こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

サツマイモ

2015年08月07日 20時37分51秒 | 文芸
秋はサツマイモが美味い。それも天麩羅が。スィートポテトや焼きイモは飽きるが、天麩羅はいくらでも行ける。
 揚げたてを頬張ると、じわーんと来る。揚がる端から口に放り込んでしまう。揚げ終わった頃には、もう満腹だ。
 子どもの頃、秋口からのおやつはふかしイモか天麩羅と決まっていた。他におやつはないから、毎日塩をふった芋を食った。
 それなりに美味かった記憶もあるが、何日も何日も芋ばかり。
 反動か、大人になったら、サツマイモの料理をあえて食べたいと思わなくなった。事実その味を忘れてしま金ないほど、サツマイモを口にしていない。
 ある日、職場の先輩に連れて行かれたのは、割烹のお店。他の料理も総じて旨かったが、驚いたのは天麩羅に揚げられたサツマイモの味。
 同じ膳の松茸の味がかすむほどの味わいだった。実に美味かった!
 あれ以来、秋になったら、サツマイモを買っては天麩羅にする。残れば家族のおやつがわりだ。
 あんなにうんざりして敬遠していたサツマイモに、再び目が亡くなった自分が、何ともおかしくて堪らなかった。
(2014・11・18原稿)

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息子の帰郷

2015年08月07日 18時29分33秒 | 文芸
「年末から正月にかけて忙しいんで、帰れそうにないわ」 
息子のメールが妻の携帯に入った。
わたしの失望は大きい。1年に1回ぐらいは、せめて正月には息子の顔を見たいのが父親の切なる思いだ。
それほど待ち望む息子の帰郷が駄目に。寂しく侘しくなるのは当然だろう。
正月は妻と娘2人に囲まれて祝った。元々息子に恵まれていなかったら諦めもつくが、そうじゃない。男親には息子が傍にいてくれるだけで、嬉しさは格別なのだ。
だけど、よく考えてみれば、わたしも若い頃同じようなものだった。
仕事が調理人、盆も正月もない。いつも帰郷は二の次三の次にしてしまった。
居酒屋チェーン店長の息子も同じ条件下にあるのだ。帰郷できないのが当たり前である。
因果応報。待つ立場になって、あの頃わたしの父や母が寂しく侘しい盆・正月を送ったであろうことは容易に想像がつく。
だからこそ遠くで働く息子に、どんな機会でもみつけて、高齢者の仲間入りも間近いちちのご機嫌伺いに、元気な顔を見せてほしいと願っている。
(2014・1・12原稿)

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カウントダウンにはいって

2015年08月07日 15時03分25秒 | 文芸
 娘は高校2年生。これまで、のんびりとマイペースの高校生活を満喫していた。ところが新しい年を迎えると焦り始めた。
 大学受験まで余すところ1年。カウントダウンを打ち始めたのを自覚したからだ。
 娘の将来が決まる大学への挑戦が始まる。資料の検討も大変だ。学部、偏差値、距離、学費……山ほどある条件の比較。いま学ぶ音楽科を更に生かすのかどうか、悩みは尽きない様子だ。親も参加してケンケンガクガクの様相を呈している。
 はたして娘が選ぶ将来は?大学生活は…!怖さと期待が入り混じる。
 ただ大学生活は娘にとって大きな影響を与える筈だ。成功も失敗も関係なく、社会で自立するための能力を身に着けられるはずだ。
 音楽か?教育か?めったやたらに頭を悩ませる娘に助言したい。
 最終的に自分が選んだ大学は、4年間決して後悔しないでほしいと。君の若さなら人生なんどでもやり直せるのだから。
 思い切り楽しくチャレンジし続ける大学生活であってほしいと願うばかりだ。
(2014・118原稿)
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イクメンだったのだ

2015年08月07日 13時10分01秒 | 文芸
 長女はお祖母ちゃん子、長男は曾祖母ちゃん子、二男はお店の棚で育った。
 夫婦で喫茶店をやっていたせいで、その時その時に子育て役は違った。
 末娘が生まれると、喫茶店は廃業して、夫婦共稼ぎに。夜勤専従のわたしが朝から夕方まで赤ん坊の世話を引き受けた。
 とはいえ、子守など全く経験がない。ちょっと抱いたり、あやしたりとは違う。8時間近く赤ん坊べったりの生活を送るのだ。
 しかし案ずるより易し。覚悟を決めると、とんとん拍子だ。
 寝ていれば添い寝。泣き出せば(おしめか?哺乳瓶化?病気?)と頭をひねる。後はとにかくやってみるだけだ。
 でも泣き続けていれば、赤ん坊を胸の上にのせて寝転がる。そして、歌う。子守唄ならぬ童謡オンパレード!言葉にすればカッコいいが、覚えているのは数曲で、歌詞は1番のみ。いまでも歌を覚えるのは苦手中の苦手。
 歌っていると、なんとも不思議に赤ん坊はスヤスヤ。歌の効果以上に、ピッタリ合わさった父親の胸の鼓動が、揺り籠がわりになったのかも知れない。
 その娘ももう高校生。父親の出番は、これから先、一度ぐらいはあるだろうか?
(2013・7・13原稿)

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ながら新聞

2015年08月07日 09時52分42秒 | 文芸
朝起きると、真っ先に新聞受けを覗く。
 トイレにこもるのに欠かせないアイテムだ。トイレが長いせいもあるが、とにかく朝刊がないと、いちにちが始まらない。
 用を足しながらしんぶっを開く。1面からテレビ欄までひととおり目を通すのが日課となっている。いちにちの話のネタを頭に入れる。
 新聞との付き合いはこれだけでは終わらない。仕事先の休憩室には自宅の愛読紙とは違う全国紙。休憩時間は必ず新聞に首ったけとなる。同じ出来事でも新聞の扱いはそれぞれ傾向が違うのが面白い。
 仕事を終えて帰宅すると、さっそく新聞に手が伸びる。夕食の間中、新聞片手だから、家族が呆れている。
 テレビ欄でチェックした番組を見ながら、やはり新聞をチラチラ。スポーツ欄、世界の情報記事、経済の動きまで、お得意のながら読みである。
 マートンの復活に(へえ?)なんて驚く。アセアンでの日本外交の相変わらずさに歯がゆさに、ちょっと憤慨してみたり。
 家族が寝静まった夜遅くから深夜へ、自室で、やはり新聞を開く。家庭欄に文化欄、そして読者の投稿欄だ。
 一番念入りに目を通す。やはり自分の同じ立場の庶民の意見や姿に共感を覚えるのだろう。彼らの文面に鼓舞されて、わたしも投稿文を書く。時々掲載される喜びは格別だし、新聞代がおおいに助かる。
(2015・8・2原稿)

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チョコの味

2015年08月07日 02時32分34秒 | 文芸
23歳でアパートのひとり暮らし。
 レストランの残業を終えると、もうクッタクッタ。帰宅するやいなやバタン・キュー!そして休日はゴロゴロ。
 そんな毎日の繰り返しで、職場以外で誰かと付き合う機会など皆無。まして社交性はゼロときている。青春の謳歌など、どこか遠くの話だった。
 2月14日。バレンタインデー。しかし、わたしには何も関係のない行事である。義理チョコすらご相伴に預かるためしはなかった。
その日も職場の調理場で黙々と料理を作るだけだった。
「帰ってるのん?」
 アパートを訪れたのは、なんと調理場の洗い場で働くパートのおばさん。アパートの近くに住んでいると知っていたが、職場では、おばさんの他愛ないグチの聞き役でしかない。それが、なぜ?
「誰にも貰うてないやろ思うてな。はい」
 おばさんの手にはリボンで包装されたチョコの包みがあった。
「息子みたいなあんたが、チョコの日にしょんぼりしとったら、そらもう気になるがな。さあ、チョコで元気つけてや。若い͡娘やのうてごめんやけど」
 おばさんの帰ったあと、ひとりで齧ったチョコ。目元が潤むのを抑えられなかった。
 苦くて甘い、あのチョコの味が届けられたから、わたしの青春はきっと救われたに違いない。
(2014・1・27原稿)
 
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邪魔だよ

2015年08月07日 02時03分24秒 | 文芸
 田舎で生まれ育ったわたしが、いちばん安心して熟睡できたのが、座敷に敷かれた布団の中。
 綿を打ち直して長年くり返し使われた布団だ。いつだって温かく包み込んでくれた。
 そんな私だけに、ベッドは病院の入院患者や別の世界の人が使うものと、ズーッと思い込んでいた。
 結婚して妻の花嫁道具にあったダブルベッドを目の前にして、(これが…!)と息を呑んだものだった。
 恐る恐る触れてみた。ベッドにコワゴワ寝そべった。豪華なフワフワベッドの感触はみるみるわたしを魅了した。これまでに感じたことが無い心地よさだった。
 でも何か落ち着かない。ベッドは、どこまでもどこまでも沈み込んでいく。
 結婚1年でベッドは物置に仕舞い込まれた。
「布団がいい!」
 と言い出したのは妻だった。もちろんわたしに異存はない。座敷の間に布団を敷いた。
 久しぶりの布団の感触に、子どもに返って転げ回った。フワフワベッドには出来ないことだった。妻も負けないはしゃぎぶりを見せた。
「修学旅行みたい。まくら投げやろうか!」
 結局得矢を陣取る豪華ベッドが邪魔にあった。いつか豪邸に住めるようになったら、ベッドを戻そうと了解し合ってから、もう33年。ベッドの出番は、まだない。
(2000・10・8原稿)

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見知らぬ駅前散歩

2015年08月07日 00時31分45秒 | 文芸
 独身時代。仕事からアパートの自室に帰り着くと、ドーッと倒れこんだ。そのまま眠りこむのがしょっちゅうだった。目が覚めると、真夜中か明け方だった。疲れはたまるばかりだった。

 仕事はレストランのコック。朝早く出勤して仕込みにかかる。食材のカットから下拵えまで。あとはソースを煮込む。カレーやデミグラスソースまで。マヨネーズも手作りだ。ハンバーグも手でこねて焼く。夜は客が帰るまで仕事が続く。仕事の終わり時間は、その日対応でいつ終わるか予測はつかない。疲れるのはしごく当然である。

 月に3度の休日が待ち遠しくてたまらなかった。

 休日になると、寝るのも惜しんで朝早く電車に飛び乗る。座席を確保するとすぐ眠り込む。目が覚めた駅で下車する。駅に降り立つと、見知らぬ街の風景が迎えてくれる。何も気兼ねはせずに済む。心を開放して、駅前の通りを歩いて回る。ひなびた商店街も心を癒してくれる。肉屋でコロッケを買い、さびれた食堂で素うどんをすする。時間が止まったようだ。

 帰りの電車に乗車する頃には、仕事のウサやストレスが不思議と晴れている。車窓から眺める沿線風景も、生きている実感を思い出させてくれる。

 あの頃、唯一楽しい時間の過ごし方だった。いまも思い出すと、不思議に心があったかくなり、自然と相好が緩む。
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