老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1119;雑音が聴こえる

2019-05-22 21:46:24 | 阿呆者
雑音が聴こえる

今回も詩的ではなく「私的」な話

今日、急遽 自治医科大学附属病院腎臓外科受診
両目のクマと両足の甲と膝下の脚の浮腫を医師に診てもらった

結果 考えられることとして
心臓が肥大している ので心臓専門医に診てもらう必要がある
胸部レントゲンの画像を見ると、本当に心臓が肥大していた
胸に聴診器を当て、新里医師は「心臓から雑音が聴こえる」
(心臓から雑音、それは、心にも雑音がある、そう聴こえた)

腎臓外科から、心電図検査を実施
その後、循環器科の渡邊医師の診察
詳しい検査(心臓の検査)が必要ということで
5月27日 再受診、検査
6月 3日 検査結果について医師より説明

心臓から来る浮腫なのであろか?
利尿剤を処方された

腎臓外科の新里医師からは、免疫抑制剤の1つであるサーティカン 0.25mgを2錠から1錠に減らす(朝夕服用)

目のクマは、グレープフルーツの一房位の大きさの浮腫
右足の浮腫がひどく 歩くと足首が痛い

空気の抜けたゴムボールは押すと、凹のような状態になる 
浮腫も同じで、浮腫の箇所を指で押すとへこむ凹。
足だけでなく気持ちまでへこみそう。

余り弱気になると、妻から「男は病気打たれ弱い」と、チクリ。針刺しより痛い

仕事を通し懇意にしている薬局で、利尿剤を受け取る
管理薬剤師から
「利尿剤を服用するとカリウムが排出されすぎ、バランスが崩れてしまう
ポカリのイオンウォーターをコップ1杯飲むといいよ」とアドバイスを頂いた

今日1日在宅訪問は全てキャンセル 
今日できなかった訪問は今週の土曜日に回すとしよう



1118;朝、目が覚めたら浮腫だった

2019-05-21 20:58:06 | 阿呆者
朝、目が覚めたら浮腫だった

朝、目が覚めたら巨大蜘蛛になっていた
(カフカの変身)

今日の朝、目が覚めたら躰の一部が浮腫だった
何だか足が「腫れぼったい」感じがして
何気なく足の甲をみたら 
左右の足の甲は浮腫 
特に右足の甲は浮腫がひどく
右膝下の脚も浮腫みがみられた

他に両目のクマみたいなものができ
グループフルーツの一房を逆さまにつけたような感じで
水膨れ(浮腫なのかな)
アヒルには悪いが醜いアヒルのような顔をしていた

抗酸菌退治の薬が処方されてから
躰に異変が生じた感じ
検査結果 薬の副作用で肝臓の数値が悪くなっている
肝臓や血流障害により足の甲に浮腫が見られる、とネットにあった

医師ではないので自己「診断」はできない
今日自治医科大学附属病院腎臓外科に電話を入れ
明日急遽検査と診察の予約を取ることができた

在宅訪問の最中
浮腫した両目のクマを見て
93才のお婆ちゃんは
“痛々しいね、無理せず体を休め、病院にかかった方がいいよ”
心配をかけてしまった。

どっちが要介護者で 支援者なのか 反対の立場になってしまった

明日5時起床し、beagle元気の散歩
その後、朝風呂に入り
6時に家を出る(片道130kmの路をキャンバスで走る)
7時半頃自治医大附属病院に到着
7時半検査 9時診察


1117;「抑制」された老母の姿は見たくはない

2019-05-21 03:52:53 | 老いの光影 第5章
「抑制」された老母の姿は見たくはない

齢(とし、よわい)を重ね
いつの間にか91才となった平下婆さん

春を迎えた頃から
食が進まず、水も飲まなくなったことから
脱水症となり病院入院となった。

70才近い長男と60才半ばの次男との3人暮らし
長男は“ぎりぎりまで入院はさせたくない”
“(認知症のため)抑制になり、抑制された老母の姿は可哀想で見たくはない”
と、話される。

“段々食べなくなり、オシッコもでなくる。
老衰というか、穏やかに自然な死を望まれるのか、
そして何処で死を迎えるか・・・・”

在宅訪問の折に長男に尋ねたこともあった。

兄弟だけで老母の最期を看取る自信はなく
“最期は救急車を呼び、入院をさせたい。
人工呼吸器による延命は望まないが、
胃瘻(いろう)はお願いしたい。
弟は少しでも母親に長生きをしてもらいたい”と。
鼻に管を入れるのは痛々しいから、それは望まない

先週の金曜日、病室を訪れたら
平下婆さんはベッドに寝ていた。
毛布の上がかけられていても、
彼女の躰は丸くなって寝ていることがわかった。

両手は毛布に隠れていて、毛布をめくってみた。
両手にしっかりと「グローブ」のようなミトン手袋をはいていた。
(北海道では手袋を「はく」と表現する。靴下も同じく「はく」)

