原爆投下問題についての「しょうがない」発言でみそをつけ、引責辞任した久間章生氏の後任として小池百合子氏が7月4日、防衛相に就任した。
5日付の朝刊を読んでいて、「女性初の防衛閣僚就任については『初めての女性というとことで、オンリーワン大臣を目指したい』と意気込みを見せた」(朝日新聞4面)のくだりには苦笑させられた。
小池氏が「オンリーワン」というカタカナ言葉にどんな気概をこめたのかは、新聞を読んでもよく分からない。一方、真珠湾攻撃の前に、すでに生まれていた世代である筆者は、「オンリーワン」などといわれると、「シンチーグン(進駐軍)、パンパン、オンリー」などという古い言葉をつい思い出してしまう。パンパンは不特定多数の進駐軍兵士を相手に売春をする人、オンリーは決まった将兵の愛人や現地妻など「オンリーワン」と相手を限定できる境遇の人を意味した。明治期の侮蔑語「ラシャメン」(洋妾)のようなものである。
思えば、朝鮮戦争を機に、アメリカの要請で警察予備隊が生まれ、それが保安隊になり、自衛隊となった。ついこの間、防衛庁が防衛省に昇格し、海外派遣(派兵)のしばりも緩められ、本来任務となった。日米安全保障条約の下で、アメリカの核の傘に入れてもらう代わりに、米国の世界戦略の下請けを自衛隊にさせてきたのである。
右よりの人は、こんな日本を美しくないと繰り返し毒づいてきた。たとえば、「日本はメカケ同然」発言で当時の農林大臣を辞めることになった、倉石忠雄氏をめぐる1967年2月7日の第58回国会衆院予算委員会を議事録で見てみよう。
*
○柳田委員 昨日、倉石農林大臣は、閣議終了後、午前九時半から約三十分にわたって、院内で農林省記者と会見を行なわれました。その席での倉石農林大臣の発言は、おおむね次のようでございます。これは本日の日刊紙に載っておるのを、私は、事、重大でありますから、全文読み上げます。
見出しは、「日本はメカケ同然」次の見出しは「原爆・30万の軍隊を」こういうことになっています。
“プエブロ事件”以来の緊張で日本海西方海域で出漁する漁船の安全が脅かされるようになったため、政府は六日までに米ソ両国に対して「日本漁船の安全操業について留意してほしい」注意を喚起した。倉石農相は六日閣議後の記者会見で、この問題に触れ「土足で庭さきにふみ込まれているのに水産庁長官からおそるおそる申し入れなどやっているようでは話にならない。軍備や大砲を持たなければだめだ」と強硬な軍備拡張論をぶって注目を集めた。
これがニュースであります。
「同農相の発言要旨次の通り。」――これからが農林大臣の発言要旨であります。
一、日本海での漁船の安全操業についてはきょうの閣議で発言する時間はなかったが、なにしろ軍艦や大砲を背景に持たなければだめだ。他国の誠意と信義に信頼している憲法は他力本願だ。右のほおを打たれたら左のほおも出してやるということではいまの世界では生きてゆけない。
一、土足で庭先に踏み込まれているのに水産庁長官からおそるおそる申し入れなんかやっているようではだめだ。佐藤首相も”平和憲法”をいっているけれど腹のなかではくすぐったいだろう。こんなばかばかしい憲法を持っている日本はメカケみたいなもので自立する根拠がない。自分の国は守っていかねばならない。他人のお情で生きている。われわれはよいとしてあとからくる若い人のためいまのうちに立て直さなければいけない。
同農相はあっけにとられる記者団に「これに比べれば米価審議会なんて吹けば飛ぶようなケチなものだ」と気勢をあげ、最後に「日本も原爆を持って三十万人の軍隊でもあったら……」といいかけて開会の迫った衆院予算委員会に出席のため席を立った。
以上が日刊紙の伝うるところによる倉石農林大臣の発言要旨であります。事は重大でありまするがゆえに、私はこれから二、三農林大臣にただしたいと思います。
この新聞の記事は、ひとりこの日刊紙のみならず、昨夜のTBSテレビもこれを取り上げております。また大同小異のことは本日の各紙もこれを取り上げております。農林大臣、この発言に対して責任を持たれますか。
○倉石国務大臣 お答えいたします。
事柄が昨日のことでありますから、私はきわめて記憶は明らかだと思いますが、だいぶ誇張と粉飾があるようでありまして、私の真意を伝えておりません。
