東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

病院へのお礼と支払い。

2013年12月16日 18時37分05秒 | 日記
 遅くなりましたが、お世話になった 県立病院へ お礼と会計の支払いに行って来ました。
 主治医の先生は おられませんでしたが、
 緩和ケア病棟の先生が おられて、「お母さん、よくがんばられましたね、
 皆さんが 毎日大勢見舞いに来られたので、お母さんも一時期元気になられたのですよ。」
 と言っていただきました。
 緩和ケアのシステムも素晴らしいと 思いますが、
 そこで 働いておられる、先生や看護婦さんの意識の高さ、人間性が素晴らしいと
 つくづく思いました。
 帰りかけて、面会者と患者さんが話しをしたり、軽く飲食の出来る
 ロビーで、東山むの方角に向かって 写真を撮っていると、
 母の担当看護婦さんだった方が、急いで 駆けつけてくださり
 挨拶をして下さいました。
 まだ若い方なのに、えらいと 思いました。
 終わりよければ 全てよし。
 苦労した母でしたが、本当に良い所で 人生の最後を
 終えられた事が、感謝です。
 市役所へ行って、住民票の除票は、スムーズにして頂くことが出来ました。
 年金は、父が死亡した後いただける分も もらっていたので、
 福井年金事務所での手続きとなるそうです。
 それには、年金手帳。証書。
 住民除票。
 私の、戸籍抄本、住民票。私の住民票が勝山市にあるため、
 三親等以外の人の証明も必要との事でした。
 銀行の貯金についても、相続の手続きが大変な様です。
  私には、よく分かりませんが、手続きが複雑な程、
 それを掻い潜って 不正をする人も出てくる様に思えます。
  
 



   


       


ヤスブンへ行って、精進料理用に、天然のでは無いヤマイモとか、ラッキョウ、
 サトイモ、コンニャク、業務用の1キロ入りの粉コーヒーなど買って帰ると、
  妻が社農協スーパーへ連れて行ってと言うので
 アッシー君をしました。


    
 
  

昨年の12月14日は。

2013年12月15日 16時22分22秒 | 日記
 昨年の12月14日は、日曜日だったと思いますが
 天気も良かったので、小松の今江にある、母の姉の家を訪ねています。
 吉崎の東御坊にお参りをしてから、小松へ向かいました。
 従兄弟の近所にある、源衛門とうふ店は、北谷の杉山出身の人ですが
 飲食のコーナーもあるので、そこで、キツネうどんを戴きましたが
 トウフ料理もいろいろ付いて来て 大変美味しく、あの時は、



   
 母も 美味しいと言って全部 食べていました。
 今年は、昨日も、今日も荒れていますが、家の外で、
 姉妹と嫁たちの写真も撮れた事、
 思い出として、もっていってくれていればと 思う私です。
 
 昨日、同級生の安岡兼雄さんが、畑から抜いてくれた、
 大根は、新鮮な葉っぱを「ナーママ」にして 戴きました。
 母と 同じ味にはなりませんでしたが、
 49日までの精進料理としては、大変ありがたく、
 子供の頃のことなども 思い出せて懐かしく、嬉しく思っています。
 有難うございます。兼雄さん。


    

御所ケ原は92センチ。 

2013年12月14日 17時17分18秒 | 日記
  昨日白峰から 帰って来る時は50センチだったのが
 今日16時現在では92センチになっているそうです。
  昨年の今ごろは、2メートルありましたから、
 まだまだ、これぐらいで驚いているわけにはまいりません。
  今朝は、初7日の お勤めと言う事で、お坊様は、
 8時10分に家に来られました。
 勝山は10センチ積もっていたと 言っておられました。
 土曜日という事もあって、弟や妹も お参りに来てくれました。
  私は、シーズン中、東山から戻って来た時刻には、
 母は、寝て終っていますし、朝も5時前に家を出る時には、
 未だ起きて来ない時が 多かったので、
 今でも、ひょっこり 部屋から顔を出すのではと、
 思ってしまう時があります。
  最後の8日間、母の病室で、寝起き出来た事が、
 有り難かったと、思っています。
 本当に、東山から 帰って来るのを 待っていてくれたと
 思うと、感謝しても しきれない気持ちです。 
  今日は、同級生の安岡兼雄さんの家に お礼に行って来ました。
 彼の家にも、88歳のお母さんがおられて、以前は、
 「あさかぜリハビリーセンター」に一緒にお世話になっていました。
 彼のお母さんの方が、2年ほど早くから、通っていて、
 内の母も、「あさかぜ」に入れていただいたいて、
 クリスマス会などがあると、写真を撮らせていただいていました。
  今年の5月ぐらいに「あさかぜ」が無くなって、別の施設に移る事になり
 その頃から、体調が悪くなって、ディケァには、余り行かなくなっていました。
  今日も、彼のお母さんは、ディケァに行っていて 家にはおられませんでした。
 7月に家を新築して、お母さんの部屋も大きく、介護のベットなども入れて
 親孝行されています。
  近くに畑を借りて、大根、にんにく、ミズナなど作っていて、
 今日は、大根を分けていただいて来ました。
  有難うございます。