点滴の針を射そうとすると
平下婆さんは、看護師に噛みついたり針を抜いたりなど抵抗が凄まじい。

長男にとり嫌な抑制は、承諾書署名(同意)を求められ、抑制となってしまう。
点滴のときだけ抑制されるのなら理解できるのだが・・・・、退院まで抑制されてしまう


自分の家族が、自分の老親が
ベッドで手足を縛られたらどう感じるのであろうか
確かに点滴の針を抜いたりして大変な状況になる、抑制はやむを得ない、と理解できるのだが・・・・
脱水症が完治し退院したときには
体力や筋力は落ち、心まで萎えてしまっている。

最期をどう迎えさせて逝くのか
老親の気持ちを聴くことはできなくなったけど
老親の気持ちを推し量り、どうしたいのか
息子二人の気持ちは、微妙に違い揺れ動いている

私もどう言葉をかけてゆくか 悩んでいる・・・・








1116;あなたの気持ち

2019-05-20 04:32:27 | 介護の深淵
beagle元気は 風の匂いを嗅ぎながら何を思う

あなたの気持ち

デカルトの有名な言葉に
我思う、故に我在りがある。

人間は考える動物(思考する動物)であり
その思考をしている自分という人間は存在している

自分が死んだら思考も感情も存在しなくなる
だから、生きていること自体
自分がいま、存在している
自分は なぜ、ここに存在しているのか

しかし、その存在は無限ではない

風の匂いを嗅ぐbeagle元気の姿を見て 我思う
beagle元気は何を思っているか
犬が一番思うこと 
人間の玩具として扱われたくない
犬も同じ家族の「ひとり」
犬だって感情も気持ちもある

beagle元気の寝姿を見ていると
安心しきり無防備に寝ている
“悩みがあるのかな”とつい思ってしまう
自分もぐっすりと眠りたいものだ、と

要介護老人の気持ちを
推しはかり どこまでわかっているのか

自分の存在以上に
相手(老人)の存在を思い
様々な感情や思い(想い)を
つまり、老人の気持ちをわかろうとしているのか
介護サービスをプランに乗せるだけがケアマネジャーの仕事ではない

その気持ちを受け留めているのか否か
自分の存在が問われてくる

唯一無二の存在であるだけに
人間は他者に代わることはできない
それだけにあなたの気持ちを理解していくには
何が大切なのか・・・・



 

1115;わからないもの・探しもの・大切なもの

2019-05-19 06:38:19 | 老いびとの聲
わからないもの探しもの大切なもの



   曲(歌)の好き嫌いは、人それぞれである。こうしてユーチューブから曲を貼り付けすることに躊躇いがある。
   視聴するしないは、訪問者様の「クリック」(判断、自己決定)に委ねられる。


この世に生きて 一番“わからないもの”は
何かと尋ねられる、と
それは自分という生き物なのかもしれない。
わかっているようでわからないのが自分。

他人に見えて、自分には見えない
自分の顏 鏡に映さなければ見えない
自分の聲 録音機器から出る聲で聞こえる


老いに入ったとき
自分はなぜ生きているのか
老いたとき倖せ(幸福)とは何か
わからなくなってきた

死が近づいている(残り時間がすくない)のに
忘れていた“探しもの”に気づかされた


井上陽水の「夢の中へ」を聴くたび 
“探しもの”は何なのか、と考えてしまう。

探しものは何ですか?/見つけにくいものですか?/カバンの中もつくえの中も/探したけれど/見つからないのに・・・・・

「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?」
『夢の中へ』から流れてくる“見つけたい、探しもの”は

自分はなぜ生きているのか
倖せとは何か

そのことだったのです。

しかし、それは頭の中だけで考え悩んでも見つからない

時間がないと焦らずに
気を休め、息抜きに踊ってみることで
“探しもの”が ふと、簡単に 見つかるかもしれない



『星の王子さま』は、子どもだけでなく、大人の童話でもある。
感動する言葉が星のように ちりばめられている。
その言葉のなかの一つに
“ものは心で見る。肝心なことは目では見えない”

自分が生きてきて、本当にそう感じた。
目に見えない“大切なもの”とは。
慢性腎不全症から人工透析になったとき、健康の大切さに気づかされた。
別離(死別や離別)により大切な人を失ったとき、生命や家族の大切さをしみじみ感じた。


