神社に初もうでした人はパンパンと手をたたく。これを拍手(かしわで)という。お寺に初もうでした人が拍手を打つことはまれだ。たいていは手を合わせ合掌する。
江戸時代の臨済僧・白隠は「隻手の音声」という公案をつくった。両手を打ったら音がするが、さて、片手に音はあるのか、あるとすればどんな音であるか。そのような問いを発して、修行僧をしごいたそうだ。
年明けの国会では、議員・閣僚・官僚が集まって、敵基地攻撃は先制攻撃であるのか、先制攻撃ではないのか、問答を重ねる。日本が外国から武力攻撃を受けたとき、これに反撃するのは国際法で認められた正当な自衛権行使である。攻撃は開始されていないが、攻撃が始まることが明白である場合には、敵基地攻撃は正当化できる自衛権行使であり、国際的な非難を受ける先制攻撃にはあたらないと主張する意見がある。
他方、日本が基地攻撃をした相手国は日本から先制攻撃を受けたとして、正当な自衛権を発動し、本格的な日本攻撃を始める。
日本が行った攻撃が自衛のための敵基地攻撃であるのか、自衛権の行使を隠れ蓑に使った先制攻撃であるのかを判断するのは誰になるのだろうか。国連なのか、世界政治を牛耳る大国なのか。小田原評定になるだろう。というのも、先制攻撃とはだれが見てもわかる現実の行為であり、その先制攻撃が自衛権の行使とみなされるのは、その動機の解明による。この厄介な一国の政治的動機の解釈によって、許される先制攻撃と許されない先制攻撃に分けられる。国際社会は先制攻撃という拍手の「隻手の音声」を判定しなければならなくなる。以上のような事情で、敵基地攻撃という自衛権の行使は使いにくい手法になる。
敵基地攻撃能力の取得は、安全保障上のブラフとして使える。だが、日米安保条約によって日本が米国に守られ、米軍が東アジア地域の安全保障に主導的にかかわっていることから、日本が敵基地攻撃を希望しても米軍が米国の戦略な観点からそれに反対すことがあり得るだろう。米国が日本に敵基地攻撃をすすめても、日本が外交上の理由からそれを拒否することもありうるだろう。
日本の敵基地攻撃能力が、米国の対中政策の一環として役立つことを米国は喜んでいる。米国の世界戦略の一端に日本が手弁当で参加してくれるのだから。
(2023.1.1 花崎泰雄)