老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

    どくれる、、、、、

2019-04-15 09:26:54 | 俳句

   

 

「普通、選挙が終わるとノーサイド。、、、、」    当選をした県知事。

「国会議員が与党である自民党、公明党にけんかを売る。@@@@@@」
 

> この批判は、自民党の決定に背いて自分の推す候補を出馬させた国会議員に対するもの。

> すると衆議院議員である国会議員は、自身のFacebookでこう反論した。

「ギリ勝てた知事が反省なく ドクれる のって全国初」

「意見を言うことがケンカを売ることになるらしい。自民党本部を県政と一緒にしないで欲しい」

 

この記事をパソコンで読みながら思わず笑ちゃった。

懐かしい 放言 (方言) が飛び出していた。

「ドクレル」   解るかな~?

 

>  「そんなに ドクレン と機嫌を直して、、、」

>  「いつまで ドクレ てるの。さあさー、お菓子を食べて忘れてしまいなさい」

>  「男の子がいつまでも、めそめそ ドクレル(ふてくされる)もんじゃないよ」

こんな風に使った言葉と記憶にある。 方言だと理解をしている。

イケメンの衆議院議員が 地方の県知事選挙の結果で 物議をかもした果ての結果の最後の言葉が、相手の勝った知事に言った言葉。

イケメン議員が表だって選挙選に臨み、自分の応援をした候補者は負けてしまったと。

 

それはどうでもよい。

「ドクレル」、、、この言葉、今でも通じているんだ。使われているんだ。、、と育った田舎の街を想い出して、心の底から笑った。懐かしい言葉に感涙?しそうになった。

 

パソコンで調べると、生きている。四国地方のある都市、ある都市で。さて全国的にはいかがなものか?

 

ああ、一種の愉快だった、昨日の記事。

 

 

 

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         ミミちゃん

2019-04-13 18:22:07 | 俳句

     

 

このミミちゃんの悲しそうな顔。途方にくれたような顔をしている。

私は知らない人なのだ。その人が餌を食べている私をみて「ミミ」「ミミちゃん」って呼ぶ。 怖い!この人誰でしょう。

 

         

 

誰?美味しいく餌を食べているのに、、、、

 

いつの間にか姿を消した。一定の餌を食べると、夫に甘える時間。いつもだと夫の足元に来て、すりよりながら足の周りをまわる。多分デッキの床下に隠れたのだろう。

座って庭を見ていると、顔を撫でさせ頭を、ひっつけしばらくはスキンシップをするらしい。

 

夫が帰るのを待って、「今日のミミちゃんどうだった?」と一番に聞く。状況を説明してもらいミミに心を馳せているのも知らないで。

ミミは私を恐い人間の一人に思っている。

 

   

 

北側にある玄関の庭には日影に咲く花が咲いていて華やかな様子。

夫が毎日、庭の手入れを少しづつやっている。

使わぬ鉢をマンションへ運んだり、彼にはミミちゃんの世話の他に色々忙しいみたいだ。 

 

            犬連れて花見淋しい家族をり

 

犬や猫に愛情を移すのは、楽しい?犬や猫が可愛いかもしれないけれど、本当は満たされないものを犬や猫に求めている淋しい人(そう 我が夫婦)なのだ。

 

 

 

 

 

      

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   池に鯉が戻ってきた

2019-04-12 23:02:04 | 俳句

   

 

栗林公園の池に鯉が。

しばらくは淋しい池であった。 ウイルス性の病気に罹り死んだ鯉がいて、元気な鯉も一匹も残さず池から鯉の姿は消えていた。

昨日は久しぶりに鯉が泳いでいた。 それも元気に。 真っ直ぐに何を目指しているのか、本当に元気に水脈を残して泳ぐ鯉も何匹か。その色がどれも金色だったのが、種類のせいか?

以前の鯉は、観光客に餌をふんだんに与えられて肥満の鯉や年を重ねた鯉がいて動きが緩慢だった。

     

     

 

会社や団体や市民からの寄付で買ったのであろう元気な鯉が泳いでいるのを見て、鯉が好き、恋をしている?なぞと考えたことはなかったけれど、さすがに沢山の鯉が泳いでいつのを見て、嬉しくなった。

松に朱の橋、太鼓橋、、と美しい景色の池ではあったが何か物足りなさを感じていた。

鯉がいなかった。地味な池の景であった。

 

放たれた鯉は錦鯉が多いようだ。おおきな真鯉はお父さん、、と唄われている黒い鯉や単に赤い鯉がいないようであった。。

 

外国の観光客が多い。初めての公園でこの鯉が泳いでいる華やかな池を見てもらって良かった、印象に残ればいいいのにと心から思った。

 

