無いと、主人の自慢、子供の自慢に終始をする。
たかが、お里は知れているのに、相槌を打つのもおっくうになってしまう。
私は友人の幸せを一緒になって喜んであげる寛容の精神に欠けていると気が付くのである。全く、心の狭い自分が嫌になるのである。
( 姫、目がおかしいのか?目ヤニが出るので、毎日目薬は指してやっているのに。写真で見ると、目の色が違う。)
最近は通知が来ても、欠席の返事を出してばかりいると、お知らせも来なくなった。
自分で欠席の通知を出すのは何でもないのに、お知らせのハガキが来なければそれはそれで寂しい。要するに天邪鬼なのである。
今日のテレビの同窓会の出席者は五人。
夫の同窓会もみていると、学級全員よりか、親しかった竹馬の友に近いメンバーの集まりを同窓会と称して集まっている。それとよく似ている。
最近も私に、東京に住んでいる友人から、「貴方が出席するなら私も出席するけれどどうなの?」の電話があった。親しい友の顔を一度見たい、逢っておきたいと、、「ブログを書いているから、近況はそれで想像をして」と答えた。
淋しいものだ、私の生活。
ねえ、姫! 私の膝が一番いいかい。重たいよ。
しかし、今度同窓会の通知があれば出席してみようかね~。脚が痛いのも忘れて、心臓のこともおくびに出さず、イヤリングつけて耳は良く聞こえる風を装ってさ~。
何だか楽しくなった。
つかの間、何もかも忘れて、楽しむのも悪くないのかもね?
しり取り俳句から
🍒 琉璃色のままごと遊びの龍の玉.
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🍒 見にゆかん屋島の裏の櫨紅葉.
🍒 キオスクで買ふ朝刊や息白し
🍒 どなたかも知らぬ胸像冬の雨