Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

夜空~白と赤の風

2008-08-28 23:30:00 | インポート
ミーSAN今晩は。今夜の当地名古屋は激しい雷雨に見舞われています。
つい先程、近所にて落雷があった模様。大過なければ良いのですが。
先週末辺りより、全国的に天気が安定しない様ですね。北の方もつつがなきをお祈りする事としましょう。

さて今夏の拙特集日記は、本当にこの辺の話題、又拙趣味たる鉄道交通の話題となってしまい恐縮です。
貴方に向けての伝言は、拙身近な憧れの東海道新幹線にしようか、それとも幼少の頃からの思い出深い名古屋鉄道の名物車「パノラマカー」にしようか大いに迷いましたが、その末に結局後者を選びました。
ご想像がつく様に、私とパノラマカーは、そんなに離れた年齢ではありません。苦笑

1961=昭和36年夏の初登場より既に半世紀近い時空を駆け抜けて来たパノラマカー。同車の誕生の背景には、愛知、岐阜の両県を初めとする中部圏の人々の、高速移動への大きな願望が乗っていたと強く思います。
当時の我国では他に例のない展望席。しかも特別料金を要しないそれは極めて異例だったと言えます。
幼時は両親に伴われて、又小学校高学年以後はある時は単独で、又ある時は悪友など仲間同士で、この恵まれた走る眺めを楽しんだものであります。ただ困るのは、恵まれた故に有難さを忘れている面がある事でしょう。

時は昭和から平成へ、又20世紀から21世紀へと移ろい、当地の絶賛と圧倒的支持を誇ったパノラマカーにも、経年による引退の時が刻一刻と忍び寄っていました。1998=平成10年には名古屋鉄道の公式見解として、向こう約10年でパノラマカーの完全引退を図る旨が明らかにされたにも関わらず、私には実感がありませんでした。それはまるで健康な時に、健康の有難みを忘れている様な状況に似たものでした。

この6月、遂に同車の主戦降板が明らかになって初めて、我が身に喪失感の様なものがこみ上げて来た次第。
余りに慣れ親しんだ為に「さあ、なくなるぞ!」と急に言われても、直ちには受け入れられない心情と言う所でしょうか。
そう言えば今年に入ってからは、所謂鉄道愛好者達の姿も良く見かける様になり、列車の姿が映える好撮影地点では大勢の写真班が集まり、まるで蒸気機関車を迎える時の様な状況を呈しています。時に不良なマナーなどを揶揄される彼らですが、こうして集まってくれるのを見ると、パノラマカーもかくも全国区の人気を博していたかと、一面では喜ばしい気持ちもありますね。ただ安全にも関わる故、くれぐれも無理は避けて欲しい所です。

それにしても、電車は庶民の生活に密着した乗り物であるのは事実です。拙記事の最後に、その事を象徴する出来事がありましたので記しておきましょう。
今月の初め、当地名古屋の南郊の東海市内にて目にした光景です。
夕方、同市の太田川と言う駅に、臨時の運用に就いたパノラマカーの列車がやって来ました。情報が少なかったせいもあって愛好者は殆どおらず、列車に乗ったり、展望式の先頭車を取り囲んでいるのは、普段名古屋鉄道を利用する地元の方々ばかり。コンパクト・デジカメや携帯のカメラで正面を収めるネクタイを締めた男性や夏の装いの若い女性達。
一方車内の展望席には、何組かの親子連れが幸せそうに座り、発車を待っています。そう、これは正に半世記近く前、パノラマカーが誕生した時の光景ではなかったでしょうか。

コアな愛好者による追いかけの対象となる事も多くなった同車ですが、最後の1年の内の1日位は、こんな日があっても良いと心より思いましたね。
今夏は我々も大変お世話になった漫画家、赤塚不二夫さんのご逝去と言う大変な悲報にも接しましたが、同氏がこの光景をご覧になったら、きっとこう仰る事でしょう。「これで、いいのだ!」*(新幹線)*

P.S 次回にて、ひとまずの終了と致す予定です。
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