          余花の佐久草笛の佐久鯉の佐久     西本一都

                好きな俳人。

 

          俎の鯉の目玉に秋高し     飴山實

                吾が師のその師。

 

          きのふよりけふの落花に鯉はねる     野澤節子

                彼女も健康体ではなかった。すきな女流俳人。

 

 

          緑さす池を狭しと錦鯉

 

 

      

 

公園には、まだ標準木の桜が咲いていた。 その桜から離れた場所に「花かいどう」の派手な花が、盛りと咲いているのを見つけた。 懐かしかった。実家の風呂場に近い庭に咲いていた。大きくはならない(見上げるように)。

子供の頃の田舎の実家の風呂は五右衛門風呂。湯がぬるくなると母が薪を足して焚いてくれた。「よーくぬくもんなよ」、、、、、母を想い出した。

 

           春の星風呂焚く母の背な丸き

              こんな句は、ただ事俳句だろうな~。

 

 

 

       

 

 

 

           

 

 

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      屋島の桜   (その 六)

2019-04-11 10:37:18 | 俳句

自分の好みの一本の桜を探して、歩いた。散歩をした。 屋島中を隈なくとは言えないけれど、莟みから散りぎわの桜まで、大きな梢のピンク色を見付けると近くまで行った。

志度には、名もない家の裏庭に高速道路が走り、かろうじて道路工事でも残された老木の桜が一番好きだった。

近いこともあって良く見に行った。 そんな桜を屋島でもと探したこのシーズン。

 

     

 

屋島の遍路道からほど遠くない家の桜。 遍路道を曲がり屋敷街を歩いていて道路の眼下に咲いているのを見つけた。

近くのお寺の住職さんの家らしい?

このような家があるのも知らなかった。眼下に咲いている桜に気づかかければ、よそ様の家に興味を示すこともなかった。

籬があり、そこから石段を降りると、その家の玄関に通じるみたいだ。広い庭が長い籬がくれに見えた。籬が途切れた場所が駐車場になっていて、そこからはその家の全貌が。そこからこの写真を撮らせてもらった。 ブログ の種に、、、。

まあ、ここの桜が屋島で今年見つけたのでは一番のお気にいりに属するか?

石垣を積んで形成をされた新興の住宅と反対に、道路から下がって隠れ家のようにあるお宅の桜であった。

 

      

 

屋島をドライブコースに沿って巡ると、昔の古戦場跡に造設をされたその名も xxx壇ノ浦と云う大きな団地がある。

かなり大きな団地だ。海を埋め立てた広い団地に沿って400メートル程の桜並木がある。まだ若木だけれど、屋島では一番長い桜並木だ。

 

昨日は病院の診察が終わって、迎えに来てくれた連れ合いに頼んで、ここを走ってもらった。

 

今日も又、午后には違う病院へ。そこに隣接する栗林公園の散っているであろう桜を見て今年の桜見物も終わり?となるか?

 

           七曜や寝ても覚めても花の夢

 

 

 

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屋島の桜   (その 五)

2019-04-09 17:11:20 | 俳句

   

 

 

今日も又また病院。連日の病院通いだ。

帰りに病院近くの高松東部下水処理場へ花を見に。

知っている人は知っている。しかし知らぬ人の方が多いのではないかと思うこの場所。

高松から屋島へのバイパスを左に曲がる。海に面した広い土地が、下水処理場になっている。

道路を曲がるや200メートルくらい、桜並木になっている。

 

   

大きな建物の屋上はテニスコートが何面もある。

そこを通り過ぎると広い公園になっている。

小高い丘には桜が満開。ロータリーになっていて丘の下を一周すれことができる。

 

今日は、近く?の老人ホームの方々がお花見に来ていた。 車椅子の人も何人かいた。

 

         

 

ブロ友のHiroさんの今日の記事にこんな句が。

 

          花の下思い出加ふ車椅子    Hiro

 

同じような景を見てこのような句を見事に詠んでいる。

私は老人達のホームの職員に付き添われた花見をしている姿を見、いつかこのような景の中に身を投じている自分を想像してしまった。

 

     

 

花の根方から、蘖ならぬ若い枝が出て来て花を咲かせているのを見て世代交代からぬこの桜、命を繋いでいると嬉しさと淋しさを感じた。

 

          面構へ平家の残党通し鴨

屋島西町と、この下水処理場の間を流れている川に水鳥達がいる。

 

           引き汐に乗り花筏海へ海と

 

            

 

久しぶり、十数年ぶりの海に沿った散歩径。有料の老人ホームが達並んでいた。

 

             春の風切株に二人肩ならべ

         

 

    

 

   

 

   

      

 

 

    

コメント (2)
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