Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

3つの限界が、見えて来た

2010-11-03 00:37:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

2010=平成22年11月も、拙日記を宜しくお願い致します。
晩秋の時季となり、朝晩は特に良く冷える様になりました。本日は「文化の日」。1948=昭和23年制定の「国民の祝日に関する法律」により「自由と平和を愛し、文化をすすめる」趣旨の日とされた由。ただ、私見を申せば、平和を愛する事には異論なくも、自由と平和は並び立たないものであると言うのが拙持論たる事は明らかにしておきたく思います。

双方が必ず並び立つなどと言うのは空想で、それを真に受けた為に、現代の我国社会は閉塞してしまった面があるのではないでしょうか。「真の自由」は、この世には存在しない由。

大切なのは、道徳の再建に代表される、我国の独自文化の再評価でありましょう。全ては、そこから始まるのだと思います。
その事を疎かにした事もあって、今、我国の主な3つの政策に限界が見え、行き詰まりを来たし始めている印象を受けます。
①行政事業仕分け
②裁判員制度
③旧来の平和外交路線

これらの諸点につき、拙ブログ「トイレの雑記帳」に拙雑感を記してみました。敢えて、異論は覚悟の上。ご一読は、下記アドレスより宜しくお願い致します。*(日本)*
http://nanaseko.blog.ocn.ne.jp/bloghakase32/
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3つの限界が、見えて来た

2010-11-03 00:04:25 | 国際・政治

コナサン、ミンバンワ!11月も、拙ブログを宜しくお願い致します。

今年2010=平成22年も残り後2ヵ月。晩秋の風情となり、朝晩の冷え込みも一段と強まった。来週よりは暦上の冬。昼夜の温度差も広がる故、お互い更に健康安全留意でありましょう。

さてこの所、混迷を深める一方の我国の内外情勢。その中から、どうも壁の様な限界の見えて来た感のある事共に少し触れようかと思います。

①行政事業仕分けの限界

現在、第3弾が進行中。暗部の多い、国家予算の特別会計に斬り込んだは良いが、剰余金の発見が思うに任せなかったどころか、決して少額とは言えない「隠れ借金」が露見してしまい、それが元で、事業仕分けの意味自体が問われかねない事態を招いている。報道出身で、強気の姿勢で知られる連舫行政刷新相も、これから先は、この姿勢を維持できるのかどうか・・・。

今朝の報道にて知った事だが、拙幼少の頃、北九州を恐怖に陥れたカネミ油症事件の被害各位に、原因を生じたカネミ倉庫より支払われていた医療費が、今後滞る不安があると言う。原因は、国が同倉庫に対し、政府米の保管を有償依頼していた所、近くこの保管契約が打ち切られ、他の民間倉庫に移される予定の由。これを報じた公共放送N局は、打ち切りの経緯に一切触れなかったが、時期的に見て例の行政事業仕分けのあおりの可能性が高く、行政刷新会議は、こうした保管見直しの影響を隅々まで見ていたのか、大いに疑問の残る所だ。もしも、カネミ倉庫による医療費負担が絶たれる事態となれば、被害各位は最悪の場合、高額の医療費を自己負担しなければならず、場合によっては、生死に関わるケースもあろう。スーパーCPの「世界2位ではダメか?」発言が、刷新会議の体質を表している一面があるのは良く知られるが、今度は命がかかっているのだ。与野党による被害者救済が模索されているとは言うものの、一体どう言う了見でこの事態を受け止めるつもりなのか、一度誠意ある見解を伺いたいものである。

②裁判員制度の限界

先日、東京地方裁判所にて、都内の祖母と孫が惨殺された件につき、検察より初の死刑求刑が出された裁判員裁判にて、多数決により無期懲役の判決が下された。安易に極刑を課すべきでないとの昨今の思潮に照らせば妥当の様にも見えるが、問題は裁判員各位が量刑に関し、死刑も有り得る重圧もあって、十分に議論が尽くせなかった形跡が見え隠れする事。凶悪事件の裁判に、一般市民が関与する事への限界が否応なく感じられた次第。勿論、被害者遺族の感情への配慮も不十分なままだ。続く徳島県下にての殺人事件の裁判がその様だが、万一にも冤罪などと言う事にでもなれば、関与した裁判員は深い心理的ダメージを長期に亘って負う事ともなりかねず、又、裁判中の被告の反省態度などがこれももし、ただの演技だったと言う事であれば、本当に死刑判決を下すべき時にも、正しい評決ができないと言う事になってしまうのではないか。更に、被告弁護側のサイドよりすれば、こうした裁判員の躊躇が、検察及び被害者側の起訴事実を崩し易く、判決を度を越して被告有利に持ち込んでしまう事も可能と思われ、そうなると公正な裁判を期す事などできなくなってしまうだろう。そして、その事が、我国司法の弱体化を招き、万が一にも戦前の軍国主義などと言われたファシズム的思潮が再び勃興した場合、抵抗さえできない結果に終わる事だろう。

裁判員の参加に凶悪事件が含まれる事には、以前から異論があったそうだが、今回判決は、そうした裁判員裁判のあり方に、大いなる問題を投げかけたと俺は思う。このままなら、裁判員制度は一旦廃止した方が良く、存続なら、死刑判決も有り得る凶悪事件への関与を避けるべきである。

③難度を増す外交手法の限界

先月来の、沖縄尖閣を巡っての日中関係の冷え込み。海上保安庁が捉えた、中国船舶の衝突画像が一部国会関係者限定で公開された。これにつき、下野中の自由民主党は一般公開を強く求め、俺もこの意向を支持するが、政権側の民主党は日中関係の更なる悪化を恐れる余り、公開には慎重の様だ。かつて連立政権にいた社会民主党も似た様な姿勢で、どちらも一方で「国民の 知る権利は大事」などと言っておきながら、今度は「外交問題の(エセ)平和解決」を盾に、公開を渋っているではないか。これは、平和志向よりはむしろ、両党の対中利権を守る為のものに思えて仕方がない。全く、霞が関の官僚勢力と大差なく「国益よりも党益」の不良姿勢が露呈している様に見えてならないのだ。いい加減に、手前勝手な論理の使い分けはやめにしてもらいたい。

昨日は、日中間のゴタゴタを見透かした様に、ロシア国の大統領が、戦後初めて不法占拠中の北方領土を視察に入っている。この事は、今までの生半可な平和路線が完全に通じなくなった事を意味しているだろう。前原外相は、駐ロシア大使の一時帰国をご決断の由だが、当然過ぎる措置。俺個人はより重度な召喚であっても良い位だと思うし、現行憲法の平和条項をできるだけ維持しつつ、周辺大国になめられないだけの自衛能力、外交能力を一層高め、元内閣総理大臣 安部晋三さんが唱えていらした「主張する外交」を実現する事が肝要と強く思うがどうか。

以上の事を実行できないのであれば、最早今の民主、国民新の両党に政権を担う力量はなく、速やかに衆院解散総選挙と、それに続く再度の政権交代をを求めるべきと思うがどうだろう。

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