浜田屋遼太

世の中のために何の役にも立たないブログ  お暇なお方は是非どうぞ(^^♪

ヘンな世の中

2014-01-28 | 日々是好日
最近どうも世の中がヘンだ。

ヘンなことが多くなってきている。

しかも昨日より今日、というふうに日増しにヘンになってきている。

新聞や雑誌の活字がインク代をケチって薄い印刷になり、活字も小さくしているようだ。

鬱という文字など黒いかたまりにしか見えない。

出版物に限らず薬の能書き、電化製品の説明書、スーパーなどの商品の値札の数字、いずれも年々小さくなってぼやけてきている。

これでは日常生活が不便でならない。

こういう不便を訴えるのは、不思議なことに我々の世代の者たちだけで、若い連中からはそういう声を聞いたことが無い。

若い連中は時代の流れに鈍感で、そういう細かなことには気がつかないのだ。

まぁこれには解決策があって、メガネを外せば小さな活字でも読めなくはない。

しかしメガネを付けたり外したりが、すごく邪魔くさい。

手元で作業するときなどは、面倒でならない。

魚釣りの場合、釣り針にエサを付けるのにいちいちメガネを外す手間は、釣果にも影響する。

針にエサがうまく付いてないとエサが外れるし、時々自分の指に釣り針が刺さることもある。

携帯電話でメールするときなど、文字が小さすぎて操作するのにも時間がかかる。

人の名前が思い出せない。

確かに見たことある人だが、エーと、あのほら、だからさーって喉まで出かかってるけど言葉が出ない。

男ならそうでもないが女性だとなおさらだ。

同窓会で何十年かぶりで再開し、となりに座ってるのだが誰だかわからない。

昔の面影は微かにあるのだが、名前が出てこない。

思い切って「あの~どちら様でしたっけ?」などと聞くと、「あ~ら嫌だぁ~、バレー部のエースアタッカーだった私を忘れたのぉ~、…んもぅ…せいちゃんなんて嫌い!!」

と言われ、その後二度と口をきいてもらえなくなると困るので、わかったフリして調子を合わせ、頃合を見てソーと席を離れ、少し離れたところに座っている詳しそうな奴に「さっき隣に座ってた人誰だっけ?」と聞き、大方の予想と外れるといささかショックを覚えたりする。

昨日の晩飯のオカズは何食べた?、と聞かれても即答できない。

中学2年のとき担任だった多根先生に、出欠簿の角で頭を叩かれたことは今でも覚えてるのに、昨日の晩飯のことなどすぐ忘れる。

まぁ昨日の晩飯を食べたこと自体忘れたら、事態はかなり深刻なのでこれは勘弁しましょう。

それにもう一つヘンだ。

書店で、これはという本を買って読んだ時である。

本の内容に満足し、感動を覚え、あ~面白かったと読み終えたあと本棚にしまうとき、ふと見ると同じ本があるではないか。

我が家には同じ趣味趣向の家族がいたか?、いや待てよ、この本棚は僕だけのものだ。

さっきまで読んでた本がすごく新鮮で感動までしたのに、以前にも買って読んだ本だったのである。

このことを友人に話すと、ウチなんか同じ本が3冊もあるという。

さらにもう一つヘンだ。

一冊の本を読んでいて、半分くらい読み終えると最初のストーリーを忘れてしまう。

ましてや長編ものとなると、その日のうちに読みきれず翌日になるとすっかりストーリーを忘れてしまい、また最初から読み返し、結局完読出来ずに本棚の片すみに置かれてしまう本となる。

まったくもって、世の中はどうなっているんだ。

悪いほうへ、悪いほうへと向かっていくばかりだ。

いやいや、まてよ。

いい方向に向かっているものもあるぞ。

世間一般で、俗にアッチといわれている方面である。

アッチの方面の仕事は、かつて二つあった。

一つは人体の循環器系に属する仕事で、地道で目立たない仕事である。

もう一つのほうは、まあ何ていうか若い頃のろくでもない仕事で、そのほうの仕事にばかり精を出していた。

今はすっかり穏やかになり、あまりに穏やかなので、ときどき励ましたりもしてみるのだが、すっかり改心して穏やかな毎日を送っているようだ。

って前にも似たような記事を書いた覚えがあるが…


世の中がヘンじゃなく、自分がヘンなのでしょうか?
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする