谷お面様祭りNO.2
2月13日 朝、大雪の 予報が出ていたが、新雪は 25センチ程で 止まった。 関東の方では 5センチでも 大雪で 交通がマヒするとか 言っているようですが ならば 今少し 雪害対策として 3メートルを超える所には 援助の手をと 3センチと 3メートルでは 100倍の差が ある事もお忘れなく。 今回 困った事は マイナス5度まで 冷え込んだ為 何時も使っていない、お寺や 集会場の 水道が 凍結していまい。地元の人でない、アマチュアカメラマンなどの人が トイレに 難儀されたのではと 思います。区長の家のトイレなども 開放して 使って頂きましたが 中には 神社の 境内の中でも 用をたされた あとが ありました。 ここで 生まれ育った者にとっては 少し寂しい気がします。 雪だるまに ござ帽子を かける前に 積もった雪かきをして お面や ござ帽子を着けて 行きました。雪だるまが155個、四角い穴だけのものが 115個ありました。 これだけの数があると、ロウソクを立てて 灯をつけるのも 結構時間が かかりました。 振るまい様の栃もち付きや、きなこもちもつく事よりも 水の準備の方が大変でした。 昼1時から お寺で お経様を いただき、2時からは、お宮さんで 年頭の神事をして頂き、となりの番戸神社でも 神事をして いただき、集会場に お飾りしてある お面様でも お参りを して頂きました。 雪だるまにロウソクの灯いれを する頃は、気温も下がり出しました。 6時近くには、勝山からのバスも 到着し、市長さんをはじめ、県会議員さん、市会議員さん方も 来られ、お寺のお御堂に用意された 席も 満席と なりました。 谷独自の手法で作った鯖のなれ寿司、サトイモの煮付け、ウド、コゴミ、ゼンマイ、沢庵の煮たものなど、また 鉢に盛られた、ニシン大根漬け、ウドの酢のもの、ジャガイモのかっちり煮など、雪深い 山里ならではの 保存食が 振舞われました。 昨年は、木の実が少なく カヤの実は 3粒ずつ配られました。 ブナの水と 称される うまし水は 急遽朝切ってきた モウソウ竹で作った竹椀で 飲んでいただきました。 お御堂の真ん中に切られた、一坪の大きな囲炉裏に 炭を赤々とくべ、共に食する時 昼の疲れも 何処へやら、みんな楽しく過ごして 頂くことが出来ました。 お面様に付いては、前々から 私が 願っていた事を 区長や 先輩に 昨晩 話をすると、それは 面白いから 源野君、市長さんに お願いをしてみてくれと、鈴を付けられたので、 うまし水を お注ぎする時に お願いをしました。 これは かなり 具体的に 決まりそうなので 今から わくわくしています。 その時は もちろん東山いこいの森に 宿泊された方にも 参加して 頂こうと 思っています。 言う無い地蔵にならない様 今しばらく 詳しい事は 秘密にしておきます。期待していて下さい。 実現すれば 歴史的にも 価値ある事だと 思っています。
お面様祭りの 準備、本番、片付けをして ようやく 戻って来ました。 画像をアップロードしようと しましたが 一日の容量を 超えていると いう事で 全部は 出来ませんでした。撮りためた分 何回かに分けて 掲載させて頂きますので 宜しく お願いします。 12日には、午後3時過ぎまで 雪だるまつくりの 手伝いをして、その後 勝山で 松井県会議員の報告会が あると いう事で 出かけました。 会場一杯の人で 大変でした。 松井先生は 東山いこいの森の事についても いろいろ良くして 頂いているので これからも 応援し 是非 頑張って 頂かなくてはと 思っています。松井県会議員の お兄さんは 中学の先生で 北谷中学にも おられましたし、福井大学の スキーの合宿授業が 五所が原で 行われた時には、成山教授が 宿泊されていた 我が家まで 登って来られた事も ありました。 