     








雪の白峰へ

2013年12月13日 18時27分45秒 | 日記
  勝山から、一週間毎朝、お経さんをあげに、お坊さんが来られています。
 それが、終わってから、急いで勝山へ向かい
 お通夜に来られた方の所への お礼まわりに、今日は
 北六呂師や谷にも行って、谷では













  


  
 お寺の前の総墓にも お参りをして、
  その後、白峰へ向かいました。
 雪は、どんどん多くなるし、横殴りに降りつけて
 道路か壁かの区別がつきにくいので、運転は慎重に、




  初め桑島の 上野とうふ店に行って、堅とうふとアゲを買って
 白峰に戻り、山和荘の、社長と奥さんにお逢いして、
 家に入れていただいて、1時間ほど話をして、








 お菓子屋さんの志んささんで、栃餅を買おうと すると、
 今日は、雪降りで、お客が少ない事もあってか、余り




 作ってなくて、次に 「かんこの家」に寄ってみましたが
 そこにも、欲しいだけの数は ありませんでした。
 仕方が無いので あるだけ買って、勝山へ、
 恐竜博物館へ行って、12ケ月分のスタンプを出して


      



    


        


           




    


 恐竜博士の申請をして、次ぎに「ゆめおーれ」の「エグエグ」に
 行って、美味しい、カボチャのケーキをお土産にと おもったら、
 季節限定で、今は無いとの事だったので、
 ロールケーキを2個買って来ました。
 「ゆめおーれ」や「エグエグ」さんには、東山いこいの森へ
 キャンプに来られた、ご家族の方がよく行かれるので、
 写真を撮らせて もらいました。
  ブログをみて、懐かしく思い出して いただけると、嬉しく
 思います。
  先ほどようやく、福井に帰って来ました。
 雪道での久し振りの車の長旅で 少し疲れました。








福井でも雪。

2013年12月12日 18時20分16秒 | 日記
  東京から来ていた、妹たち家族が、
 夜の雷に驚いていました。
  北陸の冬の鰤おこしの雷は、さすがに迫力があります。
 大粒のアラレが降っていて、香典のお礼の挨拶に廻っている時
 殿下の方で虹を見る事が出来ました。
  10日には、京都でも虹が見えたと、山本さんのコメントにありましたが
 豊中から来た、妹家族も京都の付近で虹を見たと言っていました。
 その妹家族は、雪に合う事も無く昨日の内に無事、豊中に帰る事が出来ました。
  今日は、東京の妹家族も帰って行きました。
 姪が、一眼レフのレンズが欲しいと 言っていたので 1本あげました。
 カメ女かと言うと、カメラ女子です。
 と言われて 終いましたが、いい写真が撮れたら是非見せてもらいたいものです。

のべ送り

2013年12月11日 21時27分48秒 | 日記
 母を無事 のべ送りする事が出来ました。
 伯母、叔母も従兄弟が車椅子で連れて来てくれ、
 母との別れをして もらう事が出来ました。
  連絡を忘れていた、一番上の伯母の娘「私にとっては従姉弟」
 からは、お叱りを受けてしまいましたが、
 葬儀に参列して頂く事が出来ました。
  東山いこいの森が縁で、知り合った方も、駆けつけて
 下さいました。
 葬儀が終わり、お棺に花を入れる時にも、
 母の顔のは、妹たちよりも、艶がよい様に思える程でした。
  痛みで苦しむ事無く、安心しての、往生だったからだと
 思いますが、緩和ケアのお陰様と 感謝しています。
  骨を骨壷に収める時、係りの方が、骨が
 とてもしっかりしているので、男の人かと思いました。
  と言われました。
 あれだけ よく働いた母なのにと 思うと、
 私など、まだまだ 働きが足りない、
 小僧にすぎません。
  骨壷を持って、谷教会の世話をして頂いている
 勝山のお寺へ お参りに行き、
 その後、東山いこいの森へも、行って来ました。
 気温は2度でミゾレが降っていましたが、
 雪は積もってはいませんでした。
 ソフトバンクは未だ 圏外です。


   





 

通夜。

2013年12月10日 13時37分07秒 | 日記
 今日は、3時から 自宅で親戚一同見守りの中、納棺をして、
 福井市聖苑に向かいます。
 6時から、お通夜です。
 そのまま、聖苑で、母との最後の夜を 親戚一同で
 すごし、11日、10時から 葬儀を 行います。
  今までは、お通夜や、葬儀の写真も撮っていましたが、
 今度ばかりは、カメラを持っていく 気持ちになれません。
 静かに、見送りたいと 思っています。






