五所が原の歴史本。と書くと 大げさに なって終いますが 聞き語り的に まとめて みようと 思いその準備を ぼちぼち して行こうと 思っています。 先ずは 昨日 頂いた 野向町長明会が発行された 高尾の息吹第1集を 拝読させて 頂きました。郷土を愛し、親、先祖を尊び、誇りに 思っておられる 様子が ひしひしと 伝わって来ました。 町として まとめて おられますので 史跡や資料も確かな物が 沢山残っておられ 素晴らしいと 思いました。 五所が原は 一つの村では無く 谷の本村からの 出作りの村に 過ぎませんから 神社、仏閣が ある訳でも、学校がある訳でも有りませんが、語り つがれて守って来たものは あるとと思いますし 自分たちでは 当たり前に 思っていた ものでも 世に 紹介すれば いろいろ 気づいて 頂けるものも あろうかと 思っています。 五所がはらの家には 古文書なども 数多く 有りましたが 残念ながら 父母は そういうものに 興味は 無かったようです。 昭和50年ごろ 私が 胃の全摘出術を 受けた後も 入退院を繰り返し 祖母と 二人で 五所が原の家で 療養をしていた頃に 仏間の 仏壇の横に置いてあった 箱の中から 何点が 持ち帰ったものが あるだけです。これらも 読み返し 資料の参考に させて 頂きたいと 思っています。 越前の国の 村々の名前を記した本には 若狭の国は 入っていませんが、今は 石川県になっている 白峰や風嵐の村の名前も明確に 読み取る事が出来ます。これは 明治新政府が出来てから境界線が引かれて 離れ離れに なっただけで たかだか100年ばかりしか 経っていないのに 今では 江戸時代より以前から そのように なっていたと 思われていて 誰も 疑っていません。それだけ 明治からの 教育、政治、経済が 山の中で ひっそりと 平和で穏やかに暮らしていた 人々をも 世間の渦の中に巻き込んで 行ったと いう事だと 思われます。雪が5メーター6メーター積もって 道路が開かなくても 倒壊する家も無く、食料も 各家々で 足りるだけ有り、灯油や、電気、ガスが無くても 生活出来た 知恵があった事を 今一度 学び直すべきではと 思います。