五所が原スキー場は 残念ながら 無くなって終いましたが その分 ぜひとも 東山を 青少年の健全育成、スポーツ教育の場に活用出来る施設に して頂きたいと 願っています。12日の夜は、先輩の 鈴木さんの お宅へ 泊めてもらいました。区長や 鈴木さん、三井君と 囲炉裏で ストーブを囲みながら 12時過ぎまで 話をしていました。 此処では ブナの水と言われる ものを 酌み交わし 話が弾みました、飲めない私も 少々 頂きましたが 美味しいものでした。 夜中には、20センチの 雪が積もり、次の日は 雪だるまに積もった 雪かきから 始まりました。 続きは 明日報告させて 頂きます。
昨晩は 国民宿舎鷹巣壮で 日写連福井支部の 勉強会が あるという事で 出かけました。 越前海岸へ向かうにしたがって 雪は 少なくなって 鷹巣では 全く雪は有りませんでした。 7時から 夕食が始まり、8時過ぎに 切り上げて、後は スリランカ出身のフォトジャーナリスト。ブディカ・ウィーラシンハ氏の撮った写真をどの様にトリミングして 作品にしていくかを 朝日新聞福井支局、総支局長の安東氏に通訳して頂いて、いろいろ教えいただく事が出来ました。 ブディカさんが 身振り手振りの英語で話されているのを 直ぐに翻訳して 頂いたので まるで ブディカさんが 直接話しているかの様に 理解する事が出来。大変勉強になりました。 今後の撮影、作品つくりに 是非参考に させて頂こうと 思っています。 総支局長からも アフリカやイラクの戦争地帯での 取材のご苦労などを いろいろ教えていただきました。写真も フイルム時代、通信に使う衛星電話も 大きいもので、それも 電気の無い所では 全く役にたたない事など 死との隣り合わせでの 取材の事など お聞かせいただき、こうして 日本で 生活出来る事への 幸せを 少し理解させていただいた気がします。 頭では 分かっても 実際の所のご苦労は 行った人で無いと 理解出来ず。軽々しく 分かったと 言える立場では無いなと 思いました。今日は 福井支部の人たちは 越前海岸の撮影を するとの事でしたが 午前中は 天気が良く 荒れた日本海、雪の舞う 水仙畑の写真も 撮れそうに無いので、写真は 撮らずに帰って 来ました。これから 北谷へ 向かいます。 今晩と明日の晩は 北谷停まりと なりますので 残念ですが ブログは その間 お休みさせて頂きます。
今日は、久し振りに 師匠が 撮影に行こうと 言われるので 7じに カメラ屋の前で 待ち合わせをして 私の車に乗ってもらって 今庄まで 行って来ました。気温は マイナス3℃ぐらいになると 言っていましたが 路面の凍結もなく スムーズに行く事が出来ました。旧役場庁舎前の駐車場に車を停め、北陸線の陸橋を渡って、駅と町並みのある方に出ました。 除雪車と ダンプが沢山動いていて 狭い町並みの除雪をしていました。 古い 宿場町で そのイメージを守るために 立て替えなどにも 制限があるのか 除雪は かなり困難な様子でした。駅から宿場の街道に 向かう通りで 大きな鍋で 豆を煮ている ご夫婦がおられました。 毎年この様にして まめを煮て 味噌を作るとの事。嫁いだ 娘さんの所は 八百屋さんなんだけど 実家の 味噌が食べたいと 言うので送っていると 言って おられました。 プロパンガス代や 麹代、豆代などの事を考えれば 買ったほうが ずっと楽なんだけどと言われながらも お二人の 愛情のこもった味噌に 代わるものは 無いのではと 思います。娘さんたちも 幸せですね。 大雪で列車が停まった時には おにぎりの炊き出しや、トイレをかしてあげたり、紙おむつを買って 列車まで 持っていってあげたりと 町中の人が 援助にあたったとも 言っておられました。 宿場町今庄は それだけ あたたかい心の人が 多い町でもあると 思います。 農協の所にある おばちゃんの店で てんぷらおろしそばを 食べました。 コシアブラ、フキノトウ、など山菜もはいっていて 都会の人には 珍しいのではと 思います。つなぎは 自然薯で 今庄ならではのそばの味です。 今日は、これから 鷹巣の国民宿舎に行きます。日写連の 勉強会と 明日撮影会があつて とまりとなります。 今 福井は 風が 強く吹いていますが、雪は 降っていません。 明日の昼からは、北谷の谷に 行きます、谷のお面様祭りのむ準備です。13日は お面様祭りです。