“探しもの”は “大切なもの” で
失ってはじめて “わかる”こともあるが
失わない前に気づき “探しもの”を大切にしていきたい。 

“探しもの”や“大切なもの”は何なのか
要介護老人の言葉からも
気づいていくのかもしれない。


1114;明日があるとは限らない

2019-05-18 13:57:20 | 阿呆者


恥ずかしながらの我家の荒れた野菜畑 ハルジョン、ヒメジョンが咲いている
妻は貧乏草と呼び、我家が貧乏になる、と呟いていた

明日があるとは限らない

誰  も 
明 日 が 
あるとは 
限らない

今日という日は
二 度 と
繰り返さない

いまから
貧乏草が
生えている
三坪足らずの
野菜畑を
耕  す


心の耕しも
怠っていた

1113;コンドルは飛んでいく

2019-05-18 08:29:56 | 歌は世につれ・・・・
コンドルは飛んでいく





作詞・唄:サイモン&ガーファンクル、
作曲:D.A.ロブレス、訳詩:kei

地を這う蝸牛よりも雀になりたい     
叶うものなら絶対にその方が良い               
                                                          
打たれる釘よりハンマーになりたい
叶うものなら絶対にその方が良い

遠く、船出したい
飛び立って行く白鳥のように

大地に縛られた男が
この世界を悲しい調べで満たしている
とても悲しい調べで

街より森になりたい
叶うものなら絶対にその方が良い

足の下に大地を感じていたい
叶うものなら絶対にその方が良い


「コンドルは飛んでいく」を聴いたのは
20代前半の頃だった(40年前余りも時間が経過した)

地をあてもなく這うミミズや蝸牛よりも
それは小さな雀であっても 空を飛べるならいい

コンドルのように自由にアンデス山脈を飛んでいきたい
でも、最愛の大地に戻り
インカ兄弟とともに
大地を感じ生きていきたい

そんな想いを抱く曲 “コンドルは飛んでいく”
 

1112;臨  床

2019-05-17 16:24:37 | 介護の深淵
ブロック塀に這うように咲いた青い花、無知な私は花の名前がわからない 

床に臨む
ブログ36 臨床 (再掲 一部書き直し)

砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。

老人にとっても 
わたしとっても 
残された星の砂は
大切な時間である。

老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じながら 
なにを話すのでしょうか。

病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。
直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。

介護の世界においても同じである。

ベッドは畳(たたみ)一畳の限られた時空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう)している老人と目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけていくのだろうか。

十年間寝たきりのある老人がいた。
長い間家族から離れ そして友人が住む地域から離れ じっと耐え 生きてきた十年間。
明日のことよりも 今日を精一杯生きていくことだけを考え、
今日まで生かされてきた。

残り少なくなってきたあなたの時間
わたしの時間を あなたにプレゼントする思いで
ゆっくりと流れる時間のなかで 
あなたの傍に居たい


1111 ; 奇想天外

2019-05-17 02:51:07 | 老いの光影 第5章
奇想天外
1111 ゾロ目のブログ回数


さくらさくらデイサービスに通う老人の中に
思いもつかない行動をとり、言葉を失うこともある。

5月で93才になった嶋倉千代子さんは、70才の長男と二人暮らし
先日デイサービスで、トイレで衣服を脱ぎ全裸になっていた
トイレを浴室と勘違いしたのであろうか


千代子さん、トイレから出てきた彼女の右の掌に
黄土色の丸い餡子玉のようなものが乗っていた。
彼女の唇は“餡子”が着いていた。


5月で89才になった久佐木敏子さんは、長男夫婦家族と暮らし6人家族
糞尿で汚れた洋服とズボンを旧式の石油ストーブの上に乗せていた
火が点いている石油ストーブの上に衣服を置いたら火事になり家が燃えてしまうよ
“(衣服が)濡れているから大丈夫だ、と思った”と敏子さんは答えた

元小学校教員だった彼女、乾いた衣服、ズボンは、所々茶黒く焦げ穴があき、それを着ていた
もの凄い糞尿が鼻につき大変だった


89才の小林軽樹さん 
いつも糞尿をした後、尻を拭かずにトイレから出てくる
軟便の彼、肛門に便付着したまま椅子に坐り気持ち悪くないのであろうか


《おまけ》
卵かけご飯にしようと
卵を割ったら
ヒヨコが出てきた
そんなことありえない

1110;死の恐怖

2019-05-16 09:03:14 | 生老病死
の恐怖

90才を越えた木舟婆さんは
在宅訪問をするたび
「早く死にたい~」と話すも
翌日、クリニックを受診し薬をもらってくる。

老い そして病み
その先は “死”が待つ。

にんげん穏やかに死んで逝きたい、と思う。
死を考えるとき
志賀直哉の小説『城崎温泉にて』を思い浮かぶ

生きている、死の迎え方
生死は裏表にあり、生死は一つになる。

志賀直哉は城崎温泉で、三つの死に遭遇した。
蜂は、寂しいが静かな死であった。
鼠は、首に串が刺さり、石を投げられて必死に逃げ 惑っている。
イモリは、筆者が驚かしてやろうと、小毱ほどの石を手に取り投げた。
その石がイモリに当たり死んだ。

