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楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

昨日の一善

2003年10月06日 09時11分00秒 | つれづれなるままに考えること
(言うは易し、行なうは難し)

駐車場に空き缶が二つ、
置いてあったので所定の場所に、
捨てた。
最近空き缶を放置するのが
目立つ。

モラルの問題!!

(お里が知れる!!)と、
子供の頃は言ったものだが、

親が笑われると父に良くしかられた。
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⑲まだまだ 捨てたものじゃない東京!Japan!

2003年10月05日 13時15分00秒 | つれづれなるままに考えること
  (7ヶ月に渡る、長い闘病生活後の事件!) 
 財布と免許証ケースの入ったバッグを 何処かに忘れてきた。
これに気づいたのが、朝、仕事に出かける直前の あわただしい時間になってからだった。 

思い巡らして,昨夕「ゴルフの練習場に忘れてきた」に すぐ気づいた。 
仕事の都合もあって、また早朝でもあり、そのまま仕事場に向かった。 

ゴルフの練習場は,ウイーク・デイの日中は空(す)いているが,
夕方からは,仕事が終わった人で満席になる。8番打席は,
何人の人が利用するか分からない。どの時点で私のバッグは忘れ物として発見されたのだろう。
いやいや、練習場の係の人が,忘れ物として いち早く発見してくれていて、保管してくれているだろう.... 

しかし、一方で「誰かが持ち去ったのではないか?」という考えを 
避けようとしている自分に気がついた。 
財布と免許証入れには、お金が少しと、クレジット・カード三枚に銀行のキャッシュ・カードが入っていた.

「このご時世では,お金は銀行から引き出せるだけ引き出し、
カードで、買えるだけ買って、キャッシングもすっかりし終えたら、財
布も免許証入れも全部、捨ててしまう」に違いない。

最近、新聞紙上を騒がしている事件を思い起こせば、
賄賂を貰っていても、自分ではないと言い張り、結局は逮捕される政治家。

日本へワーキング・ホリデイで来ている若い外国人女性に、乱暴するのが目的で 
薬物を飲ませ誤って死なせてしまい、女性を文字通り 
八つ裂きにして、岩陰に埋めた男。

三歳の子供を折檻して、殴り殺してしまい病院へ担ぎ込む親。
年端も行かない子供に、食事もろくに与えないで、餓死させる親、
何ヶ月も風呂どころか、排泄物の処理もしてやっていなかった。
動物にも劣る母親や父親。

そんな人たちが多い今の日本。
こんなニュースは、日本人のごく一部と信じたいが,
余りにもひどい事件が多すぎると、日本人全体が「自分さえ良ければ....」
という気になっていないだろうか?と疑ってしまう。 

「いやいや それは無い」
電車の中で考えながら仕事場に着いた。
社会はもう動き出す時間になったので、ひとまず ゴルフ場へ電話をした。

すると返事は,「昨日 バッグは練習場のフロントに届けられた」と言う。
やれやれ これで一安心と思いきや

「その後,落し主から電話があって、息子が取りに行くので渡して欲しい と言われ、息子さんに渡しました」と言う。

私は,忘れてきた事を、つい一時間ほど前に気がついたのに、
昨日のうちに、息子に取りにやらす事は不可能だ。
これはてっきり拾い主が,財布のお金を見て、届けるには届けたが、
やはりネコババしてしまおうと考え、まさか自分では取りに行けないから、
代わりの人を取りに遣ったに違いない。  

そこまで聞いて、カード類の紛失届をカード会社にすることにした。
カード会社の対応は,それぞれであったが、
U社、D社...と届出を済ませ 一時間は経った頃、

自宅から、「バッグがゴルフ練習場のフロントに返ってきた」
との連絡があったと カミサンから電話が入った。 

いきさつはこうだ。
バッグは練習場の駐車場に落ちていて、テニスの練習生が拾って、フロントに届けた。
中の免許証の苗字だけ見て、頭に思い浮かべたその人の家に 電話をした。
その方は息子が,練習場の近くにいたので,
携帯電話で落し物を預かって帰るように伝えた。
息子が持って帰ったバッグを父親が見て、自分のではないから返すように頼んだ という...  

それにしても、「日本を代表する東京も まだまだ、捨てたもんじゃないぞ!」そう考え、
内心ホッと一息ついた。
翌日、ゴルフ練習場へ行って、フロントの女性から忘れ物を受け取り、
中身を改めたが異常なし。入っていたお金の2割を出して、1割はフロントの方々にと言って、
お礼を渡し、残り1割は拾っていただいた、

「テニスの練習生にお礼としてお渡しください」とお願いした。
これで万事終わり。カード会社からは新しいカードが届き、
被害が無かったと連絡があった。

その数日後、この件についてもう忘れてしまっていた頃、
フロントの方から一枚の領収書を頂いた。お礼を差し上げた、テニスの練習生からだ。

「ごく当たり前のことをしただけなのに、ご丁寧なお志し、遠慮なく頂戴します。金○○○○円也」と記されてあった。

さわやかな気分で、領収書を受け取り

(東京も まだまだ 捨てたものじゃない!)