普通の物語などと 違って一行 一句に 大切な事が 書かれて あって なかなか 前に進めず また後戻りをして 読み返しを させて頂いたりしています。 編集委員も 地元の聖丸出身の 堀太郎先生と 書かれてあります。 堀先生は、母も私も 習った事のある 先生です。 担任は して頂いた事は ありませんが、小学生の時担任の先生が 休まれると 代わりに 理科を 教えて 頂いた事があります。まじめで とても優しい先生でした。 今北谷子供の村の学校を されている方は 堀太郎先生の 子供さんに 当たる方だと お聞きしています。 五所が原は、字でしか有りませんが その小さな 聞き語りを 書こうと 思って いろいろ先人たちの書いた 資料を 読ませて頂く事で 今まで 知なかった事や うろ覚えの事が より分かる様に ならせていただけるのも ありがたいと 思います。 今日は、雪に覆われた 社地区の水田の 写真を 撮りました。 なんでもない所ですが これも 歴史的には 大変に 価値のある所です。ここは 道守の証荘といって 越前東大寺の荘園の中でも 大きく総面積は 326町あまり あったと いわれて いるところです。 五所が原の積雪15時現在288センチです。
五所が原の歴史本。と書くと 大げさに なって終いますが 聞き語り的に まとめて みようと 思いその準備を ぼちぼち して行こうと 思っています。 先ずは 昨日 頂いた 野向町長明会が発行された 高尾の息吹第1集を 拝読させて 頂きました。郷土を愛し、親、先祖を尊び、誇りに 思っておられる 様子が ひしひしと 伝わって来ました。 町として まとめて おられますので 史跡や資料も確かな物が 沢山残っておられ 素晴らしいと 思いました。 五所が原は 一つの村では無く 谷の本村からの 出作りの村に 過ぎませんから 神社、仏閣が ある訳でも、学校がある訳でも有りませんが、語り つがれて守って来たものは あるとと思いますし 自分たちでは 当たり前に 思っていた ものでも 世に 紹介すれば いろいろ 気づいて 頂けるものも あろうかと 思っています。 五所がはらの家には 古文書なども 数多く 有りましたが 残念ながら 父母は そういうものに 興味は 無かったようです。 昭和50年ごろ 私が 胃の全摘出術を 受けた後も 入退院を繰り返し 祖母と 二人で 五所が原の家で 療養をしていた頃に 仏間の 仏壇の横に置いてあった 箱の中から 何点が 持ち帰ったものが あるだけです。これらも 読み返し 資料の参考に させて 頂きたいと 思っています。 越前の国の 村々の名前を記した本には 若狭の国は 入っていませんが、今は 石川県になっている 白峰や風嵐の村の名前も明確に 読み取る事が出来ます。これは 明治新政府が出来てから境界線が引かれて 離れ離れに なっただけで たかだか100年ばかりしか 経っていないのに 今では 江戸時代より以前から そのように なっていたと 思われていて 誰も 疑っていません。それだけ 明治からの 教育、政治、経済が 山の中で ひっそりと 平和で穏やかに暮らしていた 人々をも 世間の渦の中に巻き込んで 行ったと いう事だと 思われます。雪が5メーター6メーター積もって 道路が開かなくても 倒壊する家も無く、食料も 各家々で 足りるだけ有り、灯油や、電気、ガスが無くても 生活出来た 知恵があった事を 今一度 学び直すべきではと 思います。