昨日、内閣の閣議が済みましてから、衆議院の食堂において行なわれておりました記者会見に臨みましたが、私の所管の農林関係の事項がありませんでしたので、きょうは何にもありませんでしたと……。しかし、いつもあの食堂でやる記者会見には、ミカンやコーヒーも出ておりますので、まだ時計を見たら予算委員会の始まる前でありましたので、例によって雑談をいたしておったわけであります。
そこへ水産庁長官が、報告の事項がありまして、ちょっと顔を出したのを見て、ある一人の記者が、日本海のことについてはどうなりましたかということでしたから、農林省は、外交ルートを通じて、ロシア、アメリカそれから韓国、この三カ国に向かって申し入れをいたしておる、こういうことを申したのでありますが、そのときに私はこういうことを申しました。
大体私は農林大臣になる前からたいへんふがいなく思っておりますのは――終戦後のわが国においては、昔はかってなかったような、北方においても南方においても、あるいは李承晩ラインというようなものをきめられて、そうしてその中に入るものは、わが国の漁船がどんどん拿捕されるというような、国益を侵害されておるようなことについて、軍事力を伴わない国の外交というものには限度があるんだなあと私は思っておりました。そのときに私が――柳田さんも御承知のように、われわれが青年時代に、国際連盟というものがありました時代に、チェコスロバキアのベネシュという有名な外務大臣がありまして、かなり大国を手玉にはとりましたけれども、やっぱりそのバックがチェコという国であるので、彼の手腕にも限界があった。したがって、いま国際連合の中でも、大国といわれるのはアメリカであり、ソビエトロシアであり、そういう国々が大国と常にいわれておるのだ、われわれはそういうことを考えてみると、いま申しましたように、軍事力の伴わない国家の外交というものは世界歴史の上においてやっぱり限界があるんだなあと、こういうふうにも思い、そのようにも話しました。
しかし、そこで、いまお話の中にありました憲法でございますが、たとえば、日本の憲法でも、先ほど柳田さんのお話しのございましたように、憲法の前文には、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、こう書いてあります。つまり、このわれわれの持っておる憲法を守ってまいりますためには、その前段において、諸外国の公正と信義が守られるということが前提である。そこで私は申したのでありますが、たとえば親鷺上人の言われるような他力本願、またはキリストの教えのあるように、右のほおを打つ者あらば左のほおを打たせよという、そういうやり方も、人間としての人生哲学にはあるいはそういう考え方も成り立つかもしれないけれども、国家の存立のためには、私どもは十分考えなければならないのではないだろうかと、こういうことを申しました。
そこで、いまの世の中は、私どもが働く、われわれのしかばねを越えて将来日本民族の発展のために日本をリードされるのは、あなた方若いインテリゲンチアなんだから、しっかり勉強してくれよ、こういうことを言って食堂を退出したわけでありまして、私は原爆云々とか三十万とかなんとか、そういうことを申したわけではありませんが、いまのような大事な国政審議の途中で、内閣に席を持っております者が、たとえ会見後の雑談でお茶飲み話でありましても、とかく物議をかもすような御心配をおかけいたしましたことは、私はまことに恐縮に存じておる次第でございます。それが私の真意でございます。
*
選挙公約で内容空疎な美辞麗句を並べ立て、神社の新年賽銭のように熊手で票をかき集める暮らしを長々と続けてきた政治家に、いまさら言葉は言霊でありロゴスであるとお説教してもはじまらないだろう。政治家にとって言葉は鴻毛のごとくかるいものであるにせよ、小池「オンリーワン」発言の真意は何だろうか。「お妾ニッポンは恥だ。憲法を改正して普通の軍隊を持つ普通の国になりたいが、ハードルはなお高い。米国のオンリーさんとして、これまでどおり、その世界戦略の下請けにいそしみたい」という自嘲的意思表明だったのだろうか? それとも、何の意味もない言葉の厚化粧にすぎなかったのだろうか? どうせ、参院選後の内閣改造、場合によっては総辞職までのワンポイント・リリーフなのだから、深く詮索してもはじまらないのだけれど……。
(花崎泰雄 2007.7.5)
