Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅲ

2009-08-13 00:13:50 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!恐れながら、拙方は昨日より盆休み。天気予報によれば、盆休中の当地東海は、ほぼ連日の晴天と猛暑に見舞われそうだが、水分補給などに留意の上、何とか健康留意にて乗り切れれば、などと思っている。夏パテの影響は、今月下旬に出る事が多いからだ。

さて、今月連載の「名鉄パノラマカー回顧」、3回目の今夜よりは、いよいよ同車の全盛期を振り返って参りたいと思う。と申しても、俺は概ね名古屋本線の名古屋~豊橋、又は豊川線諏訪町の間にて乗る事が圧倒的に多かったのだが。

1961=昭和36年初夏にデビューした名鉄パノラマカーは、その後兄弟分7500型や親族のニセ・パノラマカー7700型をも含め、10次を超える増備を重ねて最終車が現れた1975=昭和50年には210車を超える名古屋鉄道の一大勢力へと躍進する。名古屋本線にては、在来のものに加え全車指定席の特急も運行され、現在に続く特別車「ミュー」の原形が出来上がる訳だ。

本線以外の主要な路線、常滑線や犬山線などにもほぼくまなく乗り入れ、短縮された4両編成、所謂P-4でも乗入れが不可能な支線特急には、短編成でも走れる前述の7700型の出番となった訳である。

この様にして名古屋鉄道のほぼ全線を制圧したパノラマカーとその一族、ごく初期には本線の特急にて車内販売が行われていた記憶があり、又先頭席のエリアにては、正月の豊川稲荷や犬山成田山の初詣期間などには、記念の催しなどが行われ、乗客各位を楽しませた様だ。俺は10代前半の頃乗った、豊川稲荷行きの指定席制の初詣列車内にて地元の伝統芸能「三河万歳」の実演に接する機会を得て、今も良い思い出となっている。

ただ、指定席については、一般の旧国鉄やJRで言う自由席との設備格差が少なく、そんな状況下での特別料金徴収を疑問視する声があったのも事実。旧国鉄の急行などでは、指定席車と自由席車が同一でも、問題視する向きは少なかったが、こうした見方も名古屋圏特有のものだろうか。この事で、後年野党県議団が名古屋鉄道に対して改善を求め、やがてこの動きが全国にその存在を知られた、特急用白帯車の出現へと繋がるのである。(以下次号)

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