最期は蜂のように静かな死でありたい。
イモリは予期せぬ死であり、死ぬときは心の準備が欲しい。
鼠は悲惨な死だけに、余計に死の恐怖が募る。

いずれの死に方であっても、
死んだら自分という存在は無くなる。
時間が過ぎ行くにつれ
自分という人間は忘れ去られる。
そのこと自体が、死に対する恐怖なのかもしれない。

いま、生きている
存在している自分に〝感謝〟する。
小さな三つの生命(蜂、鼠、イモリ)から
生死を考えさせられた。

死は他人事ではなく、
極めて個人的な事なのかもしれない。









1109;生き地獄

2019-05-15 12:13:58 | 老いの光影 第5章
季節外れの風景

生き地獄

生き地獄とは どんな世界なのか
生き地獄を味わった人でないとわからない

私が担当している婆さんではないが
さくらさくらデイサービスセンターに昨日から通い始めてきた
95才の婆さんの独り言を聴いてしまった。

「(いまのわたしは)生き地獄だ」
95才
覚束なくなった足になり 便所に間に合わず
粗相をしてしまった。
嫁から「臭い」と言われ
ブロックで積まれた8畳一間の小屋に棲まされた。

冬は寒く夏は暑く 人様が棲めるような処ではない
便所は母屋にしかなく
(ブッロク小屋に便所はない)
95才の婆が使うと 便所は汚れ臭くなるから
嫁は「トイレには行かずに紙パンツのなかにしなさい」と。

お尻は爛れ 痛々しい
これから暑くなってくるので褥瘡(床ずれ)が心配

便所に行くこともないから
足の筋肉は衰え 心まで萎えてきた

昼夜ベッド上の暮らし
部屋の片隅には小さな液晶テレビが申し訳なそうにあるだけ

さくらさくらデイサービスに来てわかったこと
まだ両肘、両膝の関節に拘縮はなく
手を尽くせば 立ち上がりや立つ
うまくいけばつかまり歩きもできる
可能性を秘めているのだが

歩かなくなったために
股関節が錆びれ 動かすと痛く
痛いが故にジッと動かさずにいる

歌を忘れたカナリヤではないが
歩くことを忘れてしまった95才の婆さん

一番心を痛めるのは 排せつ
ポータブルトイレを置くことも
きっとままならぬであろう

ポータブルトイレのバケツに溜まった糞尿は
誰が捨てるのか
嫁が捨てることは考えられぬ

捨てらずに溜まった糞尿がベッド脇に置かれると
それこそ臭くなりポータブルトイレもままならぬ

なんのために生まれて来たのだろう?
長生き過ぎてしまった
この世は生き地獄

これから、どうするか

1107;上を向いて生きる

2019-05-14 07:58:37 | 老いの光影 第5章
上を向いて生きる

「下を向いている人(老人)が多い」と或るお婆ちゃん(89歳)が呟い(つぶや)た。
その言葉を耳にしたとき、胸の疼き(うず)を感じた。

下を向いているときの人間の心境は、
怒られているとき、失敗したとき、哀しいとき、不安なとき、絶望のときなどであり、
気持ちは決して明るいとは言えない。

元気で明るく、希望や夢に向かっているときは「
上を向いている」歩いているのかもしれない。

誰かの「お世話」になりながら生きていることの申し訳なさが、
知らず知らずのうちに「下を向いてしまう」老人の気持ちを受け留め(「止め」ではなく)、
一緒に「上を向いていける」ような関係をつくっていかねばと思う・・・

1106;これから

2019-05-13 13:17:05 | 阿呆者
失礼! また登場しました 歩くの疲れた~

これから

自分は、これから・・・・
自分は、いまから・・・・

絡み縺れた糸を
鋏で断ち切るように
すべてを“やめ”たら・・・・
気持ちが軽くなるのかな

生きている限り
煩悩につきまとわれる

何も欲しないこと
いまのままでいいのだ・・・・

自分は、これから・・・・
自分は、いまから・・・・

1105;好かれる爺さん、嫌われる爺さん

2019-05-13 07:49:28 | 老いの光影 第5章
好かれる爺さん、嫌われる爺さん

さくらさくらデイサービスをご利用される爺さんを見ていると

婆さんから嫌われる爺さん、好かれる爺さんがある

嫌われる爺さんは
大声を出したり、怒ったりする、優しくない
気配りがない
助平ですぐ女性介護員や婆さんを手で触りまくる
トイレに行き排便をしても拭かずにでてくる
婆さんが寄っていかない

好かれる爺さん
そう話をしなくても
気がつき、優しさがある
お洒落である
笑いがある
助平な話はするが、体を触ったりしない
婆さんが寄っていく
好かれる爺さんは早死の傾向にある