Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

出発~パノラマカーの視点より

2008-12-01 23:36:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!
2008=平成20年も、遂に最終月を迎えました。思えば激動の1年ではなかったかと思います。詳しくは追って触れて参りたく思います。

まずは拙趣味の鉄道交通の分野の話にて恐縮なのですが、昨日付で遂に、新幹線の先駆者0系車両が44年間に亘った現役の座を退きました。
人類の交通史上に確実にその名を残すと言われる世界の名車であり、その最期は我国の多くの愛好者達はもとより、欧米など諸外国の方々よりも見送りを受けていた様ですね。
まずは心より「お疲れ様。有難う」の一言を申したく思います。そして・・・

その言葉をかけなければならないもう一つの名物車が当地にあります。
そう、名古屋鉄道パノラマカーであります。先日申した通り、遂に今月下旬での現役引退が決定致しました。
今月の拙日記は、独創にして大いなる人気を博したパノラマカーの前方より飛び込む展望風景を借景に、時には名脇役たる中間車より、色んな事共に関する拙見解を少しでも多く披露できればなどと画策致しております。

今月拙記事の最初は先月下旬、拙小学生時分の思い出もある当地蒲郡市近くの三河湾沿いに参った時の模様より。
11/24の振休月曜、引退の迫ったパノラマカーの特別走行が地元の名古屋鉄道蒲郡線にて執り行われ、多くの愛好者が集結しました。
当日私は不心得にも、自家用車による同列車追跡を図って蒲郡市内に入りました。地元では有名な形原温泉近くの生協の店舗に雑用もあって立ち寄った私は、思わず我が目を疑う光景に遭遇したのでした。

買い物中の顧客各位は、その殆ど全てが70歳以上と思われる高齢の方々ばかり。この手の小売店には必ず見られる若い親子連れの姿が何度確かめても見当たらないのです。
「いつから、こんな街になってしまったのか・・・」時間帯と言う事もあったのでしょうが、それにしても衝撃の風景ではありましたね。
その後も、国道247号を西へ走って撮影地点近くでは車を降りて少し歩いてみたのですが、若者と言えば、煌びやかな社外製アルミ・ホイールに履き替えた大型乗用車に乗って出かける休日らしい若い男女を1組見かけたのみ。愛知県の国道にしては車の往来も多くはなく、沿道には空家も少なくない芳しからぬ光景が否応なく視界に入って参ります。

「あっ!これは・・・」私には記憶がありました。今春、長崎県の有明海沿岸を走っていた、今は亡き島原鉄道口ノ津線にて見かけた光景と余りに酷似していたのです。
程度の差こそあれ、目立つ空家や廃屋、高齢者ばかりになってしまった住民達・・・まさか同じ事が、当地愛知の域内にて起き始めているとは考えたくはありませんが、しかし無関係では済まされない様であるのも事実です。
愛知屈指のマリン・レジャーの拠点であり、又その事を拠り所に発展して参った蒲郡。休日ともなれば、多くの家族連れや若者達で賑わう一方で長崎島原や岐阜養老にて目の当たりにした過疎の足音が、当地にも聞こえて来ているのでは、とふと思ってしまった次第。

少子高齢化とは良く言われる所ですが、ただでさえ管理社会の高度化もあって人々が夢や希望を抱き難くなっている所へ、昨今の金融危機より来る経済悪化が拍車をかけている実態があるのは事実。そうした事を打開する決意と努力が政治や行政に強く求められているはずですが、先日の政権党対第1野党の党首討論の内容よりは、そうした声は聞こえて来ない様な気が致します。パノラマカーの車窓に映し出される風景は、思えば正直なものであります。続く*(日本)*

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さらば!先駆者新幹線0系

2008-12-01 01:07:10 | 日記・エッセイ・コラム

  コナサン、ミンバンワ! 2008=平成20年も最終月が来てしまった。と言う所で、今月も拙ブログを宜しく願います。

度々の報道にてご存じであろう東海道新幹線の初代車両0系が遂に昨11/30(土)付で現役を引退した。大量輸送高速鉄道として世界に名を挙げた初代車両で、活動期間は実に45年近くに及ぶ。この間輝かしい無事故の記録を更新しながら、活躍舞台の東海道・山陽新幹線は元より我国の全新幹線の勢力拡大と、世界の高速鉄道の隆盛に貢献して参ったと申して良いだろう。又、1975=昭和50年春の山陽新幹線の博多延伸に際しては、新幹線初の本格食堂車も登場し、楽しい話題をもたらしてくれてもいる。

その一方で同じ頃、当地名古屋にて生じた騒音公害事件も、決して忘れてはならない出来事だ。0系は確かに走行性の秀逸さは疑いないのだが、空力面ではまだ決して煉られた造作ではなかったと言う事だろう。被害各位の苦しみは想像をこえるものがあったと心得たい。その時の問題提起が後輩車種の開発に生かされ、最新のものでは相当に騒音が抑え込まれている様である。

紆余曲折もあった0系の軌跡。しかし1999=平成11年秋よりは東海道新幹線の区間よりは撤退し、山陽新幹線区間に専念して参った訳だが経年と言う事もあって、遂に昨日限りで現役を退いた次第である。

おまけ画像はこの10月下旬、新大阪駅にての出発待ち風景。昨日は最終日とあって、山陽新幹線の沿線各駅には惜別の愛好者が多く集まった様だが、来月に予定されている惜別運転に際してはとに角安全留意の上、落ちついた送迎がなされる事を祈りたい所。

0系新幹線よ、本当に長らくお疲れ様でした。

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