久しぶりの喫茶店。
「煙草は喫われますか?」
店内は分煙になっている。
「うん。煙のこない席がいいな」
「禁煙席にご案内します」
煙草を嫌悪する客に最高のもてなしである。美味い珈琲を味わえる、いい時代になった。
三十半ばで禁煙した。若いころ始めた喫煙は、職場環境のせいである。同僚の殆どが喫煙者、「煙草は喫えない」と公言する勇気は、とても出せなかった、
四十前に独立、喫茶店のオーナーになると、煙草と縁を切った。カウンター内の仕事に、喫煙は邪魔になるだけ、それに好きで喫っていたわけではない。
煙草は口にしなくなったが、喫茶店に喫煙はつきものである。近くにある化粧品会社の営業部員が客席を占め、綺麗なメークを施した女性たちが、なんと煙草をスパスパ。ティータイムにドーッと来店、瞬く間に店内は煙に包まれた。否応なく煙草を喫う状況に変化はなかった。むしろ悪化したといえる。
仕事なのだと自分にいい聞かせ、我慢を決め込んで働いた。
「マスター、煙草喫わないの?」
「君らの喫煙に付き合うてるやないか。わざわざ喫うのは勿体ないがな」
レジ横に赤ちゃんを寝かせての仕事である。「マスターに似て、可愛い赤ちゃんやんか」
「忙しい間は、ウチが世話しといたるわ」
常連客に人気者の赤ちゃんだった。
「赤ちゃん、アトピーやったわ」
深刻な顔で報告する妻の胸に額のできものが膿み、血が滲むあばた状態の赤ちゃん。
「禁煙喫茶にしてみるか」
「それで喫茶店やっていける?」
「赤ちゃんのアトピー見てられへん。親やろ、なんとかしたろ」
煙草が喫えない喫茶店など狂気の沙汰だったが、わが子のために踏み切るしかなかった。
「地方で禁煙喫茶店は大変やろけど、頑張ってほしいなあ。応援させて貰います」
来店した新聞記者は大きな記事にしてくれた。よほど突飛な話題だったらしい。
「煙草の喫えない喫茶店て、あり得へんわ」
「煙草喫う者は、他へいくしかないわな」
常連の喫煙客は捨て皮肉を口に、顔を見せなくなった。客の減り様は予測を超えた。
「赤ちゃんを守るためやんか。頑張ろう」
妻の励ましを支えに、あの手この手で店の経営に奮闘したが、徒労に終わった。
禁煙喫茶店は、結局一年半で頓挫した。
「時代が早かったんかな、残念ですわ。再度挑戦されるときは、必ず連絡ください」
新聞記者は型通りの言葉を残して去った。
赤ちゃんのアトピーは、かなり時間を要し快癒に至る。禁煙喫茶店は、正解だった。
(いまやったら、成功してたかなあ~)
禁煙席で飲む珈琲は格別である。香りの向こうに、紫煙に踊らされる日々が蘇る。
「煙草は喫われますか?」
店内は分煙になっている。
「うん。煙のこない席がいいな」
「禁煙席にご案内します」
煙草を嫌悪する客に最高のもてなしである。美味い珈琲を味わえる、いい時代になった。
三十半ばで禁煙した。若いころ始めた喫煙は、職場環境のせいである。同僚の殆どが喫煙者、「煙草は喫えない」と公言する勇気は、とても出せなかった、
四十前に独立、喫茶店のオーナーになると、煙草と縁を切った。カウンター内の仕事に、喫煙は邪魔になるだけ、それに好きで喫っていたわけではない。
煙草は口にしなくなったが、喫茶店に喫煙はつきものである。近くにある化粧品会社の営業部員が客席を占め、綺麗なメークを施した女性たちが、なんと煙草をスパスパ。ティータイムにドーッと来店、瞬く間に店内は煙に包まれた。否応なく煙草を喫う状況に変化はなかった。むしろ悪化したといえる。
仕事なのだと自分にいい聞かせ、我慢を決め込んで働いた。
「マスター、煙草喫わないの?」
「君らの喫煙に付き合うてるやないか。わざわざ喫うのは勿体ないがな」
レジ横に赤ちゃんを寝かせての仕事である。「マスターに似て、可愛い赤ちゃんやんか」
「忙しい間は、ウチが世話しといたるわ」
常連客に人気者の赤ちゃんだった。
「赤ちゃん、アトピーやったわ」
深刻な顔で報告する妻の胸に額のできものが膿み、血が滲むあばた状態の赤ちゃん。
「禁煙喫茶にしてみるか」
「それで喫茶店やっていける?」
「赤ちゃんのアトピー見てられへん。親やろ、なんとかしたろ」
煙草が喫えない喫茶店など狂気の沙汰だったが、わが子のために踏み切るしかなかった。
「地方で禁煙喫茶店は大変やろけど、頑張ってほしいなあ。応援させて貰います」
来店した新聞記者は大きな記事にしてくれた。よほど突飛な話題だったらしい。
「煙草の喫えない喫茶店て、あり得へんわ」
「煙草喫う者は、他へいくしかないわな」
常連の喫煙客は捨て皮肉を口に、顔を見せなくなった。客の減り様は予測を超えた。
「赤ちゃんを守るためやんか。頑張ろう」
妻の励ましを支えに、あの手この手で店の経営に奮闘したが、徒労に終わった。
禁煙喫茶店は、結局一年半で頓挫した。
「時代が早かったんかな、残念ですわ。再度挑戦されるときは、必ず連絡ください」
新聞記者は型通りの言葉を残して去った。
赤ちゃんのアトピーは、かなり時間を要し快癒に至る。禁煙喫茶店は、正解だった。
(いまやったら、成功してたかなあ~)
禁煙席で飲む珈琲は格別である。香りの向こうに、紫煙に踊らされる日々が蘇る。