こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

ツボミ松茸

2015年08月06日 20時32分07秒 | 文芸
子どもの頃の秋。
 田舎の山は知る人ぞ知るマツタケの産地だった。マツタケが生える時期は、一家総出で山に入った。どこの家も似たようなものだった。
 当時の農家は貧しかった。山の幸は、いい臨時収入になったのだ。特にマツタケは別格。わざわざ買い付けの業者が足を運ぶほどだった。
 1回山に入ると、籠に入りきれないぐらい採れた。業者は選別して値段をつけて買い取った。
「こりゃカサが開いてしもうとるわ。惜しいのう。値打ちは半分になるぞ」
 同じマツタケでも開きとツボミに分類された。花のツボミと違って、ツボミのマツタケはかなり高い値段で買ってくれた。
 子どもごころには不思議だった。開いたカサのマツタケの方が立派に見えた。つぼみのマツタケは、まるでコケシに似た形で、とても好きにはなれなかった。
 ただマツタケ狩りに掛かると、大人顔負けに欲張りになった。眼の色を変えて、ツボミマツタケを求めて山を駆け巡った。お小遣いが増えるのだ。つぼみマツタケは子どもの味方だった。
(2014・2・1原稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンカンカラカラ

2015年08月06日 19時07分57秒 | 文芸
 25年前。
 新しい家を手に入れた時、家を囲む敷地にくまなく樹木や草花を植え付けた。田舎育ちだから、植物と触れ合う環境がほしかったのだ。
 おかげで桜やツツジ、宿根層の花々が、季節ごとに心を慰めてくれる。
 ところが、彼らの世話が大変この上ない。住宅用の敷地だから、水捌けが良すぎる。暑い時は充分過ぎるほど水やりをしてやらないと、すぐ地面が渇いて植物が涸れてしまうのだ。
 真夏になると、もう非常時だ。1日に2,3階以上も水をやらないと、もうカラカラ状態に。水道を使うと、高くついて勿体ない。近くにある水路で水をくみ上げてえっちらおっちら運ぶはめになる。
 バケツいっぱいの水は、なんとも焼け石に水だ。何度も何度も運ぶ。全体にたっぷりと水をやり終えると、もう汗まみれでへとへとになっている。
 今夏の酷暑は記録的で最悪だった。水をやってもやっても、到底おっつかない。すぐに蒸発して地表は乾ききったまま。神頼みは時々激しく降ってくれる夕立だけ。
 そんな過酷な環境下でも、木々はかなり大木に育った。水が乏しい乾いた地面に25年。すごい生命力だ。
(2010・9・16原稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もうちょっとや

2015年08月06日 16時05分57秒 | 文芸
玄関の開き戸のカギがおしゃかになった。
 さっそく男の出番。ドライバーで止めねじを緩めて、鍵の部分をごそっと外した。
(さて?)
 裏に表といじくりまわしたが、さっぱり分からない。プッシュ式よりボックス式のカギはどうも複雑すぎる。こりゃお手上げ状態
である。
「鍵屋さんに頼もうか?」
 見兼ねた妻がポソッと。
 しかし、そう簡単に降参するわけにはいかない。一度手を付けたのだ。あっさり引き下がるのはプライドが傷付く。
「俺にまかしとけ」
 もう強がりで通すしかない。
 慌てて本屋に直行。自分で修理のムック本を買った。立ち読みしたページには、カギ、蛇口……イラスト付きで解説されてある。(これは、いいぞ!)と買ったのだ。
(これなら簡単じゃないか。いけるいける)
 意気揚々と再挑戦…。「ん?」なんだ、これは。掲載されてある修理道具がない。ドライバー1本では出来ないぞ!手持ちの工具が応用できるなら、今ごろは修理も済んでいるよなあ。ホームセンターに走った……?
 あれから3ヶ月。
「もうちょっとや」の連発も、そろそろ限界。
「ああ、忙しいんでカギに掛っとられへんわ。しゃーないわ。どっか専門の床に頼んで来い」
「ハイハイ」
 心得たとばかりに妻。こうなることは想定内と割り切っている。そういや、これで何度目だっけ……?
(2012・8・21原稿)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ギリギリ

2015年08月06日 13時43分39秒 | Weblog
宿題を先にやって夏休みを思い切り楽しもう!なんて冗談でしょう・自慢jじゃないがが夏休みの宿題を先にやるどころか、毎日、ドリルや絵日記を開言ったことは皆無だった。毎年、始業式寸前になって家族総出で宿題に取り組んだものだ。当時は、それが子供たちの恒例行事だとすっかり思い込んでいたのかもしれない。ひどい時には始業式がおわった後も宿題にくびったけだったこともある。おかげで、その後も大事なことを一夜漬けで間に合わせたり、ヒヤヒヤ時五木の人生を送っている。ちなみに公募なんかも消印ぎりぎりで送付する。不思議にゆとりを持ったものより、入選の確立が高いと思うのは身勝手なんだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホッとするなあ

