goo blog サービス終了のお知らせ 

はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

ブログ考

2006年11月10日 | 日々のよしなしごと
昨日、理由は不明なのですが
(もしかしたら、いただいたコメントが関係しているのかも) 、
私のブログが909アクセスを記録して、
今朝のAOLのブログ・ランキングで11位を記録しました。
これまでの最高記録は
300をちょっと超えたくらいだったと思うのですが、
それを大幅に上回る記録更新(というと大げさですが…)です。
別にこれと言って注目を浴びるような記事を
書いたつもりもないのですが、
アクセスされた方々はいったい何に反応されたのでしょうね?
おそらく、もう2度とこのようなことはないと思うので、
記念に写真に収めました(笑)。



そう言えば、11月8日付の日経夕刊に、劇作家の永井愛氏が
ブログについて以下のようなことを語っておられました。

ブログを始める人が増えている背景には、
自分を他人に見せることで自らを確認したい、
大げさに言えば生きている証をつかみたいということではないか。
誰かが読むから書くのであり、ネットがなかった頃に
皆が日記をつけていたとは思えない
(ちなみに私は小学校から結婚するまでの約10年間、
日記を付けていました。きっかけは『アンネの日記』を
読んでから。確かアンネを真似て日記帳に名前を付けて
いたような。しかし、結婚後もその日記帳を
実家の妹と共有していた押し入れに置いていたら、
私の許可なしに妹が勝手に捨ててしまったのでした。
私の小学校6年間の手作り文集も一緒に。
ショックでしたねえ。置いたままにしていた私も悪いけど。
少女時代に感銘を受けた『アンネの日記』。
彼女とペーターの家族が隠れ家にしていたアムステルダムの
家を訪ねたことがあります。便座に小花模様が描かれていたのに
とても切ない思いがしたのを覚えています)

やはり他人の目、他者を求めているのだと思う。
(中略)
いいブログを作ろうとするならば、(中略)
本人の思考力、観察力を高めることにつながるだろう。
(中略)
書くことは自分を記録すること。
記録しないと漠然とした記憶やイメージだけで過ごしてしまう。
文字で自分を対象化すると、新しい何かが見えてくる。
現代人は情報を取り入れるだけで
考えることをしなくなったと言われる。
だが、ブログという手間をかけて書く行為が
深く考える習慣につながれば素敵だなと思う。


ブログを肯定的に(プラスの側面を)捉えると、
そうなのかな、と思う。
実際ブログを書くようになって(今月末で1年になります)
それまで以上に情報のアンテナを張って、
以前なら見過していたであろうことにも
注意を払うようになりました。
そして取込んださまざまな情報を自分なりに咀嚼して、
ブログ記事を書くにあたって、
どのような切り口で迫れば興味深いものになるのか、
どの情報とどの情報を結びつけたら(できるだけ
一見結びつかないようなもの同志をハイブリッドに組み合わせる)

新たな視点を(読み手に?)提供できるのか
考えるようになりました。
そうした作業を通じて、
情報の取捨選択が以前より効率的に行えるようになり、
興味関心のある事柄だけでなく社会のトレンドについて、
自分なりの見解を持てるようになったような気がします。
以上が、ブログを1年間続けた成果でしょうか?

ところで、いろいろな方の映画のレビューを拝見するたびに
感じるのですが、
映画に原作がある場合(特に小説)
それを既に読まれている方が殆どですね。
文章を書くことが好きな方は、同じく読書家でもいらっしゃる。
これはほぼ間違いない。
「読む」ことと「書く」ことは密接に繋がっている。
その証拠に、自分がそれまで読んだ書物のレベルでしか、
人は文章を綴ることができない。
「文は人なり」ということでしょうか?
その意味で、ブログ記事は自分を晒け出す行為に他ならない。
怖いですね。私の日頃の勉強ぶりも、ここの記事で白日の下に…

とまれ、たとえ頭脳が明晰でなくとも、書き続けることで、
少しは研ぎ澄まされる部分があるのではないかと期待して、
(事情が許す限り)書き続けて行きたいと思っています。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なぜフジテレビが教育問題を... | トップ | 笑い事じゃない(`_´プンプン) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。