5日付の朝刊を読んでいて、「女性初の防衛閣僚就任については『初めての女性というとことで、オンリーワン大臣を目指したい』と意気込みを見せた」(朝日新聞4面)のくだりには苦笑させられた。
小池氏が「オンリーワン」というカタカナ言葉にどんな気概をこめたのかは、新聞を読んでもよく分からない。一方、真珠湾攻撃の前に、すでに生まれていた世代である筆者は、「オンリーワン」などといわれると、「シンチーグン(進駐軍)、パンパン、オンリー」などという古い言葉をつい思い出してしまう。パンパンは不特定多数の進駐軍兵士を相手に売春をする人、オンリーは決まった将兵の愛人や現地妻など「オンリーワン」と相手を限定できる境遇の人を意味した。明治期の侮蔑語「ラシャメン」(洋妾)のようなものである。
思えば、朝鮮戦争を機に、アメリカの要請で警察予備隊が生まれ、それが保安隊になり、自衛隊となった。ついこの間、防衛庁が防衛省に昇格し、海外派遣(派兵)のしばりも緩められ、本来任務となった。日米安全保障条約の下で、アメリカの核の傘に入れてもらう代わりに、米国の世界戦略の下請けを自衛隊にさせてきたのである。
右よりの人は、こんな日本を美しくないと繰り返し毒づいてきた。たとえば、「日本はメカケ同然」発言で当時の農林大臣を辞めることになった、倉石忠雄氏をめぐる1967年2月7日の第58回国会衆院予算委員会を議事録で見てみよう。
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○柳田委員 昨日、倉石農林大臣は、閣議終了後、午前九時半から約三十分にわたって、院内で農林省記者と会見を行なわれました。その席での倉石農林大臣の発言は、おおむね次のようでございます。これは本日の日刊紙に載っておるのを、私は、事、重大でありますから、全文読み上げます。
見出しは、「日本はメカケ同然」次の見出しは「原爆・30万の軍隊を」こういうことになっています。
“プエブロ事件”以来の緊張で日本海西方海域で出漁する漁船の安全が脅かされるようになったため、政府は六日までに米ソ両国に対して「日本漁船の安全操業について留意してほしい」注意を喚起した。倉石農相は六日閣議後の記者会見で、この問題に触れ「土足で庭さきにふみ込まれているのに水産庁長官からおそるおそる申し入れなどやっているようでは話にならない。軍備や大砲を持たなければだめだ」と強硬な軍備拡張論をぶって注目を集めた。
これがニュースであります。
「同農相の発言要旨次の通り。」――これからが農林大臣の発言要旨であります。
一、日本海での漁船の安全操業についてはきょうの閣議で発言する時間はなかったが、なにしろ軍艦や大砲を背景に持たなければだめだ。他国の誠意と信義に信頼している憲法は他力本願だ。右のほおを打たれたら左のほおも出してやるということではいまの世界では生きてゆけない。
一、土足で庭先に踏み込まれているのに水産庁長官からおそるおそる申し入れなんかやっているようではだめだ。佐藤首相も”平和憲法”をいっているけれど腹のなかではくすぐったいだろう。こんなばかばかしい憲法を持っている日本はメカケみたいなもので自立する根拠がない。自分の国は守っていかねばならない。他人のお情で生きている。われわれはよいとしてあとからくる若い人のためいまのうちに立て直さなければいけない。
同農相はあっけにとられる記者団に「これに比べれば米価審議会なんて吹けば飛ぶようなケチなものだ」と気勢をあげ、最後に「日本も原爆を持って三十万人の軍隊でもあったら……」といいかけて開会の迫った衆院予算委員会に出席のため席を立った。
以上が日刊紙の伝うるところによる倉石農林大臣の発言要旨であります。事は重大でありまするがゆえに、私はこれから二、三農林大臣にただしたいと思います。
この新聞の記事は、ひとりこの日刊紙のみならず、昨夜のTBSテレビもこれを取り上げております。また大同小異のことは本日の各紙もこれを取り上げております。農林大臣、この発言に対して責任を持たれますか。
○倉石国務大臣 お答えいたします。
事柄が昨日のことでありますから、私はきわめて記憶は明らかだと思いますが、だいぶ誇張と粉飾があるようでありまして、私の真意を伝えておりません。
