Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

我が心の寝台列車

2017-02-17 19:06:27 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!内外は、東芝の経営危機や、トランプ米新政権の行方、それに北鮮の要人 金 正男(きむ・じょんなむ)さん不審死の事共などで騒然としている。拙方も、できる所でそうした事共に言及したい所だが、今回は、又も気になるお題「寝台列車に乗ったことある?」に少し答えようと思います。

寝台列車・・拙記憶が正しければ、我国では19世紀末の明治中期に関西と西日本を結ぶ山陽鉄道(当時。現在のJR山陽線)での運転が始まりだったと聞いている。蒸機時代の旧世代車両が昭和の終わりまで活躍、それ以降は、空調完備、居住性の良いエアサスの足回りを持つ、所謂「ブルー・トレイン」の天下となった。それと並行して、昼夜共に走れる、特急寝台電車も現れ、鉄路の夜の主役として、四国以外の全国で活躍したのは良く知られる所。

拙者が初めて寝台列車に乗ったのは、まだ餓鬼時分の高度成長期の頃で、その時の記憶は飛んでしまったが、十代の頃から後半生の近年まで、何度か世話になっている。十代の頃は、まだ旧世代の寝台車も多く残っており、とに角狭い三段式の寝台が、忘れられない所。幅はやっと横になれる50cm代、高さも低く、不用意に起き上がれば頭を打つ。これは勿論、旧二等のB寝台で、中には空調さえない車両もあったと聞く。暫く後には世代交代が進み、今様のブルトレ車両に置き換わって、まずは幅方向、次に高さ方向と、B寝台の二段化が進んで改善されて行った。

国鉄がJRに移行した平成期には、一部個室の寝台も現れ、首都圏又は関西対北海道を結んだ「北斗星」 「トワイライトEXP」 「カシオペア」がつとに有名だったが、拙方は、数年前まで当地も通った「はやぶさ」のB個室に乗った事がある。格上のA個室に比べれば、それは狭いが、何と言っても施錠できる事で、安心感が違った記憶がある。個室寝台は、前述の各列車以外でも設定がある様になり発展が期待されたが、後述の理由もあって、今ではほぼ消えてしまったのが残念な所。それと、個室でない普通の寝台で良かったのが、電車の寝台だろう。これは特に、下段の居住性が広くて優れ、過日滋賀・米原から新潟まで乗った急行「きたぐに」では、広いA寝台の下段に、当時小児だった親族と「雑魚寝」で夜を過ごしたのも良き思い出だ。

多くの各位に良い記憶のある寝台列車だが、特に今世紀に入ると衰退が目立つ様になる。実は、夜行列車の減便は、山陽新幹線が博多まで伸びた、昭和末期辺りから始まっていたのだが、今世紀からは、九州方面から廃止が始まり、数年前には東京~九州間、更にその後、日本海縦貫線や首都圏~北海道線区からも退き、今や首都圏と山陰・四国を結ぶ「サンライズ」二列車だけの様だ。

背景には、広く知られる様に、空路と新幹線の延伸と拡充、ビジネスなどカジュアル系ホテルの展開と価格革命、更に、高速道延伸に伴う、長距離高速バスの台頭が挙げられる。ホテルもバスも、賃料は鉄道の寝台より安価で、しかも居住性もまあ納得と来れば、これまでの寝台列車は、退場を余儀なくされると言う事だろう。

新しい高級リゾート志向の「ななつ星in九州」 「トラン・スィート四季島」 「トワイライトEXP瑞風(みずかぜ)」と言った、新世代寝台列車の勢力も現れてはいるが、高級志向とあって料金面が高いのと、それにも関わらず、少なくとも向こう数年は希望者多数で抽選となり、乗車機会も希少な様なので、これからは、我々庶民にとっては、雲の上に近い存在になりそうなのが、やや残念。「サンライズ」の二列車も、十年後見込みのリニア中央新幹線開通の折には確実に姿を消しそうなので、次の寝台列車のあるべき姿を、乗る側も走らせる側も、本気で模索すべき時かも知れません。画像は、昨春まで運転されていた「トワイライトEXP」の模様です

コメント (2)
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