Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

説明責任

2006-03-27 | 想い・雑感

  医療現場では、説明責任を強く求められる。個人の命に関わることであり、理解できるように説明する義務は当然ある。 

 政策決定には多くの人の命に関わるような場合が多いわけだから、なおさら説明責任という言葉の重みを真摯に考えていただく必要がある。

 今回、佐賀県知事がプルサーマル計画を受け入れた件についてはどうであろうか。現実に原発が稼働しているのだから、核燃料の再利用は検討を要することかもしれない。しかし、説明責任という視点から見て、はたして意を尽くしたのだろうか。 

 佐賀県知事は、県民に対する、特に多くの署名を集めて意思表明をした人たちに対する説明に、どれくらいの時間を割いたのだろうか。「国が安全を保証してくれた」ということが、説明になっているのだろうか。

 国はどうだろうか。受け入れ先の県や町との間だけで話を進めるのでなく、事故があれば多大な影響を受ける、周囲の県や地域に対しても説明責任があるのではないだろうか。

 ちなみに私だったら説明してほしいなと思うことは、

 1:管理補修体制はどの程度信頼できるのか、

 2:自然災害、特に福岡西方沖地震のようなものに対する安全性確保のために、震度どれくらいまでを想定して安全対策をとるのか。

 3:日本自体がテロの攻撃に弱い国だと思うが、テロ対策はどうしているのか。特に、施設自体への攻撃とプルトニウム略奪への対策が気になる。

 4:現在の日本で、さらに電力の需要は増すのか。それほど消費が伸びないのであれば、代替エネルギー開発にお金をつぎ込んだ方がいいのではないか。

 5:ウランとプルトニウムを混ぜて使用しても、またプルトニウムができるのではないのか。

 6:再利用後の廃棄物はどのように処理するのか   などである。

 プルサーマル計画の内容をほとんど知らない私でも、これくらいの疑問はすぐわいてくる。  放射能汚染は、現在生きている人間だけでなく、今後数万年にわたっての責任である。手術の説明でも1時間はかけて行うのだから、放射性物質の扱いに関してはもっと時間をかけた丁寧な説明が必要と思う。広島、長崎の原爆から約61年、チェルノブイリから約20年程度で、放射能の恐ろしさに対する感覚を風化させていいのだろうか。私たちに本当の恐ろしさを理解させた上で、それでも大丈夫なんですよというところを説明してもらわないと、安心できない。