昨日、内閣の閣議が済みましてから、衆議院の食堂において行なわれておりました記者会見に臨みましたが、私の所管の農林関係の事項がありませんでしたので、きょうは何にもありませんでしたと……。しかし、いつもあの食堂でやる記者会見には、ミカンやコーヒーも出ておりますので、まだ時計を見たら予算委員会の始まる前でありましたので、例によって雑談をいたしておったわけであります。
そこへ水産庁長官が、報告の事項がありまして、ちょっと顔を出したのを見て、ある一人の記者が、日本海のことについてはどうなりましたかということでしたから、農林省は、外交ルートを通じて、ロシア、アメリカそれから韓国、この三カ国に向かって申し入れをいたしておる、こういうことを申したのでありますが、そのときに私はこういうことを申しました。
大体私は農林大臣になる前からたいへんふがいなく思っておりますのは――終戦後のわが国においては、昔はかってなかったような、北方においても南方においても、あるいは李承晩ラインというようなものをきめられて、そうしてその中に入るものは、わが国の漁船がどんどん拿捕されるというような、国益を侵害されておるようなことについて、軍事力を伴わない国の外交というものには限度があるんだなあと私は思っておりました。そのときに私が――柳田さんも御承知のように、われわれが青年時代に、国際連盟というものがありました時代に、チェコスロバキアのベネシュという有名な外務大臣がありまして、かなり大国を手玉にはとりましたけれども、やっぱりそのバックがチェコという国であるので、彼の手腕にも限界があった。したがって、いま国際連合の中でも、大国といわれるのはアメリカであり、ソビエトロシアであり、そういう国々が大国と常にいわれておるのだ、われわれはそういうことを考えてみると、いま申しましたように、軍事力の伴わない国家の外交というものは世界歴史の上においてやっぱり限界があるんだなあと、こういうふうにも思い、そのようにも話しました。
しかし、そこで、いまお話の中にありました憲法でございますが、たとえば、日本の憲法でも、先ほど柳田さんのお話しのございましたように、憲法の前文には、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と、こう書いてあります。つまり、このわれわれの持っておる憲法を守ってまいりますためには、その前段において、諸外国の公正と信義が守られるということが前提である。そこで私は申したのでありますが、たとえば親鷺上人の言われるような他力本願、またはキリストの教えのあるように、右のほおを打つ者あらば左のほおを打たせよという、そういうやり方も、人間としての人生哲学にはあるいはそういう考え方も成り立つかもしれないけれども、国家の存立のためには、私どもは十分考えなければならないのではないだろうかと、こういうことを申しました。
そこで、いまの世の中は、私どもが働く、われわれのしかばねを越えて将来日本民族の発展のために日本をリードされるのは、あなた方若いインテリゲンチアなんだから、しっかり勉強してくれよ、こういうことを言って食堂を退出したわけでありまして、私は原爆云々とか三十万とかなんとか、そういうことを申したわけではありませんが、いまのような大事な国政審議の途中で、内閣に席を持っております者が、たとえ会見後の雑談でお茶飲み話でありましても、とかく物議をかもすような御心配をおかけいたしましたことは、私はまことに恐縮に存じておる次第でございます。それが私の真意でございます。
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選挙公約で内容空疎な美辞麗句を並べ立て、神社の新年賽銭のように熊手で票をかき集める暮らしを長々と続けてきた政治家に、いまさら言葉は言霊でありロゴスであるとお説教してもはじまらないだろう。政治家にとって言葉は鴻毛のごとくかるいものであるにせよ、小池「オンリーワン」発言の真意は何だろうか。「お妾ニッポンは恥だ。憲法を改正して普通の軍隊を持つ普通の国になりたいが、ハードルはなお高い。米国のオンリーさんとして、これまでどおり、その世界戦略の下請けにいそしみたい」という自嘲的意思表明だったのだろうか? それとも、何の意味もない言葉の厚化粧にすぎなかったのだろうか? どうせ、参院選後の内閣改造、場合によっては総辞職までのワンポイント・リリーフなのだから、深く詮索してもはじまらないのだけれど……。
(花崎泰雄 2007.7.5)