2時に 市長とのお話の 前に 谷集落へ 行って来ました。途中 北六呂師では 栗の木に出来た クマだなの写真なども 撮りながら 登って行きました。北谷子供の村学校の下のカーブから少し なだれも 発生していて 通りにくい箇所も ありました。谷では 集会場の屋根が 雪の重みで 陥没していました。 そのほかに お寺の 横の家が 倒壊。そのほかにも 倒壊寸前の家が一件ありました。 誰も住んでいなく 管理する人もいなく 村の人たちも そこまで手が 回らないのが 現実です。 哀れですが 仕方が無いのかも 知れません。 私の家も56の豪雪の時この様にして 誰にも 見取られる事なく 倒れたのかと 思うと 先祖に申し訳なく 思いました。 市役所では 今日は 東山いこいの森の話よりも 五所が原の 歴史について 聞き語りの様な形でもいいから 本にまとめて 見なさいと 言われました。 五所が原と 限定すれば 範囲は 狭いですから 私の知っている限りの事を まとめて 後は 痴呆が入って 終いましたが 母にも 尋ねて 形に してみたいと 思いました。 市役所の未来創造課の方々も ご指導や 援助してくださるとの事なので 少し荷は 重いですが やらせていただきたいと 思っています。38豪雪から 56豪雪で 五所が原は 村が 無くなって終いました。 その責任としても 頑張ってみようと 思います。 ジオパークの見学のハイキングコースなども 未来創造課のお世話になって なんとか やって行きたいと 思っていますし 忙しくなりそうです。
ノートパソコンの 動きが遅い上に 文字と数字の変換などで もう一つ遅くなって いたので いたのですが 今まで 我慢して 使って いました。 がそろそろ 我慢の限界で とうとう テンキーパッとを 買って 来ました。早速タイトルから テンキーで 日付を 入れてみましたが 楽です。 しかし これを 当たり前に しないで 初心を 忘れず 大切に 使って 行かなければと 思っています。 この度の大雪の件で 市長さんも 大変心配され 東山の雪の状況など 知りたいと 言われるので 2月3日と6日に 撮った写真を 持って明日 お会いさせて 頂こうと 思って います。 一時は4メートルを越える 雪が積もっていた 東山ですが 今日の 6時現在は288センチ、17時現在は 279センチにまで 減って来ています。 これは 雪が完全にそれだけ 溶けたのでは無く 嵩は減っても 圧縮された部分も 多く有るので 屋根などにかかる 重量は 単純に 10センチ減れば10センチ分 減ったと いう事には ならないので 安心する訳には 行きません。 新聞やテレビでも 今庄365スキー場あたりの積雪は 大きく報道されて いますが それより 多い 北谷地区は なんにも 報道されて いません。 それだけに 市長さんから お声をかけて 頂ける事は 有りがたく 思います。 5月のゴールデンウイークには 皆さんに来て頂いて 楽しんで 頂ける様 全部は 開けられなくても やれるだけの事は やろうと 思って います。
今日は、大変忙しい 一日でした。 友人の ダスキンサービスマスター の手伝いで 8時から午後3時まで 掃除に行って、帰ってきてから 急いで 東山いこいの森へ 向かいました。 天気が良くて 道路も 凍結していなかったので 流れは 良かったのですが 国道の駐車場に着いたのが 4時40分それから 雪道を歩いて キャンプ場に、写真を撮って 再び 駐車場に着いたのが 5時30分 6時から 勝山で お通夜が有るので それに間に合うように 急いで 山を 降りました。 式場に着いても 車を停める所が 満杯で 離れた所へ 停めに行って そこから 走って 式場へ行きました。 もう カメラを持っていく 余裕は 無かったので 写真は ありません。 そのあと 水芭蕉温泉に入って 帰って来て 今になりました。 いろいろ忙しかったですが 雪が降っていなく 車がスムーズに走れて 助かりました。 東山いこいの森は、21時現在291センチです.
