私が30年近く前に上京して来たのは、ひとつには、地方ではなかなか見ることのできない美術展や舞台演劇を見たい、と言う思いがあったからだ。
昨日は歌舞伎役者の中村勘三郎が亡くなった。そのことを朝のニュースで知って驚いた。いつかは、その舞台を見てみたいと思っていた歌舞伎役者だったから、それがもう叶わないと思うと、本当に残念だ。
今年はつい1カ月前の11月10日に、女優の森光子も逝ってしまった。
私の舞台演劇への憧れは、思い返せば中学生の時に芽生えたものだった。郷里の親友の家に、親友の母が若き日に杉村春子の主演舞台「女の一生」を見た時に買い求めたと言う写真パネルが飾られていて、それを初めて見た時、私もいつの日か「大女優」と呼ばれる女優の代表作の舞台を生で見たいと思った。
その意味で、森光子は気になる女優だった。その森光子と、今から約20年前に、帰国休暇を終えてロンドン経由で赴任地に戻る途中、同じ飛行機に乗り合わせたことがあった。彼女は当時から公私共に仲の良かった東山紀之や、マネージャーとして常に彼女の側にいたという実の妹さんと共にファースト・クラス、私は家族でビジネス・クラスに搭乗していたが、幼児連れの私はロンドン到着時にビジネス・クラスの中でも優先的に降りられた為、預け荷物受取所へと向かうエスカレーターでは、森光子から1人(マネージャーの妹さん)置いた後ろに立ち、彼女を間近に見ることができた。
時折、振り返って妹さんと話をする彼女の顔を、内心ドキドキしながら見た。大きめのサングラスをかけ、化粧気のない、既に当時70歳を越えていたであろう彼女の肌は、シミひとつなくツヤツヤとしていた。それまでにも、行く先々の空港で数多くの芸能人を見かけたことがあったが、彼女ほどの大御所を間近に見たのは初めてだったので、その印象は鮮烈だ。
それから15年ほど経過した2009年に、やっと彼女の代表作である「放浪記」の舞台を見た。その前年から彼女の体調を考慮して、劇中名物の「でんぐり返し」は取りやめとなり、出演者全員で万歳三唱と言う演出に変更されていた。
当時、既にテレビで見かける彼女は急速に生気を失い、うつろな表情を見せることが多くなっていた(この頃、妹さんを亡くされたらしい) 。「今年を見逃すと、もう見られないかもしれない」胸騒ぎを覚えた私は、上演回数2000回を目前にした舞台を思い切って見に行った。
林芙美子になりきった舞台上の彼女は、テレビ映像では近年とみに目立つ寄る年波を一切感じさせなかった。演技を終えて、ひとり舞台の中央に再登場し、満員の観客へ挨拶をした時の彼女の姿は一転して儚げで、弱々しいものであった。演じ終えた直後の疲れもあったとは言え、つい数分前まで舞台で躍動していた同一人物とは思えなかった。林芙美子を演じている間は、渾身の力を振り絞っていたのであろうか?そのあからさまな落差に、私は彼女の女優魂、プロ根性を見たような気がした(彼女の演技力に関して、辛口な評価を目にしたこともあるが、少なくとも彼女は、「森光子と言う女優としての人生」を立派に全うした人だと思う)。
そして結局、彼女はこの年を最後に、「放浪記」の舞台に上がることはなかったのである。
だから、つくづく思うのだ。
今、もし何か見たい舞台、映画、展覧会があれば、迷うことなく見た方がいい。もし、どこか行きたい場所があるのなら、時間をやり繰りしてでも行った方がいい。もし、会いたい人がいるのなら、ためらうことなく会った方がいい。その機会はもう2度と巡って来ないかもしれないのだから。
そして、何かやりたいことがあるのなら、清水の舞台から飛び降りるつもりで、失敗を恐れず挑戦したらいい。「今の自分」としての人生は1度しかないのだから…
末筆ながら、森光子さんと中村勘三郎さんのご冥福をお祈り致します。
昨日は歌舞伎役者の中村勘三郎が亡くなった。そのことを朝のニュースで知って驚いた。いつかは、その舞台を見てみたいと思っていた歌舞伎役者だったから、それがもう叶わないと思うと、本当に残念だ。
今年はつい1カ月前の11月10日に、女優の森光子も逝ってしまった。
私の舞台演劇への憧れは、思い返せば中学生の時に芽生えたものだった。郷里の親友の家に、親友の母が若き日に杉村春子の主演舞台「女の一生」を見た時に買い求めたと言う写真パネルが飾られていて、それを初めて見た時、私もいつの日か「大女優」と呼ばれる女優の代表作の舞台を生で見たいと思った。
その意味で、森光子は気になる女優だった。その森光子と、今から約20年前に、帰国休暇を終えてロンドン経由で赴任地に戻る途中、同じ飛行機に乗り合わせたことがあった。彼女は当時から公私共に仲の良かった東山紀之や、マネージャーとして常に彼女の側にいたという実の妹さんと共にファースト・クラス、私は家族でビジネス・クラスに搭乗していたが、幼児連れの私はロンドン到着時にビジネス・クラスの中でも優先的に降りられた為、預け荷物受取所へと向かうエスカレーターでは、森光子から1人(マネージャーの妹さん)置いた後ろに立ち、彼女を間近に見ることができた。
時折、振り返って妹さんと話をする彼女の顔を、内心ドキドキしながら見た。大きめのサングラスをかけ、化粧気のない、既に当時70歳を越えていたであろう彼女の肌は、シミひとつなくツヤツヤとしていた。それまでにも、行く先々の空港で数多くの芸能人を見かけたことがあったが、彼女ほどの大御所を間近に見たのは初めてだったので、その印象は鮮烈だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/88/4b5fd3917fec3c60de888154c20cfee6.jpg)
当時、既にテレビで見かける彼女は急速に生気を失い、うつろな表情を見せることが多くなっていた(この頃、妹さんを亡くされたらしい) 。「今年を見逃すと、もう見られないかもしれない」胸騒ぎを覚えた私は、上演回数2000回を目前にした舞台を思い切って見に行った。
林芙美子になりきった舞台上の彼女は、テレビ映像では近年とみに目立つ寄る年波を一切感じさせなかった。演技を終えて、ひとり舞台の中央に再登場し、満員の観客へ挨拶をした時の彼女の姿は一転して儚げで、弱々しいものであった。演じ終えた直後の疲れもあったとは言え、つい数分前まで舞台で躍動していた同一人物とは思えなかった。林芙美子を演じている間は、渾身の力を振り絞っていたのであろうか?そのあからさまな落差に、私は彼女の女優魂、プロ根性を見たような気がした(彼女の演技力に関して、辛口な評価を目にしたこともあるが、少なくとも彼女は、「森光子と言う女優としての人生」を立派に全うした人だと思う)。
そして結局、彼女はこの年を最後に、「放浪記」の舞台に上がることはなかったのである。
だから、つくづく思うのだ。
今、もし何か見たい舞台、映画、展覧会があれば、迷うことなく見た方がいい。もし、どこか行きたい場所があるのなら、時間をやり繰りしてでも行った方がいい。もし、会いたい人がいるのなら、ためらうことなく会った方がいい。その機会はもう2度と巡って来ないかもしれないのだから。
そして、何かやりたいことがあるのなら、清水の舞台から飛び降りるつもりで、失敗を恐れず挑戦したらいい。「今の自分」としての人生は1度しかないのだから…
末筆ながら、森光子さんと中村勘三郎さんのご冥福をお祈り致します。