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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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ヤシの実ー島崎藤村から東海林太郎そして・・・

2024年11月16日 05時02分38秒 | つれづれなるままに考えること
なぜ「椰子の実」を思い出したのか、
未だに分からない。

wikipediaによれば、
「椰子の実」は1898年(明治31年)の夏、
1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した
柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、
島崎藤村がその話を元に創作したものである。

1936年(昭和11年)7月、
日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった
『国民歌謡』の担当者が作曲家の大中寅二を訪問し、
この詩に曲を付すよう依頼し、7月9日には曲が完成した。
以上は(wikipediaより)

歌ったのは東海林太郎で、
ポリドール・レコードで録音した。

椰子の実 東海林太郎

東海林太郎と言えば、
ボクは「名月赤城山」や「赤城の子守歌」で、
昭和初期に大流行し、東海林太郎が一躍有名になり、
明治生まれの父や母がラジオを聞いていたのを覚えている。


赤城の子守唄 昭和9年 東海林 太郎 (しょうじたろう) 唄


この歌を聞いて、在りし日の父母を思い出し、
目頭が熱くなった。

(とうさん! かあさん! 
 あなた方のお子さんは6人いましたが、
 今は、次女と長男だけになりました。
 二人は元気?に生活しています。
 どうぞ、安心してくださいますように・・・)

と祈るばかりである。




コメント (2)
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