心にもう一度そう言い聞かせた。
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昨日の一善(言うは易し、行なうは難し)

2003年10月04日 19時30分00秒 | つれづれなるままに考えること
隅田川上流、
川べりの遊歩道で、
釣り人が捨てたであろう空き缶を、

7個拾って所定の位置に捨てた。
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昨日の一善 (一日一善)

2003年10月03日 15時19分00秒 | つれづれなるままに考えること
持ち運びができる軽いPCを探しに大型家電販売店に行き、
帰りに電動車椅子の女性がオートドアのノブに手が届かず、
代わりに押してあげた。
外へ出たら、自転車の駐輪が多く、
車椅子が歩道に出られなかったので、
二三台片付けて、
通れるようにした。

「有難う」の代わりに、

手を振ってくれた。
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⑱看護婦さんの仕事6(檻の中 13)

2003年10月02日 14時25分00秒 | つれづれなるままに考えること
(食事)
糖尿病のMさん 

中華のコックさんだったそうだが、
何を勘違いしているのか、
キャバクラのホステスとかん違いしたのか、
始終看護婦さんを呼ぶ。ナース・コールを押しては、
看護婦が来ると、

「違う お前じゃない」という。

看護婦が帰ると、またナース・コールを押して看護婦を呼ぶ。
散々呼んだ挙句に、お気に入りの看護婦が来ると、

「今日のお昼の食事メニューは何だ?」という。

看護婦もあきれて、
次からは相手にしてくれない。

狼少年になって本当に苦しい時に困っていたそうである。
隣人が、見かねて代わりに看護婦さんを呼んであげたとのこと。
患者うちで評判の人物となったが、
これでは大した中華料理もできなかったに違いない。

こんな患者の面倒をみる看護婦さんも楽ではない。

本題は、これから...

食事のメニューは、談話室の入り口ドアーに、
10日分が掲示してある。
入院した最初の頃は、気にも留めなかった。
治療が進むにしたがい、薬が重なっていくのであろう、
副作用は日に日につらくなり、
食事もままならなくなる。
抗がん剤投与の第二クールがはじまると、
吐き気、血糖値の上がり具合、
便秘の期間の長さ、
白血球の減少、
口内炎のでき方、

すべて第一クールより倍増する。
第一クールでは、吐き気は、
ちょっとした二日酔い程度で、
これなら食事も大丈夫と、
吐き気を我慢しながら食べることができた。

しかし第二クールでは、
ちょっとした匂い、
口の中に入れた食べ物の味にも敏感になり、
我慢なら無い吐き気に変わった。
加えて、血糖値が上昇したことで、
食事制限が加わり、塩分控えめ、
カロリー控えめで、味がついていない。

口の中が荒れているのも手伝って、
食べ物が口に入ったとたん、ゲッとなる。

でも体力を維持するために、
少しでもお腹に入れておかなければならない。

そんな時、食事のメニューがあるのに気がついた。
明日のお昼は、「マグロの照り焼き」。
ただ、それだけのために退院の時間を延長する人がいるくらい。

ところが、食事制限のある私には、マグロの照り焼きどころか、
なんか脂肪分の少ない塩焼きの魚。

塩焼きとメニューにはあるけれど、
ボクは一日何グラムと塩分が決められているから、
塩抜きの塩焼き魚。
口に入れても喉を通らない。

落語にある。
(けちな家主さんが昼食に梅干を眺めて、
酸っぱいと思うとそれだけで、ご飯が食べられる。)と。

同じように魚を見るだけで、ご飯を食べた。
翌日は、「トンカツ」期待に胸膨らませていると、
トンカツはおあずけで、
昨日と同じ焼き魚。
ここでボクの堪忍袋の緒がきれるところだが、
じっと我慢した。

しばらく経って、メニューでは、
翌日「牡蠣フライ」とあった。
フライはカロリーが高く、
カロリー制限のあるボクの食膳に上るわけが無い。
しかし替わりに塩抜きの焼き魚では、
とても食べられそうにない。
食べ物のことでは、散々苦労しているので、
朝食後、食べ終わった食器をのせたお盆に、

手紙を置いた。
調理室に届くかどうか分からないのだが。
「明日の献立(牡蠣フライ)を私にも食べさせてください」と。

置いた手紙のことは、どうせ調理室には届かないだろうと、忘れていた。

午後15:00頃、婦長さんとやや緊張の面持ちの見かけない看護婦さんが訪ねてきた。
婦長さんが病室に来る時は、
週一回教授回診がある時だけだ。
「お盆にありました手紙の事で、調理室の栄養士さんです」と婦長さん。

「実は、あなたはカロリー制限があって、御希望に添えないのです。」
と栄養士さんが言う。

「カロリー制限があることは、私も知って居ます。
例えば明日の献立にある牡蠣フライが、
普通の人は五個あるとして、カロリーが高いのなら、
ボクは一個でも良いのです。いいえその半分でも良いのですが」
とボクの主張。

栄養士さんは、脂肪、たんぱく質、炭水化物、
いろいろ組み合わせの中で必要栄養とカロリーの関係で、
食事のメニューが構成されていくので、
牡蠣フライは提供できないと言う。
こんな時ボクを納得させるのは、理屈では無理である。

「いろいろ御不満はあるでしょうが、申し訳ないのだけれど、
御期待に添えないので、謝りに来ました」と言えば、

無理難題を解っていて出したお願いである。ボクは恐縮して

「すみません、わがまま言いました。」

で終わってしまう。
しかし、理屈を並べられると、
もともと真っすぐでないボクのへそがさらに曲がってしまう。

「事情はあるでしょうが、無理を承知で書いた手紙だから、
何とかして欲しい」と主張。

さらに追い討ちをかけて言った。

「どうせ 長くても三年の命、
下手をすれば一年かもしれない人がお願いでも駄目ですか?」

これが 最後の切り札。これでは反論しようが無い。

先生と相談しますと、婦長さんも栄養士さんもすごすご帰っていった。
すこしやり過ぎたかと反省していたら、
やがて 主治医が来ていう
「HIDE-SAN!食事の件は、あれは駄目ですよ!」
「――」
ボクは黙ってうなずいた。

トラブル解決の鉄則は、

「人を変え、時を変え、場所を変える」を思い出した。


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