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吉本隆明  1924-2012 その3 『マチウ書試論』

2012-04-13 23:23:54 | Weblog

吉本隆明のエッセイ『マチウ書試論―反逆の倫理』(『吉本隆明全著作集4』勁草書房、1969年所収)は次のように始まる。

「マチウ書の作者は、メシヤ・ジェジュをヘブライ聖書のなかのたくさんの予約から、つくりあげている」

さて、ジェジュとはいったい誰だ?

吉本はこのエッセイで、イエスを「ジーザズ」でも「ヘスス」でも「イエスス」でもなく「ジェジュ」と、マタイを「マチウ」と、モーゼを「モイズ」と、フランス風に表記している。ならば、「メシヤ・ジェジュ」は、いっそ「メシ・ジェジュ」と表記した方が、フランス語風の表記の平仄が合うというものだ。吉本は、エッセイの末尾で、聖書のテキストとして、La Sainte Bible par Louis Segond を用いたと断っている。その理由を、日本語版聖書の文語体の荘厳で曖昧な一種の名訳を引用する気になれなかった、と説明している。だが吉本はこのことで、やがてきついしっぺがえしをくらうことになる。

吉本がテキストに使ったフランス語版マチウ(マタイ)福音書では「メシア」という語は一度も使われていない。マチウ福音書の第1章第1節は、Généalogie de Jésus Christ, fils de David, fils d'Abraham とメシアでなく、メシアのギリシャ語訳にあたる「キリスト」を使っている。

使用されたルイ・スゴン版新約聖書の中で、メシアという言葉がつかわれた数少ない例のひとつは Ce fut lui qui rencontra le premier son frère Simon, et il lui dit: Nous avons trouvé le Messie (ce qui signifie Christ).( ヨハネ伝1章41節)である。

日本ではなじみの薄いフランス語版の聖書をテキストに使い、ジェジュ、マチウ、モイズという聞きなれない名前を並べ立てたのは、なにをねらった吉本の「仕掛け」だったのだろうか?

吉本のこのエッセイは1954年から55年にかけて書かれ、59年にまとめて発表された。エッセイは3章に分れ、1章と3章がマタイ伝と原始キリスト教とユダヤ教の関係を論じ、その間にある第2節では、ドストエフスキーをめぐる神学的考察が展開されている。したがって、ジェジュ、マチウ、モイズという表記は、イエス、マタイ、モーゼという表記がもたらす聖書臭さを薄め、エッセイを文芸批評として読ませようという意図があったのだろうか?

だが、この稿の筆者は『マチウ書試論』の文芸批評的部分はさておき、聖書学にかかわる部分について論評したいと思う。

吉本は『マチウ書試論』で、①キリストは存在しなかった②原始キリスト教会はユダヤ教会の分派だった③分派活動をめぐって原始キリスト教会はユダヤ教会から激しい攻撃を受けた④ユダヤ教からの攻撃にさらされていた原始キリスト教のマタイ派は、ユダヤ教会に対する激しい呪詛のことばと、旧約聖書からのアイディをかき集めて、キリストとよばれる架空の救世主を作りあげたのだ、と説明した。

キリストは存在しなかったという議論は、ヨーロッパでは19世紀から盛んに論じられてきた。吉本がエッセイで引用したアルトゥール・ドレウス『キリスト神話』(岩波現代叢書、1951年)もそうした1冊である。

原始キリスト教会がユダヤ教の分派だったという点に関連して、吉本は旧約聖書中のエピソードがマタイ伝に多数利用されていることを、多くの例を挙げて説明している。新約聖書福音書が多くの記事を、旧約聖書をタネ本にして書いていることは、ドレウスが『キリスト神話』で指摘している。

新約聖書のマタイ福音書とルカ福音書には、先行したマルコ福音書と似かよった部分が多い。そこで、マルコ、マタイ、ルカの3福音書は「共観福音書」とよばれている。マタイ福音書はマルコ福音書とともに、「Q資料」となずけられた、まだ発見されていなが、その存在が動かしがたいキリストの語録、この2つの資料を基に書かれたという有力な説が、吉本がこのエッセイを書いたときはすでにあった。

