はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

映画『バベル』で思ったこと&監督情報

2007年05月07日 | 映画(2007-08年公開)
 『バベル』は見て楽しい映画ではない。見終わった後の足取りは重かった。結末に仄かな希望を見出す人もいるようだが、私は映画館で目にした物語の結末よりも、登場人物の内の何人かの、その後の物語への想像が膨らんで、胸が苦しくなった。禍転じて福となった人はいい。身内との絆の回復の糸口を掴めた人はいい。しかし、長年の苦難の末に築いた生活基盤を全て失ってしまった人や、愛する者を失った人、重い十字架を背負ってしまった人のことを想うとやりきれない。たとえ、それが映画の世界(虚構)の人生であったとしても。

 今日、日経の夕刊文化欄に、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督へのインタビュー記事が掲載されていた。見出しは「我々を隔てるのは先入観」。以下はその記事を私なりに(勝手に(^_^;))再構成したもの。()内は、記事を読んでの私の個人的感想。

 イニャリトゥ監督はメキシコに生まれ育ち、20代からラジオ局のDJやディレクターとして働き、その才能をハリウッドに認められて、2001年の同時多発テロの数日前にLAに移住(何という巡り合わせ!)したらしいが、正式に映画制作について学んだことはないと言う(だから制作セオリーに囚われない、少々荒削りながらも個性的な作品が生み出せるのだろうか)
 その後ビザの更新のために国境を何度も行き来する中で、偏見が引き起こすトラブルを見聞きしたという。米国で子守に雇ったのは、7度目で国境突破に成功したメキシコ人女性(メキシコ人家政婦のエピソードは監督個人の見聞や経験が生かされているのか?)
 「これまで宗教や経済、人間の様々な考えがほかの文化を浸食するのには何年もかかったが、今はそれがごく短時間に起きる」
 「我々を隔てるのは言葉ではなく先入観」(確かに色眼鏡で人を見たり、物事を判断しがちだなあ…)。 
 グローバル化した世界の影の部分を見据えた『バベル』。6カ国語を話すスタッフや出演者と1年以上、3つの大陸を移動してのその撮影体験は、「とても奥深い人間的な旅だった」
 悲劇的な物語の結末にかすかな希望を滲ませたのは、撮影を通して 「コミュニケーションは違いを乗り越え生きるためにあるのだと勇気づけられた」から。
 メキシコ時代は番組の登場人物を創作し、挑発的な物語を作り
 「ものを書くことを学んだ。僕らの番組は流れる歌ではなく、歌と歌の間の出来事がすごい人気だったんだ」(見る者を戸惑わせる挑発的な物語の源泉はここにあったのか?!)
 今後は?
 「ハリウッドの大作でも映画を作る姿勢は変わらない。インディペンデントの精神で撮り続ける」
 
 これからも目が離せませんな―イニャリトゥ監督。
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