今日、土曜日の朝日新聞beの4面に 福井大学〔驚異の就職力〕就職力は3年連続首位。参考情報として 福井大学は師範学校、工業専門学校などを基に創立、03年に医科大学と統合した。国立大学の法人化評価で全国7位,地方総合大学では1位。就職率は94.3%だそうです。これは 朝日新聞の福井版ではなく 全国版に記載されていたものです。朝日新聞は 福井での 発行部数は そんなに多く無いのかも知れませんが、 子供の時からの 朝日新聞のフアンとしては 頑張って 頂き 福井のいい所を 全国に発信して 頂きたいと 思っています。 五所が原にあった私が 生まれ育つた 家には 昭和30年代の 初めから 沢山の スキー客が 関西から来られ その中に 朝日新聞社が主催する ツアーもあって 二日遅れぐらいで 届く新聞に 写真入りで その時の様子が記載されて いたのを 覚えています。 ケヤキの木がある 萱葺きの家が 我が家です。 いろりを囲んでの写真は 大阪市交通局の人たちと 家族で 昭和30年1月2日に撮影したものです。 一本義を持って風呂に入っているのも 交通局の人です。色あせた写真で 大人と子供が スキーを履いて 登って行く写真は、前を行く大人の人の子供さんが〔小学5年生〕が 撮ったものです。 後ろは 私で小学2生でした。場所は、大根畑スキー場で 護摩堂山までの春山ツアーの時のものです。 ゼッケンを付けた写真は 朝日新聞社のツアーの人たちです。スキーズボンではなく 乗馬ズボンを穿いているのは 父です。 5人が 立って写っているのは、護摩堂山で バックは 白山です。9人写っているのは福井山岳会の人たちと父だと 思います。学生服を着て ストックを持っているのが 私で、ストックを持っていないのは、弟です。昭和35年3月。日本あるこう会の山本さんに 写してもらったもので 護摩堂山です。 こういう 経過があって 今の私が ある事を 思うと、祖母、父母の お客さんとの つながりを 大切に させていただかなければと つよく感じます。 東山いこいの森でしか あじわう事の出来ない キャンプ場を目指して 頑張りましょう。追伸、沖縄の谷川美知夫さんへ東山から見た〔2月3日〕大雪の谷の村の写真大きくしましたから見て下さい。お寺、正かっチャンの家は 凄い事になっています。鈴木さんや、三井君の家は 肩屋根のトタン葺きなので 屋根には 雪は有りませんが、下屋の雪を切っておかないと 危険です。
かさは一気にへり 五所が原の積雪は 319センチになりました。蒙跡さすがに、疲れが出て 今日本番の 白峰雪だるま祭りには 行けませんでした。ゴメンナサイ。 ここ二日の 天気で 明日には 3メートルをきるでしょう。 昨日出来なかった 白峰の写真の説明を 少しします。横向きの写真になって見にくいのですが おじさんが持っている スノーダンプは 白峰のオリジナルで ホームセンターに売っている ママさんダンプの三倍の雪が 入ります。しかし 普通の人では それだけの雪を 運ぶ事は 出来ません。雪国の 白峰の人だからこそ 使いこなせる物です。昔は 鉄板で 出来ていましたが、これは ステンレス製です。値段も一万円では 買えません。 バスは 寝屋川第九中学校の修学旅行生を運んできたバスです。ゼッケンをつけた四人の 女の子は その中学生たちです。個人情報が どうのこうのと 言われるので ピンボケにしてあります。もう直ぐ5時から 点灯されて 雪だるまが 幻想的に浮かびあがり 楽しい事でしょう。 来年は なんとか 行ってみたいものです。 福井の町中も だいぶ 雪は 溶けましたが 写真の様なところも まだまだ有ります。 雪国と 違って なれていない分 へたくそなのも 原因のひとつです。体力を 取り戻し、13日の谷の お面様祭りに 向けて いろいろ準備をして行かなければと 思っています。