Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

死刑制度考

2009-02-07 23:23:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

立春を過ぎ、今日の当地愛知は少しだけ春の気配が感じられた様です。
今日々中、名古屋城北の名城公園にて開催中の、梅の催事を少し覗いて参りました。咲き誇る梅・・・は良いんですが、屋内での公開だったのがちと残念な所。まだまだ寒い屋外ではまだ満開とは参らない事情もあるのでしょうが。それでも外の梅も負けじと懸命に花を開かせようとしている姿には、小さな感銘を受けた次第であります。

さて、世の中には不慮の殺人事件にて大切な家族親族を奪われ、花見どころではない悲しみに沈む方々も少なくなく、心よりのお見舞いを申す次第であります。たとえ被害者に若干の落度があっても、人命を奪う罪業には厳罰にて臨むのが祖国日本の大原則=プリンシパルでありましょう。ましてや無辜の方においてをや。一昨夏生じた、当地にての金品目当ての女性会社員拉致惨殺、昨年に入り、東京都内にてのこれも女性会社員惨殺遺棄、それらと同時期に各地にて続発した女子小学生殺人などは、いずれも何の落度もない被害者を手にかけた点で、万死に値する罪業であると強く思います。

刑法には、私の知る限り第9条と第11条に死刑についての規定が述べられています。又、戦後の最高裁判所の判例にても、死刑は日本国憲法の平和精神に抵触するものではないとの判断が示されています。これに基づいて昨年末、死刑囚4名につき、刑の執行がなされています。

最近台頭していると言われる死刑廃止の主張につき、私は拙速な支持は致しかねる立場であります。
死刑廃止の動きが強まったのは1990年代、我国の平成初期に発足したEU=ヨーロッパ連合が、加入国に対し、欧州人権規約第3条により死刑廃止を強く求めたのがきっかけの様です。唯一イスラム圏での加盟が決まったトルコ共和国も、異例の死刑廃止に踏み切った由。又EUは、我国や米合衆国に対し早期の死刑廃止の実施を求める圧力をかけていると言われ、我国内の政界や学界、法曹界にも同調する向きが少なからずあるのはご存じかと思います。が、しかし・・・。

我国は元より、周辺の中華人民共和国や大韓民国、台湾こと中華民国やシンガポール共和国にても死刑制度は存在し、無辜の方の人命を奪った悪質な殺人に対しては命を以て償わせるのは言わば「アジアの大義」ではないかと私は見ています。又、中東のイスラム圏や米合衆国の多くの州でも、死刑制度が厳然と存在します。
欧州、南米やオセアニアを中心に、死刑廃止の踏み切る国が多いのは事実なるも、社会教育が不十分な我国では死刑の抑止効果は不可欠であり、その事を明言された前法務大臣、鳩山邦夫さんのご見解は正論であると信じます。
又、死刑廃止を実施した国にても、戦時下の国家的犯罪に対しては軍事法廷にて例外的な死刑宣告がある様です。有事に備える必要からも、死刑制度の見直しには十分な期間を設け、従来は軽んじられていた被害者や遺族の方々の立場との整合性の上で論じられるべきでしょう。欧州連合の多くの加盟国にて、死刑廃止の一方で安保上の必要からとは言え、これも人権上疑義の余地があるとされる徴兵制の実施が続いているのも、日本人の視点からすれば「二重基準」の印象と不信感を拭えないものがありますね。

その点で、現行の刑事訴訟法に残る公訴時効を、凶悪事件については適用外とするなどの改善、日本弁護士連合会などが検討を始めた、仮釈放を認めない絶対的な終身刑の創設への動きなどは要注目であり、これらの事共を必要な日数をかけて煮詰め、かつ倫理道徳教育の徹底を行って犯罪の温床とも言える状況を打破し得て初めて、将来に向かっての死刑廃止への検討を始めるのが順序と言うものでありましょう。

拙手元に残る、学生時分に使っていた有斐閣刊「法律学小辞典」中には死刑制度存廃の展望につき「死刑廃止国の数も次第に増え、その動きは進化の方向にあるが、それを可能にする社会的基盤が具体的に築かれなければ、死刑廃止を直ちに採り入れ、実現する事は困難であろう」と記されています。この見方は刊行後ほぼ30年を経た今も、立派に通用すると信じます。
現状の我国の死刑廃止勢力の終身刑にすら反対する軽々な言い分は、多分に内政干渉に等しいEU諸国の圧力の受け売りであり、到底承服できるものではありません。*(日本)*
コメント
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