老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1127 ; 暗闇と無音の世界

2019-05-27 21:32:43 | 読む 聞く 見る
乙一 『失はれる物語』 角川文庫

暗闇と無音の世界

わたしは、『失はれる物語』を読んでいて
30数年前に読んだ『ジョニーは戦場へ行った』を思い出した。

ジョニーは第一次世界大戦に出征し、 敵の砲弾が躰に命中した。
生命は助かったけれど、目、鼻、口、耳が失われ、 更に両手両足も切断された。
最早ジョニーの躰は、肉塊でしかなく、
生きているのかどうかさえも、見た目には分からなかった。
皮膚感覚と思考することだけしかなかった。
暗闇と無音の世界に閉ざされ、話すこともできず、絶望の中にあった。

『失はれる物語』の主人公は、“自分”である。
自分は交差点で信号待ちをしているとき、居眠り運転をしていたトラックに衝突され重体の大怪我を負った。
脳に障害が起こり、目、耳、鼻、口を失った。唯一残された皮膚感覚は、
右手から肘まであり、人差し指はわずかに上下に動かせるだけであった。
自分も他者の目には、肉塊にしか見えなかった。


ジョニーも自分も暗闇と無音の世界に取り残された。
自分にあるのは光の差さない深海よりも深い闇と、
耳鳴りすら存在しない絶対の静寂だった。
『失はれる物語』72頁

新任の看護師は指で ジョニーの胸に「Mary Xmas」となぞる。
ジョニーは一文字書き終えるごとに激しく頷き、
彼女はジョーに意識があることを気付く。

自分の場合は、妻の爪は右腕に「ゆび YES=1 NO=2」となぞり、
自分は人指し指を1回だけ上下させた。
そこから、妻との会話が始まった。

いずれも、肉塊になった「存在」にあっても、皮膚感覚に指で文字をなぞったことから
相手に意識があることを知り得たこと。

肉塊になっても相手に働きかけ、微かな変化を見逃さなかった新任の看護師や妻の行動は学ぶべきものがある。

自分はただの考える肉塊でしかない。
自分はこれまで何のために生きてきたというのであろうか。
人は何を目的にこの世へ生を受け、地上を這いずり回り、死んでいくのだろうか
。 『失はれる物語』75頁


ジョニーは戦場へ行った(角川文庫)


『ジョニーは戦場へ行った』 映画化もされた。ベトナム戦争のときにも、読み継がれた反戦小説。

『失はれる物語』 交通事故により五感の全てを失われた自分。
皮膚感覚が残ったわずか右腕を鍵盤に見立て、
ピアニストの妻は、日々の想いを無音の演奏により伝えていく。

肉塊でしかない「物体」のように見えても
そこには意識が存在し、最後は「殺してくれ」「死にたい」「生きたい」と叫んだジョニーと自分。

32才のとき重度の身体障害者の介護に関わり始めたときに
『ジョニーは戦場へ行った』に巡り会い、衝撃を受けた。
いままた『失はれる物語』に遭遇したことで、30数年前の記憶が甦ってきた。

肉塊でしかなくなったとき、わたしは何を考え、何のために、生きそして死んで行くのか。
2つの小説は、そのことを問うているような気がする。

相手に憎しみを抱いている訳でもなく、自分と同じく家族が居る敵兵士を殺し合うことは、本当に遣る瀬無い。
戦争がなければ、ジョニーは肉塊になることもなかった。



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1126;大きな笑い声が止まらないwife

2019-05-27 03:13:14 | 阿呆者
大きな笑い声が止まらないwife


ブログ972再掲
最高の組み合わせ


食が進まないとき
白米(ご飯)に牛乳をかけて食べる
※牛乳のなかで 「会津のべこ乳」が美味しい

じゃが芋(きたあかり)と山キノコが入った味噌汁
じゃが芋と白子の味噌汁も最高

熱いご飯に筋子

暑い夏には
フルーツの入った冷麦

おやつには
キャメルコーンにコカ・コーラー

食べ物が喉を通らなくなったときは
半分に割った夕張メロンを
スプーンで食べる

末期の水は
北海道羊蹄山の湧水



大きな笑い声が止まらないwife

那須国から帰ったあと
wifeは暑さで疲れ 蒲団の上でスマホを手にしていた。
その時は自分は、居間で 5連夜放送『白い巨塔』第3話の録画を見ていたところだった。

wifeは 自分のブログ『老い楽の詩』をスマホで読んでいて
972のブログ「最高の組み合わせ」のタイトルと写真が 目に留まり
文を読むにつれ 大きな声で笑いこけていた。
何でそんなに楽しく、腹をかかえて笑っているのか
まだ、その時点でわからずにいた自分。

『白い巨塔』第3話を見え終えたところで
まだ笑っているwifeのもとへ行った。

wifeは、会津のべこの乳と白いご飯が映っている画像を
自分に見せてくれた。

自分は、その内容にハッと気がつき苦笑してしまった。
wifeは自分がブログをしていたことは知っていたが、
ブログを読んでいるとは思わなかった。

wifeから、ブログ見れないようにしないで、と釘をさされてしまった。
ブログはwifeが読んでも困るような内容はないが、
他人に読まれるより 
wifeに読まれるとなると
何だか気恥ずかしい感じがしてしまう。

何故なら ブログは日記の代わりみたいなところがある。
ブログは、他者は双方の顏や名前がわからない、ただ信頼関係のなかで成立している。
これからは、影の聲としてwifeが登場することになるかも・・・・
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