人気男性芸能集団「SMAP」の存続が決まり、芸能ニュースの一連のバカ騒ぎは、一応の終息を見た様だ。本当に、今の我国は、そんなどうでも良いレベルの騒ぎで頭を一杯にしておれる程平穏ではないはずだ。内外の政治社会情勢は一段と緊迫の度を増し、中国大陸の経済不安や中東情勢深刻化もあって、我国の株価や為替にとり芳しくない状況が続く。更に、長野・群馬両県境付近のスキー場へ向かっていたツアー・バス事故に代表される、交通機関の安全面への不安も改めて露呈している所。この事故の犠牲は計15名になった由で、改めて哀悼の意を表したい。又、事後賠償の問題などが滞ったり長期化しない事をも、併せて祈りたい所である。
こうした不安の背景には、各分野における、我国の「安全・安心」に関わる大いなる質的低下があるのではないだろうか。
当地の出来事で誠に恥かしい限りだが、大手飲食店や小売店などで賞味期限の到来した冷凍食品などが廃棄物として請負業者に依頼されたにも関わらず、包装を変え、別の小売店などに横流しされていた事件。輸送業者の話によれば、廃棄の決まった冷凍食品は、当然ながら冷凍車ではなく、標準仕様のトラックで搬送されるとの事で、それから当然「決して転用転売されてはならないもの」との認識が共有されているはずだと言う。大体が、食品衛生法のまんま違反となる事が分り切っているのだから、普通の神経の持ち主なら、そんな事を考える事はあり得まい。
しかしそこが、これまで習慣的に続けられていた事共であれば相当深刻な実態があるのではないか。行政の立入調査を受けた処理業者は、以前からこうした事が常態としてあった事を仄めかしていたし、当該食品は計100種類を超え、横流しされていた店舗も複数に上ると言う。こうした事共が、今回たまたま露見しただけだったかも知れない。そうした所の深部を抉り出して改善しなければ、真の「食の安全」など到底覚束ないのではないか。
依然減らない医療事故の問題も、同様の下地がある様な気がする。医療技術の向上進歩は勿論必要だが、その一方で、過小な人員で多くの患者を担う現状が少しでも緩和されなければ、生命を左右する大事故の不安は拭えない。我々患者となる者も、良い治療は出費もそれなり、との意識を明確に持つ必要があるのかも知れない。又、実際の症状に見合った緊急度や優先順位を的確に決める「トリアージ」の視点も大切だ。
建設の世界も又然り。去年、神奈川県下の建物傾斜をきっかけに発覚した、基礎部分の杭打ち不足の問題がその代表だろう。こちらも同様の事態が相当数に上り、今後の賠償保障の問題とも相まって、前述の食品廃棄物の問題と共に、我国の品質イメージを大きく貶める結果となってしまった。公共事業減もあって、ただでさえ収益の伸び悩みを抱える建設業界は、これで海外の大型工事に参加の機会を狭める事となってしまったのではないか。その公共事業も、これまでは新規の建設計画が優先され、既存の施設の保守に財源を手当てする思考が未だ不十分であるのも問題である。必要な方針転換が行われなければ、これも過日生じた、中央道トンネル天板の落下事故などの惨劇が、二度三度と繰り返される事になりかねない。
そして交通。冒頭のバス事故の他にも、人的犠牲こそ生じなかったものの、かなり危険な状況に陥った事例が複数ある様だ。急激な外国人旅行者の増加や、規制緩和から来る価格競争の激化、運転要員の高齢化などやむを得ない所もそれはあるだろうが、安全まで犠牲にされてはたまったものではない。これまでの緩和の方向が本当に適切か、行政も含めて検証した方が良くはないだろうか。やはり価格は高めでも、一定以上の安全・安心が保障されなければ乗客は落ち着いて利用できまい。これは鉄道など他の交通機関でも同様で、昨年も北海道沖でフェリー船の火災が生じているし、東京のJR山手線では、鳴り物入りで登場した次期新車がデビュー初日に不具合でダウン、未だに修理が続いているやに聞いている。こんな話が続くと、希望を持って見守っていた国産旅客飛行機「MRJ」の前途にも不安を感じてしまうのは、俺一人ではあるまい。
