楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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時計(人、その生と死と 9)

2006年07月04日 10時29分00秒 | つれづれなるままに考えること
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(時計)
時計には、動力源によっていろんな種類がある。
手巻き時計、自動巻き時計、電池時計、などなど。
まだソーラー電池時計がないころ、こんな質問があった。
「世界で一番沢山出回っている時計はどれでしょうか?」
ボクは即座に「電池時計」と答えたが、正解はノー。

世界は広い。
テキサス州一州だけで日本の総面積の7倍あるアメリカ。
アフリカの砂漠に住む人たち、ブラジルの熱帯ジャングルの中、
太平洋の小島、東南アジア諸島、ゴビ砂漠、北極南極の雪氷の深いところ、
こんなところでは、電池時計は役に立たない。
電池が切れたら一日かけて町へ出て、電池を注文して電池が到着するのを待たねばならない。
こんな時計は役に立たないのだ。

今でもそうだと思うが、やはりぜんまい仕掛けの手巻き時計が、
世界では一番出回っていると思われる。
止まったら、ねじを巻けばすぐ動くからだ。

つい先ごろ、スイスで腕時計のショウがあった。「モーターショウ」ならぬ「腕時計ショウ」である。
雑誌にこのショウの模様が記してあった。世界各国から出品される。
ボクが知っている範囲では、メーカーの名を記すと、オメガ、エルメス、
ロンジン、ロレックス、カルチエ、オーディマピケ、シャネル、
日本ではシチズン、セイコー、が出品される。
世界の時刻を表現するものから、豪華に宝石をちりばめたもの、
複雑な機械構造を表(おもて)に見せた時計、
百分の一秒から、一分を一秒ごとに刻むもの、日付、曜日、月、年号、
を表現するもの、世界各地の時刻を刻むもの。
ありとあらゆる時刻に関係するものを文字盤に見せようとしている。

今に、子供が生まれたときから時を刻み始めて、ただ今あなたは何歳と
何ヶ月、何時間、何分、何秒を文字盤に現わす時計が出てくるに違いない。
そして、ご臨終とともに時計は止まる。

雑誌に掲載された腕時計の写真は沢山あったが、どれも標準時間との
誤差は、一年間に5秒前後とあった。
中には、「十万年に1秒の誤差があります」をうたった腕時計があったが、
この時計を買った人は、代々子孫に伝えて約3000人目の時に、たった1秒狂うのを発見できる。
誤差を確認する前に、機械が磨り減って止まってしまうのではないだろうかと、
余計な心配をしてしまう。

ほかに気になったのはお値段だ。
一番高い時計はどこの国の製造と思いますか?
なんと!日本のセイコーであった。さすが経済大国 世界でNO.2の日本。
品物も良いし、なんといっても正確この上ない。
さてお値段は、15、750、000円也。
お値段は日本製が一番であったが、なんとお値段を発表していない
メーカーが一社あった。これが本当は一番高価なのかもしれない。

どこと思います?

はい、そうです。ロレックスです。

話が大変それてしまいました。
閑話休題。
日本の家庭には、時計と名のつくものが、いたるところにゴロゴロしている。
我が家にいたっては、ボクでさえ、腕時計五個に懐中時計の計六個持っている。
さらに、靴と時計が道楽のカミさんが居るから、時計が沢山ある。
カミさんの腕時計だけで十数個、ブレスレット、ネックレスになった時計を
加えると三十個近いものを持っているに違いない。
カミさんと出かけるときは時計屋さんの前は避けて通るようにしているくらいだ。
家の中を見渡してみると、時計は壁掛け時計が三個、置時計、目覚まし時計、
それにテレビ、ビデオデッキ、パソコン、カメラ、洗面台、ICレコーダー、ミニコンポ、
ペンetc.についている時計を加えると、家の中には、80個ほどの時計があるように思われる。
しかも目に付く時計の全てが、違う時刻を指していても一向に気にならないのはなぜだろうか?

人は生まれるや死に向かっての旅を始める。
死ぬまでの時間は、神から人間に与えられた唯一平等なものであるが、
その期間については、長い人も居れば、短い人も居て、この点では不平等であるが、
死ぬときにならないと、それは分からないから、不平も出ないのであろう。
この時間をどれだけ大切に使ったかによって、
人間の価値が決まるといっても過言ではないのに、
時刻については一向に気にならないのはなぜだろうか?

死についても、決して避けることが出来ないにもかかわらず、
一向に気にしないで生きているのはなぜだろうか?

病気に罹って、「後一年」「あと三ヶ月」「三年間生存率 30%」と
医師に宣告される、あるいは、身近な人が亡くなって次は自分と思うと、
気になって気になって、居ても立っても居られないのはなぜだろうか?

それはきっと、時間が経つことや、死ぬということが、あまりにも当たり前のことだから、
思い出そうとしないからに違いない。
時間は経過するもの、人は死ぬものと言うことをきちんと自覚すれば、
過ぎ去っていく時間を有意義に使って、今やらなければならないことを
精魂込めて(次の瞬間には死んでも悔いは残らないくらいに)
実行するに違いない。

明日が試験の日だというと、徹夜で頑張る。
明後日がお見合いだとなると、とたんに服装や髪型が気になる。
差し迫らなければなかなか動かず、怠惰な気持ちを持っているのも
人間の特徴である。
そんなことを気にかけなくて済むよう、普段から時間を有効に活用し、
身じまいを正して良き人生を歩きたいものである。



コメント
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