Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

女子中生監禁事件と粗悪性善説

2016-04-04 13:32:27 | 社会・経済
2016=平成28年4月も、拙ブログを宜しくお願い致します。丁度当地愛知は桜満開の時季。今朝の降雨でやや散り気味とはなったが、後暫く見頃が続くだろう。今秋後半に予想される、次の降雨で見納めかと言う風情である。

さて先月下旬だが、一昨年埼玉県下で誘拐され、、東京都内などでほぼ2年に亘り監禁されていた女子中学生が生還を果たしたのは既報の通り。誘拐犯の重大な心理的圧迫を良く凌ぎ、脱出のタイミングを読み切った勇気と知性には、ただ脱帽あるのみ。心理的ダメージも相当なものが予想されるだけに、将来の為にも今は少しでも静養を願い、これからの大過なきをも併せて祈りたいものだ。

その一方、被害者の心理を大きく傷つけ、生死をも左右しかねなかった容疑者の厳重な処分も強く望みたい。犯罪者に大甘な日本国憲法以下の不健全な戦後法制のせいもあって、裁判に当たっては、被告弁護側は策や言葉を弄して罪責の抹消(つまり心神耗弱による無罪の奪取)を図るべく争いを仕掛けて来る事だろうが、裁判所、そして国内世論の信念ある厳しい処断を強く望む所である。

又、刑期終了後の容疑者の生活面も、大きな監視下に置かれなければなるまい。理系大学生として秀逸な成績を表し、航空機の操縦能力もあると言われるのは良いが、その為出所後、多くの人的犠牲を伴う政治的混乱を狙う過激反社会勢力にリクルートされる恐れもある。それを厳しく阻止するのも、平和国家及びその国民市民の使命だろう。容疑者に、決して個人偏重のプライバシーなど安易に認めてはならない。もしも多くを犠牲にする様なテロ勢力に加担する事あれば、その時こそは、冷厳に「殺害許可」を下すべき場面もあり得よう。
(1997=平成9年に兵庫県下で発生した、連続小学生惨殺事件の犯人に、極左過激勢力が活動家としての引き入れを目的に接近を図ったらしいとの情報がある)。

前述の事共につき、古くから中国発の「性善説」と言う観念がある。これは「人間の本性は基本的に善である」とする倫理学、道徳学説を言う。
古(いにしえ)の哲学者、孟子や朱子の活躍した時代に多くあった内戦を鎮める為に創り出されたとする見方が大きくある。この少し後、荀子によって唱えられた「性悪説」とは対を成す観念だが、どちらも「人間を放っておけば、悪を行う様になってしまうため、『聖人の教え』や『礼』などの教育教化が必要である」所では一致していた様だ。

一番の問題は、性善説の近代に至っての解釈の酷さ。特に我国でその粗悪さが目立つ様だ。この観念につき「人は本質として善であるため、放っておいても悪を行わないとする放置的楽天主義」と言う意味で用いられる事も少なくない。これは明らかに虚偽だ。性善説と言えど、正しい教育なくしては、人は悪に走ったり過ちを犯すもの、と言う解釈こそが正道であり、放置的楽天思考は大いなる邪道である。我国に蔓延る左派野党、エセ人権勢力やその系統の法曹関係者は、正にこの邪道たる粗悪性善説の寄生虫共である事を我々は良く自覚し、留意しなければならないだろう。因みにこいつら、既報の様に、先頃施行の安保関連法制にも意味不明な廃止運動を起こしているな。まあこいつら既出の、死刑廃止運動も意味不明だが。

前述の不良勢力は、冒頭に記した様に、必ず犯罪人や事故加害者の側に立ち、その罪責や過失責任のもみ消しを図る。現行憲法にもあると言われる、粗悪性善説利権を何としても保護したいのだろう。寄生虫たるこの連中の、言わば宿主である事を考えれば答えは出ている様なものだが、宿主が斃れれば連中自身も共倒れになってしまうからだ。まあ俺を初め保守及び日本主義的思考の側からすれば、その方が好ましいのは事実だが。

表題の女子中生誘拐監禁事件も、一つには「戦後教育の不良」が引き起こしたと言って良い。遥か昔、孟子や朱子の各位が厳しく語った「聖人や礼による正しい教育」が果たして戦後の我国で信念を持って実行されたかは大いに疑わしい。その結果が此度の犯行であろう。左派野党や法曹を含む左派市民勢力、日教組などの不逞の輩共によって、そうした健全な道徳教育は徹底的に妨げられ、骨抜きにされて来た。その事が分っていて我国に独自の文化に基づく教育を認めなかったのが欧米諸国。それらの不良要因が重なって、容疑者を誘拐監禁の犯行へと駆り立てたと言う事だ。繰り返すが、今回の誘拐監禁劇の背後には、「左巻き」と「アメリカニズム」による重大な共同不法行為があるのだ。事件を公正に伝えない不良報道メディアもその手先だろう。

今回画像は2年前、岐阜の悪友と訪ねた温泉郷、下呂にての一コマ。JR高山線の踏切待ちの折のものだが、この地の桜も見事で、一度列車に乗り込んで、車窓から眺めてみたいとの衝動に駆られたのも事実。この時は日帰りの行程でしたが、日時が叶えば暫し泊まってゆっくりしてみたい想いもありますね。





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