表題の文字が読める人はかなり高い教養のある方と尊敬します。
この所、庚申塔のことを書いてきましたが、
庚申の日に眠らず徹夜をして青面金剛を祝うお祭りを、
「庚申待(こうしんまち)」と言っていました。
この祭りは、全日本各地に広がっていたことが解ります。
(青面金剛像)

芭蕉の奥の細道の旅に同行した曽良の旅日記に、
次のようにある。
もちろん旧暦の事であるが、
「〇五月廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水入来、連衆故障有テ俳ナシ。
夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。
廿六日 昼ヨリ於遊川東陽持賞ス。
此日も小雨ス。 」
とある。
例によってボクの勝手な現代語訳であるが、日付は旧暦のまま、
「〇五月廿五日 時々小雨が降る。大石田(山形県大石田町)から
川水(俳号、大石田の庄屋)がお出でになったが、
俳句仲間に都合の悪い人があって、俳句の会は取りやめ。
夜になって、秋調(俳号、歌川仁左衛門)の所で、
「庚申待」に招かれ一夜を明かした。
廿六日 昼から庄屋の遊川(俳号、沼沢所左衛門)の家で、
東陽(俳号、秋調の父で、医者)がもてなした。」
となる。
庚申の日には、三尸(さんし)の虫が、
夜中に本人が眠っている間に体内から抜け出して、
その人の悪行を天帝に告げ口をする。
天帝はその告げ口により、人の寿命を短くすることが信じられていた。
これを避けるために夜寝ないで過ごすのを「庚申待」と言っていた。
ここでお分かりになったと思いますが、
表題の「持賞す」は「もてなす」と読める。
いかがでしたでしょうか・・・・。
この所、庚申塔のことを書いてきましたが、
庚申の日に眠らず徹夜をして青面金剛を祝うお祭りを、
「庚申待(こうしんまち)」と言っていました。
この祭りは、全日本各地に広がっていたことが解ります。
(青面金剛像)

芭蕉の奥の細道の旅に同行した曽良の旅日記に、
次のようにある。
もちろん旧暦の事であるが、
「〇五月廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水入来、連衆故障有テ俳ナシ。
夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。
廿六日 昼ヨリ於遊川東陽持賞ス。
此日も小雨ス。 」
とある。
例によってボクの勝手な現代語訳であるが、日付は旧暦のまま、
「〇五月廿五日 時々小雨が降る。大石田(山形県大石田町)から
川水(俳号、大石田の庄屋)がお出でになったが、
俳句仲間に都合の悪い人があって、俳句の会は取りやめ。
夜になって、秋調(俳号、歌川仁左衛門)の所で、
「庚申待」に招かれ一夜を明かした。
廿六日 昼から庄屋の遊川(俳号、沼沢所左衛門)の家で、
東陽(俳号、秋調の父で、医者)がもてなした。」
となる。
庚申の日には、三尸(さんし)の虫が、
夜中に本人が眠っている間に体内から抜け出して、
その人の悪行を天帝に告げ口をする。
天帝はその告げ口により、人の寿命を短くすることが信じられていた。
これを避けるために夜寝ないで過ごすのを「庚申待」と言っていた。
ここでお分かりになったと思いますが、
表題の「持賞す」は「もてなす」と読める。
いかがでしたでしょうか・・・・。
>持賞す
表題の文字が読める人はかなり高い教養のある方と尊敬します。
さっぱりわかりませんでした。
自分に教養がないと改めて自覚しました。(苦笑)
「じしょうす」ではなかったのですね・・・。^_^;
それにしても、庚申の日のお節介な「三尸(さんし)の虫」には困ったものです。
三枝さん 浮気するのは 芸の虫 / iina川柳
元・桂三枝の文枝さんがつぶやいています。
尻取りは、小難しく考えないで五七五に句を詠めば、そのうちの何句かはおもしろい句になるものです。
そんな風に思わなければ、巧くなりません。
庚申のことは知っていましたが。
毎回、勉強になります。
奥の細道の大石田は、これからバス旅行で行くので予習になりました。
曽良は、自分だけわかればよい旅日記を付けていたので、
当て字かもしれませんね。
それを読めるる人は余程の教養の持ち主、
普通は読めません。
読める人を尊敬します。
それにしても難しそうです。
今年の新緑の頃カミさんを連れて訪ねたいと思って居ます。
どうも納得できません。曽良旅日記にしばしば表れるので、どう読むのか、意味は何か不明のままでおりました。
文脈からは、曽良を主語にした文が多く「ご馳走をいただいた。」ならば、意味が通じるのですが、突然、別人を主語にしてもてなすとはならないように思います。ご教示ください。
ボクは「おくのほそ道」萩原恭男著の岩波文庫2007年4月16日第53刷発行を読んでおります。
ここの曾良の日記もあり、
五月二四日の項に、同じく「持賞す」があり、
脚注をつけており「もてなす」としております。
お調べください。