Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

名鉄パノラマカー回顧Ⅴ

2009-08-19 23:47:52 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!2009=平成21年8月ももう後半、今月の拙ブログにて触れている、今月限りでの勇退が決まった名古屋鉄道の名物車、パノラマカーの記念運行も公式には後2回を残すのみとなった。その内当地名古屋市内まで足を延ばす行路は後僅か1回。今度の日曜が最終便となる予定だ。惜別の人出も多くなりそう。そうは申しても、かくなる上は、例え拙居所の近所だけでも何とか1枚でも多く記録画像を残したい、と思っている所だが。

さて、大阪万博が開かれた1970=昭和45年頃から実子パノラマ・スーパーの出現する昭和の終わり頃までの約20年間が、パノラマカーの全盛期と言う事になるのだろうか。この年になると、まず兄弟分7500型が全て出揃い、後まで増備される本家7000型もモデル末期へと進む。1973=同48年には、パノラマ一族の殿軍とも言える非展望正面の特急車、ニセ・パノラマカー7700型も登場、正面貫通路扉を持つ地味な半流線型ながら、パノラマカー同様の走行性能を有し、足周りは東海道新幹線流の改良型へと進化。これが翌年から翌々年にかけ現れた、パノラマカー最終車へも、そしてその後の各新型車へも継承される事となる。パノラマカーの最終車は1975=昭和50年に落成するが、この12車は全て朝夕ラッシュにも対応した増結用中間車で、乗降扉は片側2ヶ所ながら両開式で、少しでも乗降を容易にする為の配慮が見られた。逆に申せば、一般の列車よりは、片側2ドア車は将来消える事を暗示していたと言う事だ。

1982=昭和57年よりは、競合する旧国鉄東海道線との対抗上と、先日触れた某野党県会議員団の提言をも容れて、白帯を掲げた改良内装を持つ、特急仕様車もデビュー。パノラマカーの歴史は頂点を迎える。1984=同59年には、より高質な居住性とサービスを追求した新特急車「パノラマDX」が出現。当初貸切専用として活動した。この車両は名義上パノラマカーよりの改造とされ、これの部品供給の為、この年初めてパノラマカー中間車の一部に廃車を見る。実質的には引退ではなく発展的解消であったのだが。このパノラマDXの意匠が後年登場のパノラマカーの実子と言われる「パノラマ・スーパー」へと繋がるのだが、パノラマ兄弟7500型とパノラマDX8800型のデジタル画像を残さなかったのは、返す返すも不覚な事である。(以下次号)

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