Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

病院で絞殺

2006-03-19 | 想い・雑感
 多くの病院は、外部からの侵入に弱い。基本的に外に開かれた構造になっている。特に夜間の病棟は、1病棟に看護師2~3人というところが多く、状態の悪い方が一人でもいれば、かなりそこに手が取られる。また、病室に入っていれば、人の出入りを完全に看護師が完全に管理するのは難しい。患者さんの貴重品が盗まれるという事件も時に起こる。

 医局などはもっと開放的。ほとんど好きなものを持って行ってという状態の所もある。私の勤務する病院でも、医師の私物が盗まれ、ようやくカギがかかるようになった。

 このように窃盗被害が起こりうることは、予想できるが、殺人まで起こるとは思わなかった。まだ詳細はわからないが、島根県の総合病院で、入院中の方が絞殺された様子である。犯人が侵入者か否かもわからないが、これが現実とすれば、病院はもっと人の出入りに厳しくなる必要が有ると思う。だが実際どうするか。救急外来を開いている場合、当然そこは院内。病棟ともつながっている。

デジタル

2006-03-19 | 想い・雑感
 世はデジタル時代。0と1の行進。

 便利な道具がたくさん出来てくるのはいいけれど、日本人の心象はデジタル世界からは遠いような気がする。見上げる月や、ふと聞こえてくる鳥の声、春の風や散りゆく桜。そのような情景から感じるものをどうやってデジタル化出来るのだろうか。

 生と死。
 並べると対立するものとして、その区別ははっきりしているようだが果たしてそうか。
 
 脳死を死と定義したとしても、生から死への移行に区切りをつけるのが難しい。多くの場合は、生から死へはゆっくりと移ろっていく。

 意識。心臓の鼓動。呼吸回数や呼吸の仕方。脈の強さ。体温。

 いろいろな生を示す活動が徐々に死へと向かっていく。その途中に明確な区切りをつけるのは困難だ。

 医者から臨終を告げられたとしても、手を握りしめその体温を感じ、顔を撫でてその柔らかさに触れれば、まだ死んだとは思えないのがふつうであろう。荼毘に附される直前でも、まだ亡くなった人の存在を確実に感じることだって有るわけだから。

 多くの事象に白黒はっきり出来ない領域があることを深く認識してきたはずの日本人。でも表層的に西洋かぶれして、善か悪か、好きか嫌いか、など単純な二律背反思考に陥る人が多くなってきてないだろうか。

 デジタル思考も大切だが、アナログ思考の中に心の柔らかさ、優しさが有るような気がする。自分側にだけ正義があるという硬直した考えから、争いは生まれる。

入院患者の急変

2006-03-19 | 想い・雑感
 入院中の患者さんが急変した場合や状態が不安定な場合など、病院や診療科によっては、完全に当直医任せの所もあるが、多くの場合夜中でも主治医が呼ばれると思う。確かに当直医に任せても良いのだが、やはり自分が診ないとすこし心配と言うところもある。翌日に手術が有ったりするときついが、車をとばして病院へ向かう。

 先日、患者急変の報で病院へ急ぐ医師が、交通事故を起こしたというニュースがあった。身につまされる。

 夜中に呼ばれていくとき当然公共交通機関は使えないが、タクシー代を出してくれる病院などほとんど無いであろう。

 医療の様々な問題は、個々の医師の中に赤ひげを求めて何とかなるようなものではない。でもメディアというのは多くの場合、個々の医療関係者の責任に問題を矮小化する。

 私たちはどう動けば、よりよい医療システムに向かっていけるのだろうか。目の前の患者さんを何とかすること、技術や知識を身につけることに懸命な医師がほとんどであろう。政治とどう関われば光が見えるのか見当がつかない。