乙一 『失はれる物語』 角川文庫
暗闇と無音の世界
わたしは、『失はれる物語』を読んでいて
30数年前に読んだ『ジョニーは戦場へ行った』を思い出した。
ジョニーは第一次世界大戦に出征し、 敵の砲弾が躰に命中した。
生命は助かったけれど、目、鼻、口、耳が失われ、 更に両手両足も切断された。
最早ジョニーの躰は、肉塊でしかなく、
生きているのかどうかさえも、見た目には分からなかった。
皮膚感覚と思考することだけしかなかった。
暗闇と無音の世界に閉ざされ、話すこともできず、絶望の中にあった。
『失はれる物語』の主人公は、“自分”である。
自分は交差点で信号待ちをしているとき、居眠り運転をしていたトラックに衝突され重体の大怪我を負った。
脳に障害が起こり、目、耳、鼻、口を失った。唯一残された皮膚感覚は、
右手から肘まであり、人差し指はわずかに上下に動かせるだけであった。
自分も他者の目には、肉塊にしか見えなかった。
ジョニーも自分も暗闇と無音の世界に取り残された。
自分にあるのは光の差さない深海よりも深い闇と、
耳鳴りすら存在しない絶対の静寂だった。 『失はれる物語』72頁
新任の看護師は指で ジョニーの胸に「Mary Xmas」となぞる。
ジョニーは一文字書き終えるごとに激しく頷き、
彼女はジョーに意識があることを気付く。
自分の場合は、妻の爪は右腕に「ゆび YES=1 NO=2」となぞり、
自分は人指し指を1回だけ上下させた。
そこから、妻との会話が始まった。
いずれも、肉塊になった「存在」にあっても、皮膚感覚に指で文字をなぞったことから
相手に意識があることを知り得たこと。
肉塊になっても相手に働きかけ、微かな変化を見逃さなかった新任の看護師や妻の行動は学ぶべきものがある。
自分はただの考える肉塊でしかない。
自分はこれまで何のために生きてきたというのであろうか。
人は何を目的にこの世へ生を受け、地上を這いずり回り、死んでいくのだろうか。 『失はれる物語』75頁
ジョニーは戦場へ行った(角川文庫)
『ジョニーは戦場へ行った』 映画化もされた。ベトナム戦争のときにも、読み継がれた反戦小説。
『失はれる物語』 交通事故により五感の全てを失われた自分。
皮膚感覚が残ったわずか右腕を鍵盤に見立て、
ピアニストの妻は、日々の想いを無音の演奏により伝えていく。
肉塊でしかない「物体」のように見えても
そこには意識が存在し、最後は「殺してくれ」「死にたい」「生きたい」と叫んだジョニーと自分。
32才のとき重度の身体障害者の介護に関わり始めたときに
『ジョニーは戦場へ行った』に巡り会い、衝撃を受けた。
いままた『失はれる物語』に遭遇したことで、30数年前の記憶が甦ってきた。
肉塊でしかなくなったとき、わたしは何を考え、何のために、生きそして死んで行くのか。
2つの小説は、そのことを問うているような気がする。
相手に憎しみを抱いている訳でもなく、自分と同じく家族が居る敵兵士を殺し合うことは、本当に遣る瀬無い。
戦争がなければ、ジョニーは肉塊になることもなかった。