「Éli, Éli, lama sabachthani?(わが神、わが神、おまえはなぜわたしを捨てたのか)」と吉本が引用した、十字架の上のキリスト言葉は、吉本が使ったルイ・スゴン版福音書では、

Et à la neuvième heure, Jésus s'écria d'une voix forte: Éloï, Éloï, lama sabachthani? ce qui signifie: Mon Dieu, mon Dieu, pourquoi m'as-tu abandonné? (マルコ伝15:34)

Et vers la neuvième heure, Jésus s'écria d'une voix forte: Éli, Éli, lama sabachthani? c'est-à-dire: Mon Dieu, mon Dieu, pourquoi m'as-tu abandonné?  (マタイ伝 27:46)

となっており、もともとは詩編22冒頭の

Mon Dieu! mon Dieu! pourquoi m'as-tu abandonné....

に由来する。

ざっと以上のように、吉本のマタイ福音書に関する説明は妥当なものである。原始キリスト教はもともとユダヤ教内の分派として始まり、数世紀をかけて今日のキリスト教に近い形にまとまっていった。だが、その初期において、分派活動をめぐって原始キリスト教会がユダヤ教会から激しい攻撃を受けていたことはよく知られている。

そこで、吉本は次のように書いた。

「マチウの作者は、ここでも、キリスト教を迫害するユダヤ教という、手慣れた公式を、憎悪をこめた発想によって、この伝承のなかへ封じこめる。ローマのユダヤ総督は群衆のまえで、手をあらって言う。『わたしは、この正義の人の血について関知しない。おまえたちのせいである。』と。人々はこたえる。『かれの血が、われわれと、われわれの子孫の責にきしてたまるものか。』」

吉本が引用したのは『マタイによる福音書』27章24-25節。吉本はルイ・スゴン版から上記のような訳文をつくった。吉本が「かれの血が、われわれと、われわれの子孫の責にきしてたまるものか」と翻訳した部分は、彼が敬遠した文語訳による日本語版では次のようになっている。

「其の血は、我らと我らの子孫とに歸すべし」

吉本「きしてたまるか」
文語訳「きすべし」

みなが「きすべし」というとき「きしてたまるか」と叫ぶのが、われわれの記憶にある吉本の真骨頂だが――そのような軽口はさておき――ここは、たとえば「キリスト教徒が周縁的で公民権のない人々である限りに於いて、イエスの死の責任をユダヤ人に被せ、ローマ人を免罪するような物語は、誰をも傷つけることはない。だが、ローマ帝国がキリスト教国となるや、この虚構は致死的なものとなる。後のキリスト教の反ユダヤ主義、そして最終的にはジェノサイドに至る反ユダヤ主義を見れば、もはや受難物語が比較的無害なプロパガンダであるなどということは出来ない」(ジョン・ドミニク・クロッサン『誰がイエスを殺したのか―反ユダヤ主義の起源とイエスの死』青土社、2001年、14ページ)などと論じられる重い部分なのだ。

吉本がテキストとしたルイ・スゴン版には何とかいてあるか。以下の通りだ。

Et tout le peuple répondit: Que son sang retombe sur nous et sur nos enfants!

「……その血の責任は、我々と子孫にある」(新共同訳)

この重要な局面で、吉本はとんだ誤訳をやってしまったのである。

『マチウ書試論』の最後で、

「原始キリスト教の苛烈なパトスと、陰惨なまでの心理的憎悪感を、正当化しうるものがあったとしたら、それはただ関係の絶対性という視点が加担するほかに術がないのである」と吉本は述べている。クロッサンの言う、ジェノサイドにまで至ることになった反ユダヤ主義の発芽を正当化しうる関係の絶対性という視点とは、いったい何であろうか? イエスの死に関して、『マチウ書』がローマ人に対しては寛容であったことの背後には、いったいどのような関係の絶対性がひそんでいたのだろうか?

(2012.4.13 花崎泰雄)

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