はなこのアンテナ@無知の知

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記事のその後(1)

2014年12月27日 | はなこ的考察―良いこと探し
 以前、書いた記事に関して、その後得た新たな情報をもとに、改めて考察することがある。記事は書いたら書きっぱなしではなく、常にその内容が公正なものであったのか検証するのも、書き手としての誠実な態度だと思うし、もし、誤りがあれば、それを正す柔軟性を持った人間でありたいと思う。

 10月に『都市部に子どもの居場所はないのか?』と言うタイトルで記事を書いた。共働き世帯の増加に伴い、親が就労中に子どもを預かる保育施設の建設が、特に都市部で急ピッチで進んでいるが、そのことで行政と地域住民との間で軋轢が生じている、と言うニュースを目にして感じたことを率直に綴ったものだ。

 後日、NHKの情報番組『クローズアップ現代』でも、この問題が取り上げられた。

 それによれば、保育園建設に異を唱える地元の老人グループにも、彼らなりの言い分があるようだ。番組で取り上げられたのは、地域の老人の憩いの場であった公園を潰して、保育所建設が強行されたケースである。

 それに対して、番組では、当初は保育所建設に反対の立場を取っていた地域のリーダー格の男性が、行政側との粘り強い話し合いと、保育園側との積極的な交流を通して、次第に態度が軟化した他のケースを紹介し、保育園建設を巡る問題の原因のひとつとして、行政と地域住民とのコミュニケーション不足を指摘していた。特に行政側の、地域住民に対して有無を言わせない高圧的な姿勢が、地域住民の反発を生んでいるように感じた。

 前者のケースに関して言えば、地域住民が日常的に利用し貴重な交流の場であった公園を保育園建設の為に潰すならば、地域住民の為に公園に代わる場所を行政側は責任を持って用意すべきであったと思う。

 地価の高い都市部ならではの発想なのかもしれないが、公共的な土地の活用を、民有地と同様の考え方で"金銭的な損得勘定で判断する"のは誤りである。都市の中での孤立、孤独死が懸念される現代にあって、地域住民同士の交流は、住民の孤立化予防の重要なファクターである。行政が公共の福祉として、地域住民の交流の場を積極的に作りこそすれ、逆に奪うと言うのは本来あってはならないことだ。

 ニュース番組ではほんの数秒で事象のエッセンスを伝えるがゆえに、そこからこぼれ落ちる様々な事実がある。そこにも目配りをした上で、ことの是非を判断しなければいけないのだなと、改めて思った。

 また、番組では社会学者の興味深い研究も紹介していた。それは、老人、親、子の三世代の、同一地域における遊び場の変遷である。これによれば、当初は街のそこかしこにあった空地が、年々都市化が進んだことで、子世代では殆ど消失している。

 このことは、何を意味するのか?街から子どもの遊ぶ姿が消えたのである。今や、公園でもキャッチボールやドッチボール、サッカーなど、ボール遊びは禁止である。ましてや交通量が多い道路では遊べない。しかも親世代の時代にテレビゲームのような室内ゲーム機も登場し、子ども達は殆ど室内で遊ぶようになった。

 こうした変化は、子ども同士の関係や、子どもと地域住民との関係にも確実に影響を与えた。まず、異年齢で連れ立って大勢で遊ぶ機会が減った。もっぱらゲームを介して同年代との遊びが増えたのだ。さらに、子どもと地域住民が直接触れあう機会も激減した。特に子どもと老人が話す機会は殆どなくなった。これにより、互いに壁が出来てしまう。互いにとって、相手は理解できない異質な存在になった。このことが、老人世代の子どもアレルギーに繋がっているようだ。子どもの声が、(特に普段、孫との接触もない)老人世代には騒音にしか聞こえないのだ。

 先日、美術館のワークショップに近隣の都立高校生も参加したのだが、開催後の反省会で、一人の生徒が「私は正直言って子どもが苦手なのですが、今日はワークショップで沢山の子どもと接して、少し苦手意識も減ったように思います」との感想を述べた。これも異年齢で遊ぶ機会が減ったせいなのだろうか。私から見れば、高校生もギリギリで子どもの範疇(←子どもと大人の端境期?)である。実際、つい数年前までは小学生だったではないか?それでも、高校生にとっては最早、小学生は異質な存在なのだ。結局、今や各世代間で交流が途絶しているので、互いが相手を異質な存在として捉えるようになっているのかもしれない。

 このことを端的に現しているのが、世代を超えて愛されるヒット曲が久しくないこと、つい最近でも、若者の間で人気を博している「進撃の巨人」や、子どもの間で大人気の「妖怪ウォッチ」が、大人世代の私には、どんな内容で、何が彼らを惹きつけているのか、さっぱり分からないこと、だろうか?

 保育所建設を巡る問題は、図らずも、現代の都市部が抱える問題~世代間交流の途絶による相互不信~を浮かび上がらせたように思う。逆に言えば、世代間交流をもっと積極的に行えば、世代間の無用な溝も埋まり、誰にとっても、より生きやすい社会になるということなのだろう。
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