2017=平成29年2月も、拙ブログを宜しくお願い致します。先月来、通常国会が審議中で、今年度予算も通過の運びとなった様だが、少しでも「望ましい民主主義の形」に近づけられる様、与野党共心がけて頂きたいものだ。与党は、ややもすると審議や採決を無理しがちな所あるのは事実だし、野党にしても「初めに攻撃ありき」で、国民市民の側に立った、何が一番大事かを見極めた質疑には程遠い場面が、間々ある様だ。我々も、その辺りを気に留めて、見守って行けたらと思う次第であります。
もう一つ、流行中のインフルエンザが、警戒レベルに引き上げられた模様。病原体ウィルスも、A型からB型への移行期にある様で、健康や体力に自信がある向きも、決して油断してはならないだろう。一度罹ると周囲への感染源ともなりかねず、外出時マスクの着用や、嗽(うがい)、手洗い、休養や睡眠の確保など、きめ細かく注意する必要があるだろう。
前置きが長くなった。本題に入る。今回のブログのお題が「公衆電話を使った事があるか?」との問いなので、少し答える事にしたい。拙方、何を隠そう後半生男なので、勿論、公衆電話に親しんだ世代であり、今でもすぐに使える様、心がけてはいる所。財布には、最低でもテレカ一枚は入れており、10円硬貨も極力一~二枚は持ち歩く様にしてますね。
拙者の十代、二十代の頃は、携帯電話の黎明期で、企業向けの大型機がごく僅かに出回っていただけ。個人間の通話は、固定電話と公衆電話が殆どで、呼び出し専用のポケベルが、やっと個人向けに普及し始めた頃だった。1980年代、昭和の終わり頃の事だ。想えば、テレフォン・カードが最も多く出回っていたのも、この頃かも知れない。平成に入り、ようやく全公衆電話でテレカ使用が叶い「時代は変わったなあ」との想いがあったのも、もう今は思い出だろう。
考えたくはないかもだが、西日本の方々にとっては悪夢でもあった、阪神・淡路大震災の頃から、携帯通信が長足の進歩を遂げ、主な道路沿いや、鉄道駅や空港、バス・ターミナルを初めとする公共施設から、公衆電話が徐々に姿を減らし始める。今世紀に入り、その傾向が更に強まった感じがする所。ただ、スマート・ホンなどで特に感じられる事だが、最近の携帯電話は、バッテリーの消耗が早く、充電が間に合わず使えない場面もなくはない様だ。そんな時、数こそ減ったが、公衆電話を使える体にしておけば、色んな場面で慌てずに済むのも事実。拙者は、これまでの経験と「まさか」の場合にも何とか向き合える様、公衆電話の感触は、これからも長く覚えておかないと、とも思う次第。
と申して、公衆電話には、災害など緊急の折に、無料通話ができる機能があるらしいが、これだけはまだ世話になった事がない。少し前、首都圏方面で誘拐され、約二年間不当に監禁されていた女子中学生が、犯人宅から脱出に成功したきっかけが、この公衆電話の無料通話機能だった様だ。この事からも、事件事故や災害の折には、強い味方になってくれるかも知れない。遅まきながら、拙者もこの機能を、改めて使える様にしたく思う。全盛期より大きく減ったとは言え、場所によっては結構見かける公衆電話。やはり「そこにあり続ける」のは意味があると言う事でしょう。画像は、最近のJR名古屋駅の一コマ。プラット・フォームや構内には、今も所々に公衆電話が健在。少し前までは、新幹線や在来線特急の列車内でも設置されていたのを思い出します。
そうなんですよね。普段レベルからは退いても、最低限は
必要ってのが、公衆電話だと拙方も思います。
ご指摘の、山間のそれは、拙地元でもたまに見かけます。
これはやっぱり、携帯電波が弱い地域に対応した措置だと見て良いと想像されます。
それにしても、スマホの電池消耗は早いですね。気をつけて、
まめに充電する様にはしてますが、場合によりできない事もあり得ます。
そうした場合に、やはりテレカは手放せないなあ、なんて思ったりします。
まずは、お礼まで。
街から少しずつその存在が薄れかけているように思えますが
やはりゼロには出来ないでしょう
私がよく通る峠にも公衆電話が二箇所設置されています
一度も利用したことがないし
利用してる人を見かけたこともないけど
この峠は携帯電話が圏外になる場所が数カ所あるので
やはり需要が少なくとも無くなれば
いざという時に困りますよね。
そうそう
まだテレホンカード持ってるのを思い出しました
持ち歩かなきゃ使わないけど
しまい込んでしまってるわ