能「道成寺」を違うキャスト、違う演出で5日間にわたって上演する道成寺フェスティバル。
時間さえあれば、コンプリートしたい素敵企画でしたが、昨日一回しか行けませんでした。
能はあまり観に行ったことがありませんが、あの完成された様式は憧れです。
無駄なものが一切ない、削ぎ落とされた表現。
音のない時間、動きのない時間の緊張感が独特。
創る側からみると、あれだけの間を持たせるのは、とても勇気がいるし、力もいる。
いつかは辿り着きたい境地です。
津軽三味線は手数の多さがウリだけれども、
メリハリをつけるのに、叩きの手法を使わないなら、
こういう間を使うのも一つの方法論かなと考えています。
なかなか実戦は難しいのですが。
さて。
巳年の今年、やはり何らか形にしたい道成寺。
清姫って、要するにストーカーやんか?とか言われることが多くて、
否定もできないところはありますが、そう言ってしまうと身も蓋もない。
現実的でないとしても、その恋の狂気は誰しもきっと内に感じたことがある想いであって、
だからこそ、多くの作品で繰り返し描かれてきたテーマなのだと思う。
写真は、2007年 ENの道成寺です。