はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

太鼓持ちの評論家は要らない…

2007年05月22日 | 映画(2007-08年公開)
 さる掲示板で「ブロガーの映画批評は意味があるのか?」と言った主旨の投稿があった。私は「ある」と思っている。もちろん数多あるので玉石混淆なのは仕方ないとして…

 映画評論をメシの種にしているプロの評論家は、大抵一般の試写会よりも早く、映画会社や配給会社が用意している試写室で、会社からの招待を受けて見ている。想像するに、タダでいち早く見せて貰いながら、作品について大っぴらに批判をしようものなら、この次からはお呼びがかからなくなるのではないか?招待する側にしても、評論家の批評で、作品の”権威づけ”と宣伝をしたいはずである。互いの利害関係が一致しているからこそ、この商売は成り立つ。

 かつて深夜番組で、井筒監督が自腹批評をやっていたのは、こうした映画(制作or配給)会社と映画評論家の甘ったるい関係に一矢報いたかったのだろう。事実、最近プロの評論家が書く映画批評はつまらないものが多い。海外の主だった映画祭での評価、権威づけを盲信して、太鼓持ちに終始している評論家―自らの保身の為に、業界で生きて行く為に、本音が言えない評論家もきっと少なくないはず。ことさら自らの取材経験を披瀝して、忙しいと吹聴する評論家の記事に限って、文章が稚拙で、批評もてんで参考にならない薄っぺらい内容だったりする。

 寧ろ最近は、業界とは利害関係の一切ない、或いは希薄な一般のブロガーの映画批評の方が(試写会招待で見たとなると、心なしかトーンダウンしちゃうんだよね。私の場合(^_^;))、洞察鋭く、作品解釈が的確で、読み応えのある内容であることが多いような気がする。しかも既に多数の読者を得ている有名ブログだけでなく、アクセス数は少なくとも内容的に目を惹くブログも少なくない。

 プロとアマの境界線とは何なのだろう?と最近とみに思う。プロがアマを凌ぐ点は、強いて挙げるならば、プロならではの業界人脈や情報収集力だろうか?ブログ文化の浸透で、映画評論の世界は、新たな展開を見せていると思う。

《2007年5月22日の青空》
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