
死亡が確認されました。

妻や妹たちも、9時過ぎまでは、病室にいたのですが、
様態が、変わらない様なので、家に帰っていきました。

私は、母の足や手をさすりながら、
これまでの母との 思い出など、いろいろ思い浮かべていました。

こんなに、母と、ゆっくりとした 時間を過ごした事が
無かっただけに、痩せた母の手足のしわを、苦労をかけて
申しわけ無いと思いながらさすっていました。

ベットの横には、沢山のモニターが付いているわけでは無く

酸素の量だけが分かる、マッチ箱ぐらいのものがあるだけですが、
妹たちが帰る9時過ぎには、96を示していた値が、88、84、90、
96と、揺れるようになって来て、さすると、持ち直す感じでしたが
10時を過ぎた頃、それまで、口を開けて呼吸をしていたのに、
口を閉じて、終いました。
ジーっと見ていたのですが、そんなに、痛みがる事もなく
自然んな感じでしたが、顔を見ていたので、その瞬間を
見逃す事はなく、息を引き取るのを 間近で確認することが
出来ました。
看護婦さんは、5分ぐらいして 来られ主治医の先生に連絡を
入れて下さり。
私は、弟や、妹たちを携帯で呼び出しました。
先生が、来られて、10時26分死亡と診断してくださいました。
緩和ケア病棟のお陰で、穏やかに、息を引き取る事が出来、
母にとっても、幸せなことであったと思います。
病院のスタッフの皆様にも、よくして頂いて 感謝しています。

