はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

自分達がしっかりしないと今に…

2006年12月14日 | はなこ的考察―良いこと探し
最近何度となく図書館利用者のマナーの悪さが
マスコミで取り上げられている。

公共財であるはずの図書館の蔵書に、
棒線が引かれていたり、落書きがされていたり、
雑誌は写真の部分が切り抜かれていたり、
一部ページが抜かれていたり…

これは例えば路上へのタバコやゴミのポイ捨て、
映画館での飲食後に出たゴミの放置、粗大ゴミの不法投棄、
街中至るところで見かけるスプレーインキでの落書き等と
同根の問題なのかもしれない。
こうした一連の行為が目立つ風潮に、
昨日のテレビ番組のコメンテーターは、
日本人のレベルが下がったとしか言いようがない」
と嘆いていた。私も同感だ。
少なからぬ人がそのことを感じていたのだろう。
その思いを掬い取るような本が昨年出てベストセラーになった。
藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)
既に何度となくマスコミに登場しているから
ご存知の方も多いと思う。

本書は、あたかも水戸黄門の葵の印籠のように
世界の言論で幅を利かせている”論理”万能主義の限界を説き、
それを補うべく日本は日本ならではの「情緒と形」を重んじよ、
その為には、かつての日本人の精神的支柱であった?はずの
武士道精神の復活が必要、と訴えている。
この点、かつても武士道精神の下に生きていたのは、
限られた階層の人達であったと思うが、
その美徳の部分を現代人も見倣えということなんだろう。
そして国家における「衆愚」の存在は否定しようのない事実で、
その暴走を止めるために真のエリート深く広範な教養に
裏打ちされた大局観と判断能力を持っており、且つ
「いざ」となれば国家と国民のために喜んで命を捨てる気概を
持った人
~の養成が不可欠だと説く。
やっぱり大衆とは愚かなものと相場が決まっているのかなあ…
それに藤原氏の定義する真のエリートと言えば、
今、思い浮かぶのは映画「硫黄島からの手紙」の登場人物
栗林中将だ。現代人では、残念ながら思い浮かぶ人がいない。

政治家も世の乱れ、人心の荒廃に危機感を覚え、
かつての日本人の美徳の復活を期すべく
(それともこの機に乗じて全体主義国家を築きたいのか?)、
教育基本法改正に動いている。
本来なら家庭教育で負うべき部分の教育まで、
家庭の教育力低下に伴い、
国の管理下に置かれようとしている。

公徳心の欠如した行為を重ねることは、
自分で自分の首を絞めているようなものだ。
このままでは「利用者の良心に訴える」から「罰則の規定、強化」
それに基づく「公権力の介入」へと段階は進んでゆく。
(特に冒頭で挙げた行為をしている人に気付いて欲しいのだが)
国民ひとりひとりがもっとしっかりしないと、
すべては国家に管理されることになるのではないか?
気がついた時には教育のみならず、
生活全般に至るまで管理され、
「公共の利益を守る」という大義名分で、
個人の自由は著しく制限され、手かせ足かせを嵌められ
身動きのとれない状態に置かれるようになるのではないか、
と危惧している。どうかこれも杞憂であって欲しい。

できれば自覚的に自らの行動を正して欲しいと思う。
(でも口頭で注意しても聞かない人が多いんだよね)
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