米子道蒜山SA下り線からの眺め
岡山からの帰り、12月20日撮影でした。
昨日からの話の続きです。
湯郷温泉から旧閑谷学校へ廻ったあと、昼食はお好み焼きと決まってたので、暇なオジさん(アタクシのことですが)はどこまでもついていくことに…
小豆島へ渡るフェリーの港がある日生(ひなせ)
ここいらから牛窓あたりのことを東洋のエーゲ海と呼ぶそうな。
エーゲ海って行ったことないけど、多分地中海のギリシャの近くあたりかなぁ?
なんて思うけどどうなんだろ…
穏やかな海域なんだろうなぁ。
遠い昔のことですが、地中海は船で通過したことはある。
地中海への入口、ポルトガル領ジブラルタル海峡からスエズ運河入口(エジプト領アレキサンドリア)まで丸4日はかかる航海だったと記憶する。
途中バルセロナで停泊した。
まだオリンピック開催のオの字も出ないときのスペイン領、バルセロナだった。
瀬戸内海も地中海と似たような海域なので、そう言われても不思議じゃないよね。
なんちゃって話が飛んでしまってスンマセン。
元の話にしましょうね。
ここの名物といえば…牡蠣だそうな。
アタクシ不詳ながら全くそのことを知らなかったが、B1グランプリで一躍有名になったらしい。
その有名なカキオコ(牡蠣入のお好み焼きってことね)をいただきに参上したしだい。
最初の目的地は超有名?!なのでしょうか…
道が渋滞しそうなほどの大行列。
諦めの早いアタクシたちは素早く別のお店へ向かう。
これが好判断、お昼時だったがすんなり入れて美味しく頂きました(でもあとからあとからすぐ人でいっぱいになったよ)
カキオコ
基本的に広島風の牡蠣入りのお好み焼きってことね(^^♪
タップリと牡蠣が入ったお好み焼き、一度は食べてみる価値ありだね
旅のお楽しみは食にアリ…かなぁ
旅先のお湯は、アタクシのささやかな人生の小さなヨロコビであります。
そこにもって気の合う仲間たちと一緒に飲めば、楽しいに決まってるよね(^^♪
夕食前に下駄を履いてみんなで温泉街をそぞろ歩き。
射的ゲームとかストリップ小屋とかあるのを期待したけど…
残念ながら無かった
まぁ昭和の時代じゃないからねぇ~
20世紀の後半を堂々と過ごしてきたオジさん(アタクシのことですが)は、少し物足りなさを感じたがそれも時代の流れだねぇ…
そぞろ歩きでお腹もすいたので晩御飯をいただきまして、食事のあとは部屋に帰ってカードで遊んだりして楽しかったぁ~。
ホントは枕投げしたかったけど、その前に酔いつぶれてしまったのであった。
男女5人が同じタコ部屋で寝るなんて…
大人の修学旅行だなぁ(*´∀`*)
…と前置きが長くなったね。
忘年会の翌日、四国と関西グループは少し観光して帰る。
ということなので、帰る方向とは逆だけどアタクシも暇なのでついていったしだい。
向かった先は「世界最古の庶民のための公立学校」
旧閑谷学校
江戸時代前期に岡山藩主池田光政によって創設された、現存する世界最古の庶民のための公立学校だそうです。
近代化の原動力となった旧閑谷学校。
日本遺産第一号に認定されたそうです。
国宝の講堂で論語の学習
300年を経ても今も整然と姿をたたえる石塀
神々しい雰囲気の椿のトンネル
冬らしい花だね
来年の干支は申。
椿の木も何気なく申年を待ってるような… 申に見えませんか?
明日へ続く
年に一度の四国観音寺遍路宿青空屋お友達との忘年会。
今年は初めて会場が青空屋ではなく岡山の湯郷温泉にて開催。
シッカリ飲んで食べて遊んでホント楽しかったなぁ~(^^♪
小ネタを仕入れたのでしばらく記事には困らないと思う…
ホテルの、the「日本の正しい温泉旅館の朝食 」
ウ〜ン、メッチャご馳走ですね。
朝から「おかわりくん」だもんね(*´∀`*)
また肥えたかな?
話は続く…
のほほん…っと新発見。
世の中のために何の役にも立たないオジさん(アタクシのことね)ですが、週末に四国観音寺の遍路宿青空屋と、関西地区お遍路老舗グループとの合同忘年会へお出かけモードであります。
会場は岡山湯郷温泉、四国と関西と山陰の中間点…
と言いましょうか、行ったことないのでよく分かりませんがプロ女子サッカーのなでしこ美作ベルがホームにしてる処らしい…
アタクシの自己主張ではなく、誘われてフラフラとお出かけするのであります。
こんな納経帳もいいよね
お大師さんにはまだ呼ばれてないけど、遍路仲間からは呼ばれました(^^♪
ただそれだけでシアワセであります。
高知27番札所の御朱印
ありゃまぁ、よく考えてみれば神峯寺は2回お参りしてたんだぁ~(*´∀`*)
そういえば室戸からバスに乗ってお参りしたこともあったなぁ…
ちょうどビワが美味しい頃だった。
麓からヒィーヒィー言いながら登ったぞぉ…
坂の途中でハチの攻撃を受けたけど、低姿勢でクリアしたかな…
納経所では、歩き遍路は御朱印料免除だったような記憶がある。
修行の足りないアホバカ親子連れ遍路は、次の札所まで土佐くろしお鉄道に乗って太平洋を眺めた。
遼太との夏休み頑張りっ子挑戦のステージは、室戸から四万十までが主だったコースだったよなぁ…
何か遠い昔のおとぎ話のようだけどね。
今日BSテレビで空海伝説の番組見たら、にわかにお四国に行きたくなってしまったよ。
早くお大師さんに呼んでもらいたいねぇ~(^^♪
人間歳をとってくると、何かにつけて「ドッコイショ」と言う回数が増えてくる。
「ドッコイショ」の頻度は年齢に比例して増大していくと言われている。
若い人はめったに「ドッコイショ」とは言わない。
老人たちはめったやたらに「ドッコイショ」を連発する。
日本はこれから老齢化社会にまっしぐらに突入していく。
「ドッコイショ」はどういうときに発せられるのか。
コタツに座っていて、急に用事が出来て立ち上がることになったとしよう。
若い時は、コタツから立ち上がることなど何の苦もない。
しかし人間歳をとってくると、立ち上がることが大義になる。
立ち上がることか大仕事になる。
大仕事を決行するには決意がいる。
そういう意味では「ドッコイショ」は一種の決意声明ということになる。
この場合、はっきり自分で決意し自覚して「ドッコイショ」と発しているが、言うつもりなどないのに思わず「ドッコイショ」とつぶやいていたということはよくある。
ウ〜ン、「ドッコイショ」はつぶやきなのか、ひとり言なのか…
「ドッコイショ」はコタツ周域用語としてとらえてきたが、民謡界周域でも盛んに使用される。
♪草津よいとこ一度はおいでー
「ドッコイショ」
日常生活でやたら「ドッコイショ」と使い捨てのように発しているが、民謡界では掛け声として「アーコリャコリャ」とともに、その顔の広さに驚かされる。
民謡というのは、地方地方で自然発生的に生まれたものだ。
昔の日本の農業や漁業に伴う労働歌でもあった。
特に掛け声は、その地方の労働と密接につながっていた。
「エンヤコーラ」というのは漁業の網を引く動作と伴に発せられ、「ドッコイショ」は農村地帯の農作業と伴に発せられることが多かった。
田植えにしろ草取りにしろ立ったりすわったりの連続で、そのたびに我々の先祖は「ドッコイショ」と言い続けていたのだ。
日本の歴史は「ドッコイショ」の歴史だったのだ。
本文とは関係ないが、出雲大社から歩いて5分の御菓子屋さん「とみや」のいちご大福。
辛党のお方にもオススメだよ
美味しい和菓子でした(^^♪
遅ればせながら携帯電話をスマホにチェンジしたら人生観が変わってしまったぞ(いささか大袈裟ですが…)
スマホ本体がもはやパソコンそのもの、いやウチのパソコンよりスピードが早いぞ。
無限大に広がる利用価値
なので近頃パソコンを開かなくなってきた。
時代の流れについて行くのに精一杯の、ヨレヨレオジさんの戯言でした(^^♪
島根のことなら何でも知ってるしまねしまねっねっこ~
島根のことが好きだよ、しまねしまねっこ~
…ってことでしまねっこ電車のPCのマウスパットでした(^^♪
しまねっこダンスもマスターしたいよねぇ…(*´∀`*)
毎年2月11日、建国記念日は出雲くにびきマラソンと決まっています。
今年もそのご案内が届きました。
中身を確認しておや?
コースが昨年と違うんでないかい?
ハーフの関門通過時間もゆるくなってる…
これならオイラもハーフにチャレンジしてもいいかなぁ~
なんて思ったりするのでした(^^♪