後、ご存じとは思うが言論、報道の分野は質低下ではなく、元より低レベルである、と俺は見ている。
我国の多くの分野でこの様な不安が噴き出して来たのは、何も急な事ではないのではないだろうか。昭和中期の高度成長期、多くの日本人が誇りと矜持を胸に、技術、そして高い品質を目指して努力と研鑽を重ねた史実が、徐々にだが忘れられて来ている事の証左ではないだろうか。このままこれらの諸問題を放置していては、不健全財政の問題共々、国際社会の信用を失い、ひいては我国の国運を大きく傾かせてしまう恐れがあろう。
農林水産業の分野でも一定そうだろうが、我国にとっての、建設をも含めた健全な「モノ造り」の素晴らしさ、その技術を永く伝承する事の大変さと大切さが、適切に教育啓蒙、そして鍛錬されていない事の表れではないのか。国家レベルでもそうだが、日本人はともすると、目には見えない「教育」と言う本当は大切な事共を疎かにしがちな印象を感じる。その事から、高度成長の「あの頃」に、欧米先進国に負けぬレベルを実現すべく追い求めた高水準を末永く維持する為の国民的気概が、どうも欠けている様に思うのだ。この裏には、やはり国民レベルの、健全に「国を想う」心の不足がある様に思えてならない。
文部科学省以下、それなりに継続して愛国心教育に取り組んでいる姿勢は認めるが、反日左派野党や日教組が声高に主張していた「愛国心は軍国主義に繋がる」様な間違った見解が未だ幅を利かしているのも事実。それと共に「欧米は〇、日本は×」との最早死に体の反日観念が、これ又ゾンビの様に彷徨い続けている風情も見える。この二つを駆逐して、国民レベルで真に「国を、もっと良くしよう」とする気持ちと姿勢をじっくり涵養して行く事が、長期的にはこうした諸問題の緩和と解消に繋がる気がするのだが。
今回画像は、過日の春訪ねたJR新潟駅付近の佇まい。夜行バスを降りた直後の目には、ぼんやりと映った記憶がありますね。
「明けない夜はない」と良く言われるが、今の祖国日本に、この様な穏やかな朝が来るのだろうか、とふと疑問に思ったりするこの頃であります。
こうした不安の背景には、各分野における、我国の「安全・安心」に関わる大いなる質的低下があるのではないだろうか。
当地の出来事で誠に恥かしい限りだが、大手飲食店や小売店などで賞味期限の到来した冷凍食品などが廃棄物として請負業者に依頼されたにも関わらず、包装を変え、別の小売店などに横流しされていた事件。輸送業者の話によれば、廃棄の決まった冷凍食品は、当然ながら冷凍車ではなく、標準仕様のトラックで搬送されるとの事で、それから当然「決して転用転売されてはならないもの」との認識が共有されているはずだと言う。大体が、食品衛生法のまんま違反となる事が分り切っているのだから、普通の神経の持ち主なら、そんな事を考える事はあり得まい。
しかしそこが、これまで習慣的に続けられていた事共であれば相当深刻な実態があるのではないか。行政の立入調査を受けた処理業者は、以前からこうした事が常態としてあった事を仄めかしていたし、当該食品は計100種類を超え、横流しされていた店舗も複数に上ると言う。こうした事共が、今回たまたま露見しただけだったかも知れない。そうした所の深部を抉り出して改善しなければ、真の「食の安全」など到底覚束ないのではないか。
依然減らない医療事故の問題も、同様の下地がある様な気がする。医療技術の向上進歩は勿論必要だが、その一方で、過小な人員で多くの患者を担う現状が少しでも緩和されなければ、生命を左右する大事故の不安は拭えない。我々患者となる者も、良い治療は出費もそれなり、との意識を明確に持つ必要があるのかも知れない。又、実際の症状に見合った緊急度や優先順位を的確に決める「トリアージ」の視点も大切だ。
建設の世界も又然り。去年、神奈川県下の建物傾斜をきっかけに発覚した、基礎部分の杭打ち不足の問題がその代表だろう。こちらも同様の事態が相当数に上り、今後の賠償保障の問題とも相まって、前述の食品廃棄物の問題と共に、我国の品質イメージを大きく貶める結果となってしまった。公共事業減もあって、ただでさえ収益の伸び悩みを抱える建設業界は、これで海外の大型工事に参加の機会を狭める事となってしまったのではないか。その公共事業も、これまでは新規の建設計画が優先され、既存の施設の保守に財源を手当てする思考が未だ不十分であるのも問題である。必要な方針転換が行われなければ、これも過日生じた、中央道トンネル天板の落下事故などの惨劇が、二度三度と繰り返される事になりかねない。
そして交通。冒頭のバス事故の他にも、人的犠牲こそ生じなかったものの、かなり危険な状況に陥った事例が複数ある様だ。急激な外国人旅行者の増加や、規制緩和から来る価格競争の激化、運転要員の高齢化などやむを得ない所もそれはあるだろうが、安全まで犠牲にされてはたまったものではない。これまでの緩和の方向が本当に適切か、行政も含めて検証した方が良くはないだろうか。やはり価格は高めでも、一定以上の安全・安心が保障されなければ乗客は落ち着いて利用できまい。これは鉄道など他の交通機関でも同様で、昨年も北海道沖でフェリー船の火災が生じているし、東京のJR山手線では、鳴り物入りで登場した次期新車がデビュー初日に不具合でダウン、未だに修理が続いているやに聞いている。こんな話が続くと、希望を持って見守っていた国産旅客飛行機「MRJ」の前途にも不安を感じてしまうのは、俺一人ではあるまい。
後、ご存じとは思うが言論、報道の分野は質低下ではなく、元より低レベルである、と俺は見ている。
我国の多くの分野でこの様な不安が噴き出して来たのは、何も急な事ではないのではないだろうか。昭和中期の高度成長期、多くの日本人が誇りと矜持を胸に、技術、そして高い品質を目指して努力と研鑽を重ねた史実が、徐々にだが忘れられて来ている事の証左ではないだろうか。このままこれらの諸問題を放置していては、不健全財政の問題共々、国際社会の信用を失い、ひいては我国の国運を大きく傾かせてしまう恐れがあろう。
農林水産業の分野でも一定そうだろうが、我国にとっての、建設をも含めた健全な「モノ造り」の素晴らしさ、その技術を永く伝承する事の大変さと大切さが、適切に教育啓蒙、そして鍛錬されていない事の表れではないのか。国家レベルでもそうだが、日本人はともすると、目には見えない「教育」と言う本当は大切な事共を疎かにしがちな印象を感じる。その事から、高度成長の「あの頃」に、欧米先進国に負けぬレベルを実現すべく追い求めた高水準を末永く維持する為の国民的気概が、どうも欠けている様に思うのだ。この裏には、やはり国民レベルの、健全に「国を想う」心の不足がある様に思えてならない。
文部科学省以下、それなりに継続して愛国心教育に取り組んでいる姿勢は認めるが、反日左派野党や日教組が声高に主張していた「愛国心は軍国主義に繋がる」様な間違った見解が未だ幅を利かしているのも事実。それと共に「欧米は〇、日本は×」との最早死に体の反日観念が、これ又ゾンビの様に彷徨い続けている風情も見える。この二つを駆逐して、国民レベルで真に「国を、もっと良くしよう」とする気持ちと姿勢をじっくり涵養して行く事が、長期的にはこうした諸問題の緩和と解消に繋がる気がするのだが。
今回画像は、過日の春訪ねたJR新潟駅付近の佇まい。夜行バスを降りた直後の目には、ぼんやりと映った記憶がありますね。
「明けない夜はない」と良く言われるが、今の祖国日本に、この様な穏やかな朝が来るのだろうか、とふと疑問に思ったりするこの頃であります。