東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

二つから一つを選ぶ時

2011年02月17日 18時57分56秒 | 日記
 私は、東山いこいの森では 仙人と呼ばれ 自分でも その気になって 威張っていますが 娑婆に下りて来ると いろいろな人や 世間との 関わりの中で 二つに 一つを 選らばなければ ならない 場面に 出くわします。 2月13日 お面様祭りも 終わって お寺で 囲炉裏の火の始末を 数人で している時、区長の携帯に 福井に帰った 妻から 電話が かかって 来ました。私の 携帯は ソフトバンクなので 圏外になっていて かからないので 妻が 区長の携帯にかけたのですが、 父の実家から 電話があって 和歌山にいる 父の姉が 亡くなり 今晩 お通夜で 明日 葬式との事、 たぶん 前日あたりから 何回も 電話を したことだと 思いますが、北谷に 泊まり込みで いたため 通じ無かったのだと 思います。 しかし もうお通夜には 間に合わないし、葬式にしても 今から 直ぐに 車で帰って 列車に乗れば 何とか間に 合うかも 知れませんが、 こちらも 明日は 月曜日で いろいろ片付けを する 人数が 必要なのに 人間が いません。 父の実家の従兄は 和歌山に行っているので、妻に 従兄弟に訳を 話して 香典や お供え物も お願いする様に いいました。 父が 亡くなった時には 和歌山の従兄弟は 来てくれていたのに お返しが 出来ないくて 父にも 申し訳なく 親不幸な 自分だなーと 思いました。 2009年8月12日、 父が 亡くなったのも 突然の事で、お盆に向けて、東山いこいの森も 忙しい時で 13日の昼から 帰って15日に 葬式を 済ませ、16日の 昼には 東山へ 戻って来ました。 喪主で ある身なら もう少し ちゃんとしてと 親戚からも 言われましたが、父だったら 私の我がままを 分かってくれるだろうと 東山に 戻りました。 私がいなかった たった3日間の間に 事故があったりして 大変だった事を 思いますと、身内の事は 後回し、東山や 谷の事を 優先にしなければと その時 思いました。   14日、後片付けを 終えて、父の実家のある 大野の木落に 向かいました。国道158号線の中休から 蕨生に入り、木落の家には 従兄弟の息子が ちょうど 休みでいたので 訳を話して 香典などを 置いて来ました、佐開の集落の橋を 越えると もう一人の 父の姉のいる 五条方ですが そこ迄は 行かずに 帰って来ました。 蕨生は 荒島岳の麓で 福井で 一番先に スキー場の出来た所です。 小学校5年生の時、友達のスキーを借りて、優勝し 賞品に スキーを もらったと いうのが 父の自慢でした。 五所が原に 婿養子に 来てから 村の人は スキーなど 関心が無く カンジキで 踏んだ道を スキーを履いて歩くなと 村の者から よく怒られたとも 言っていました。 父が スキーで ガイドをし 祖母や母が 調理師の免許を取って 民宿を始めた おかげで スキー客も 次第に増え、村全体が 潤った事も 懐かしく 思い出しました。 荒島岳は 雲に隠れて 見えませんでしたが、家に帰ってから 仏壇で 父に報告を しておきました。  19時現在 五所が原の積雪は 273センチです。