2015年08月06日 11時46分24秒 | 文芸
 愛犬が老衰で天国に召されたのは、昨年の夏。
 愛犬に癒される機会が多かったせいで、ポッコリあいた穴は埋めがたく、実に寂しい限り。そこで家族に提案した・
「どや、あのコの代わりになってくれるワンちゃんを飼わないか?」
「うん。もっと身近で飼えるペットがいい」
 高校生の末娘が言い出した。愛犬の散歩に振り回された日々や、最期を看取った辛く悲しい体験が、かなり影響しているのだろう。
 ハムスター2匹とモルモット1匹が、わが家の一員になったのは、それからすぐだった。
 娘の部屋にケージが並んだ。小さい頃から動物好きだった彼女には、これ以上はない夢の実現である。
 学校から帰ると、ケージの前に直行。膝の上にちょこんと乗っかった小動物に話し掛ける娘。あふれる彼女の優しさに、心がホッと休まる。
 でも、犬は外で買うのが常識で育ったわたしには、小動物とは言え、屋内プチ動物園を見る度に、(うーん!)と唸ってしまう。
 そんなわたしも、いつしか…。
 ケージ越しに彼らと目が合うと、もう駄目だ。胸が温かくなり、自然とほお笑んでいる自分に気付く。
 人間て根は優しすぎる動物なんだな。
(2014・1・22原稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

へっこんだ!

2015年08月06日 09時33分03秒 | 文芸
最近、歩きの魅力に取りつかれている。
 きっかけは地元イベントの「歴史街道ウォークラリー」。定年以来、時間はたっぷりある。参加費は無料、それに健康にもよさそうだ。躊躇なく申し込んでいた。
 当日は快晴。大勢の参加者に混じってのウォーキング!思った以上に気持ち良かった。
「年取ると、他にやることないでのう」
「無趣味人間には、もってこいの趣味だわ」
 …隣り合って歩きながら話し掛けられては、いちいち律儀に頷いていた。よくよく観察(?)してみれば、かなり高齢者の姿が目立っている。
「歩くのは健康の元さ」
「人間歩けなくなったら、おしまいだからな」
 いつの間にかおしゃべり仲間になっていた。
 4キロちょっとのウォーキングは、わたしを完全に虜にしてしまった。
 以来、無料ウォーキングの情報を見つけると、迷わず参加を決めるようになった。
 名所や歴史遺跡、豊かな自然を満喫しながら田舎道を闊歩していると、日ごろの悩みやストレスはどこへやら。癒しの時間だけが、流れる。
 思わぬ効能もあった。出っ張りお腹が、なんと!少しへっこんだのだ。
(2013・10・23投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポイポイ

2015年08月06日 01時09分16秒 | 文芸
 運動場を赤い帽子が駆け回る。赤い玉をポイポイ空中にほうり上げる。カゴに何個かが飛び込む。交代すると今度は白い帽子の子どもたちがグラウンドを縦横に走り回る。白い球が空中を乱舞する。
 赤白帽子の闘いは興奮を呼ぶ。「赤勝て!白勝て!」大歓声が運動場を包んだ。
 子供心にあの血沸き肉躍った(?)運動会を彩る紅白帽の記憶は鮮明だ。運動会に感動を呼ぶアイテムの一番手だったと思う。
 奇数クラスかそうでないかで紅白は決まっていたのか。いつも2組で白い帽子ばかり。裏返したら赤帽になるのにと悔しかった。5年生の時、初めて赤組になった。赤い帽子をかぶると、天下を取った気になった。赤は闘争心をくすぐるのだ。
 結局、赤組はその一度だけ。白い帽子は、なぜか気合が乗らなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まさか?

2015年08月06日 00時08分19秒 | 文芸
食品行政は厳格な指導を

 保育園の給食で明るみに出た病死牛肉問題はショッキングだった。わたしも飲食店をやっているので、「まさか?」の思いだ。
 人の口に入るものは、食品にしろ薬品にしろ、当然安全であるはずと思っているものだ。安全基準が設けられているし、それを扱う側も、より慎重な姿勢が義務付けられている。
 しかし、今回の事件で、いかに営利主義がひとのモラルをマヒさせるかを痛感した。
 利益を上げるためには、他人の健康など考えていられないと言う訳である。こんな身勝手きわまる考え方の横行は堪った者じゃない。
 今後、自由化でどんどん外国から食品が入って来ると予想されているが、すでに残留農薬など、国による規制の差が心配されている。
 当局は安全性の管理を強化すると言っているが、今回の病死牛肉問題でも分かるように、言葉上だけでは納得しようがない。実効ある対策がなされなければ、まさにかいたモチに終わってしまう。不安は募る一方だ。
 国民の健康と安全のために、食品行政はいま以上に厳格な業界指導と管理徹底を考えるべきであろう。
(毎日・1988・9掲載)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする