「ほんまに有難う。助かってます」
丁寧な言葉に恐縮してしまう。まだ慣れない。社協の支援サポーターに登録、最初のサポートボランティアなのだ。歩行が覚束なくなった高齢女性が、サポートの依頼者だった。
「ほかに困ってることがあったら、何でも言うてください。できることやったら、ちゃんとお手伝いさせて貰いますから」
援助活動はゴミ出し。週一回、市の収集日に集積場まで運ぶ。容易いことだが、依頼女性にはそうではない、玄関口まで出てくるのにさえ、思うようにならない状況だった。
「本当にすみません。こんなことまで、お厄介になって。ちょっと前までは、身の回りのことは、何でもやってのけてたんですよ」
「気にしないでください。こんな私も、すぐSさんに追いつきます。そうなったら誰かの手を借りんとやってけません。お互い様です」
そんな冗談を交し合えるまで、女性の苦境を理解していなかった私。今ではわがことのように思えるのが、自分でも不思議である。
大病なく暮らしてきて、もうすぐ七十。どんなことでも自分の力でやりこなせるのが普通な人生しか知らないと、いつのまにか些細なことをやるのにさえ、体が思うようにならない人の苦しみが分からなくなる。そんな私が、身近なことに四苦八苦する人のサポーター体験で、ようやくサポートの必要性を理解できるようになったのだ。まさに奇跡である。
定年退職で時間の余裕が生まれても、人のために何かやろうなどとは、これっぽっちも思わなかった。自分のために、いかに楽しい時間を送れるか考えるだけだった。それを疑問に思わず、実に気楽な日々を過ごしていた。
「お父さん倒れた!って、連絡きてる」
朝早くに入った電話。慌てて駆けつけると、寝台の下で手足を痙攣させる父の姿を目の当たりにした。九十五という高齢とはいえ、昨日までグランドゴルフを楽しんでいた父である。まるで夢をみているようだった。
「脳梗塞です。今の状態なら手術はしないで、薬で様子を見ることにしましょう」
医師の言葉は緊急性がなくて、安堵した。
右半身は不随になり、入院してリハビリに入った父。家族の呼びかけに反応できる意識は、まだ健在だった。
「!」
一瞬、言葉を失った。ボロボロと涙を流す父。車いすで散歩に連れ出した時である。散歩といっても病院の外は無理なので、院内の廊下で数分過ごすのだ。廊下の端で、窓越しに外を眺めていた時のできごとだった。
「おじいちゃん。ええ天気やろ」
家族が、そう声をかけた時だった。
「あれ?おじいちゃん泣きだした。どうしよう?どうしたん?おじいちゃん」
父の涙に気づいた妻は大慌てした。動かせない体をワナワナ震わせていると錯覚させられる大粒の涙を、父はボロボロこぼした。
「ウッウッウッ!」
何かを言おうとする父。言葉にならなくても、すぐ悟った。悔しいのだ。あの日まで何の支障もなく行動でき、楽しめていたグランドゴルフ!それが全て手の届かぬものになってしまったことが、悔しくて堪らないのだ!
三日後、脳梗塞は再発した。これで父はもう悔し涙を流せなくなってしまった。ベッドで横になる父の反応は、日増しに疎くなっていった。いまは療養病院でリハビリ生活を送っているが、再起は望むべくもない。
「俺、支援サポーター講座を受けるわ」
「急に何よ。自分の時間を精一杯楽しむぞ!っていってたやんか」
「親父の姿見てたら、なんか俺、人のためにならなきゃって、思ってしまったんや。やりたいことがあっても、思うようにならない体になった悔しさの手助けを、体が元気な俺がやるべきなんじゃないかって」
妻は口を閉じた。なんとも能天気な生活を送っていた夫の決意、『ほんまもん』だと感じたらしかった。
支援サポーターに飛び込む動機になった父の容体は、今もあまり変わっていない。ただ家族に愛される父は、面会も見舞いもひっきりなしだ。体が不自由になっても、父は幸せである。
しかし、一人孤独な暮らしを余儀なくされた高齢者、その上に体の不自由が加わったら……?それは私の未来図に思える。
やらないで助けて貰おうなどとは、おこがましい限りではないか。なんとも打算的な思惑で始めたサポーターボランティアだったが、
サポーター活動の積み重ねは、着実にそんな利己的な考えを変えさせてくれた。お互いさまが通用し、助け合いが普通の社会になってくれるよう、切実に思うようになった。
「済まんねえ。ほんまに助かります。有難う」「気にしないで、次は私の番やから」
サポーターへの感謝に、ひょうきんな顔で応じる私。もっと変わらなきゃ!肝に銘じた。
丁寧な言葉に恐縮してしまう。まだ慣れない。社協の支援サポーターに登録、最初のサポートボランティアなのだ。歩行が覚束なくなった高齢女性が、サポートの依頼者だった。
「ほかに困ってることがあったら、何でも言うてください。できることやったら、ちゃんとお手伝いさせて貰いますから」
援助活動はゴミ出し。週一回、市の収集日に集積場まで運ぶ。容易いことだが、依頼女性にはそうではない、玄関口まで出てくるのにさえ、思うようにならない状況だった。
「本当にすみません。こんなことまで、お厄介になって。ちょっと前までは、身の回りのことは、何でもやってのけてたんですよ」
「気にしないでください。こんな私も、すぐSさんに追いつきます。そうなったら誰かの手を借りんとやってけません。お互い様です」
そんな冗談を交し合えるまで、女性の苦境を理解していなかった私。今ではわがことのように思えるのが、自分でも不思議である。
大病なく暮らしてきて、もうすぐ七十。どんなことでも自分の力でやりこなせるのが普通な人生しか知らないと、いつのまにか些細なことをやるのにさえ、体が思うようにならない人の苦しみが分からなくなる。そんな私が、身近なことに四苦八苦する人のサポーター体験で、ようやくサポートの必要性を理解できるようになったのだ。まさに奇跡である。
定年退職で時間の余裕が生まれても、人のために何かやろうなどとは、これっぽっちも思わなかった。自分のために、いかに楽しい時間を送れるか考えるだけだった。それを疑問に思わず、実に気楽な日々を過ごしていた。
「お父さん倒れた!って、連絡きてる」
朝早くに入った電話。慌てて駆けつけると、寝台の下で手足を痙攣させる父の姿を目の当たりにした。九十五という高齢とはいえ、昨日までグランドゴルフを楽しんでいた父である。まるで夢をみているようだった。
「脳梗塞です。今の状態なら手術はしないで、薬で様子を見ることにしましょう」
医師の言葉は緊急性がなくて、安堵した。
右半身は不随になり、入院してリハビリに入った父。家族の呼びかけに反応できる意識は、まだ健在だった。
「!」
一瞬、言葉を失った。ボロボロと涙を流す父。車いすで散歩に連れ出した時である。散歩といっても病院の外は無理なので、院内の廊下で数分過ごすのだ。廊下の端で、窓越しに外を眺めていた時のできごとだった。
「おじいちゃん。ええ天気やろ」
家族が、そう声をかけた時だった。
「あれ?おじいちゃん泣きだした。どうしよう?どうしたん?おじいちゃん」
父の涙に気づいた妻は大慌てした。動かせない体をワナワナ震わせていると錯覚させられる大粒の涙を、父はボロボロこぼした。
「ウッウッウッ!」
何かを言おうとする父。言葉にならなくても、すぐ悟った。悔しいのだ。あの日まで何の支障もなく行動でき、楽しめていたグランドゴルフ!それが全て手の届かぬものになってしまったことが、悔しくて堪らないのだ!
三日後、脳梗塞は再発した。これで父はもう悔し涙を流せなくなってしまった。ベッドで横になる父の反応は、日増しに疎くなっていった。いまは療養病院でリハビリ生活を送っているが、再起は望むべくもない。
「俺、支援サポーター講座を受けるわ」
「急に何よ。自分の時間を精一杯楽しむぞ!っていってたやんか」
「親父の姿見てたら、なんか俺、人のためにならなきゃって、思ってしまったんや。やりたいことがあっても、思うようにならない体になった悔しさの手助けを、体が元気な俺がやるべきなんじゃないかって」
妻は口を閉じた。なんとも能天気な生活を送っていた夫の決意、『ほんまもん』だと感じたらしかった。
支援サポーターに飛び込む動機になった父の容体は、今もあまり変わっていない。ただ家族に愛される父は、面会も見舞いもひっきりなしだ。体が不自由になっても、父は幸せである。
しかし、一人孤独な暮らしを余儀なくされた高齢者、その上に体の不自由が加わったら……?それは私の未来図に思える。
やらないで助けて貰おうなどとは、おこがましい限りではないか。なんとも打算的な思惑で始めたサポーターボランティアだったが、
サポーター活動の積み重ねは、着実にそんな利己的な考えを変えさせてくれた。お互いさまが通用し、助け合いが普通の社会になってくれるよう、切実に思うようになった。
「済まんねえ。ほんまに助かります。有難う」「気にしないで、次は私の番やから」
サポーターへの感謝に、ひょうきんな顔で応じる私。もっと変わらなきゃ!肝に銘じた。