3月の5日、あわらの芦泉荘で 昭和38年3月に 北谷中学校を 卒業した者の同窓会を 行う事になっています。 幹事の方から いろいろ病気などで 来れなくなった人がいると言ってきたので どんな様子か 一度尋ねて行こうと 言う事になり 私は、安岡兼さんに福井から 乗せていってもらい 勝山で 斉藤永雄君と 合流して 北六呂師の 同級生の家に行きました。 勝山の医院で 胃カメラ検査を したところ 十二支腸に 癌が出来ているのが見つかり、 3月15日に 手術を する事になり 明日は 大腸のバリュウム検査が あるという事で 食事制限に入っているとの事でした。 見た感じ 痩せ細ろえている訳でもなく、熱があるとか 痛がっている訳でもないので 今直ぐ 緊急に手術を しなければならない 状態では 無いので とりあえず ほっとしました。 ご夫婦で 京都で 中学、小学の先生をしていて 定年退職で 生まれ故郷に帰って来て、家も 直し、農業をしながらのんびりと暮すつもりだったのだろうと 思いますが 時々会った時に 話を聞くと 野菜ひとつを つくるのにも とても 研究熱心に している様子でした。もう少し 気を抜いて気楽にやればとも 思いますが もし 私が彼の立場なら やはりそうして いたかもと 思うところも あります。夫婦は 私のところとは 違ってとても仲が いい様なので 安心しました。 手術までは 未だ時間があるので 気晴らしに 一晩泊まりで 温泉に入った方が リラックスできて いいのではと 思いました。 奥さんも 行って来られたらと 言って おられましたし 出来たら そうしてもらいたいと 思っています。 杉山鉱泉の方も 入院手術を した後なので 行けないと 言っていましたが そういう時だからこそ 昔の仲間の中で くつろいでもらいたいと 思っています。 安岡兼さんや 斉藤永雄君、私などは、おせっかい やきなだけて なのかも知れませんが、仲間を 放っておけなく、こうして まわって 歩いて、お互い顔を見て 話を するだけでもと 思っています。 小学5,6年の頃、夏休みの終わりごろだったと 思いますが、 伊勢湾台風が あって 愛知県の方は 大変だと ニュースで 聞いて、クラスで 相談をして その頃、蕗とかゼンマイを 採って、クラスで バトミントンとか グローブなどを買う お金にしょうと 貯めていたものを 災害援助に 寄付を した事が あります。 自分たちでは 困っている人のために役に立って 欲しいと 思って やった事ですが それが 変な 方向に流れてしまい、小学生のクラスが 寄付をしたのに 学校全体では しないのかと 言われたと 言って 中学校の先生から 叱られた事が有りました。〔その頃北谷は、北谷小中学校と言って同じ敷地内にあって、生徒会活動なども 小中合同で行われていました。〕人に 援助の出来るほど 余裕のある身分でも 有りませんでしたが とにかく 放っておけないというのが 私たちの考えでしたし 今もそれは 間違った事をしたとは 思っていません。担任の先生の 考え方も 影響していたと 思いますし、 もともと 7山家族と 言われる 一向衆の先祖の血が その様に させて いるのではと 思っています。 私は、北谷に 7山家族の様に 自分の事より みんなの幸せを 先に考える 独立村〔昔は百姓の持ちたる国と言われていたそうです。〕が 出来ればと 思っています。 19
時現在 五所が原積雪255センチ。
時現在 五所が原積雪255センチ。