 みなさん、ゴメンナサイ。

  今、豊中から妹家族が着いて、母の、枕元に座った 妹に、「泣いたらあかんよ。」
 と 言おうとすると、先に 「自分だけ、独り占めにして、母ちゃんも、喜んでいたやろー。」と
  言われ、それまで、余り気にしていなかった。
 感状がこみ上げて来て、その場に いられなくなり、
 こうして、ブログに向かっています。
  いろいろな人たちへの、感謝の気持ちを引き出してくれた、
 一番下の妹にも感謝です。

母の死。

2013年12月09日 17時56分13秒 | 日記
 母は、12月8日午後10時26分。
 死亡が確認されました。
 妻や妹たちも、9時過ぎまでは、病室にいたのですが、
 様態が、変わらない様なので、家に帰っていきました。
 私は、母の足や手をさすりながら、
  これまでの母との 思い出など、いろいろ思い浮かべていました。
 こんなに、母と、ゆっくりとした 時間を過ごした事が
 無かっただけに、痩せた母の手足のしわを、苦労をかけて
 申しわけ無いと思いながらさすっていました。
 ベットの横には、沢山のモニターが付いているわけでは無く
 酸素の量だけが分かる、マッチ箱ぐらいのものがあるだけですが、
 妹たちが帰る9時過ぎには、96を示していた値が、88、84、90、
 96と、揺れるようになって来て、さすると、持ち直す感じでしたが
 10時を過ぎた頃、それまで、口を開けて呼吸をしていたのに、
 口を閉じて、終いました。
  ジーっと見ていたのですが、そんなに、痛みがる事もなく
 自然んな感じでしたが、顔を見ていたので、その瞬間を
 見逃す事はなく、息を引き取るのを 間近で確認することが
 出来ました。
  看護婦さんは、5分ぐらいして 来られ主治医の先生に連絡を
 入れて下さり。
 私は、弟や、妹たちを携帯で呼び出しました。
  先生が、来られて、10時26分死亡と診断してくださいました。
 緩和ケア病棟のお陰で、穏やかに、息を引き取る事が出来、
 母にとっても、幸せなことであったと思います。
 病院のスタッフの皆様にも、よくして頂いて 感謝しています。





 
 

 
 

若杉へ

2013年12月07日 14時25分02秒 | 日記
  今朝は、看護婦さんが、顔を拭いて 下さると
 目を開けて、くれました。
 妹が来て、母に話しかけると、うんうんと、うなずき、
 熱も37度1分で、呼吸も楽そうにしています。
  妹が、母をみているから、家へ帰って休んで来てと、
 言ってくれたので、若杉へ帰って来ました。
 テレビを付けると、バトミントンの山口茜ちゃんが、
 準決勝で頑張っていました。
 結果は、ストレートで 負けて終いましたが、
 解説の人が 練習相手は、勝山の男の人たちが協力してくれているので
 スピードとか、パワーには強いものが
 ありますが、広瀬選手の様な、女性特有のプレーをする人
 との試合で、多くの事を学ぶ事が出来たでしょう。
 と、言っておられましたが、試合には、負けましたが
 茜ちゃんにとっては、大切な勉強の場、これから
 さらに、大きく成長する為のコヤシになった事と思い。
 テレビに拍手をおくりました。
  茜ちゃんをみていると、パワーが一杯もらえます。
  ありがとう。


  

 

徹夜で付き添い。

2013年12月06日 08時45分49秒 | 日記
 昨日の夜8時ごろから、呼吸をする時にタンが絡んで
 大変辛そうな 呼吸になって来ました。
  慌てて看護婦さんに言いに行くと、
 少し様子をみてみましょうね、と、軽く言われて
 終いましたが、横でみている者にとっては、気がきでは 有りませんでした。
 結局朝まで一睡もせずに、ただそばにいるだけで、何にも
 してやれませんが、いました。

  市の担当者から、東山いこいの森の8月の提出書類が足りないと
  言われたので、東山へとりに来ました。
  市でコピーをして 原本は返却してもらっているので、
 その綴りを見れば、本当に始めから出してなかったのかどうか
 一目瞭然で分かります。
 返してもらった綴りには、ちゃんと入っているので、コピーを忘れたのか
 紛失したのかのどちらかだと 思われます。
 
 母は、妻や妹たちが、みていてくれるので、勝山での用事を済ませて
 夜に備えようと思っています。
  もう少し、楽に呼吸が出来ると いいのですが、、、、。
   





   


       


 

一喜一憂

2013年12月05日 13時18分41秒 | 日記
  昨日の朝は絶好調だったに、
 今朝は、目を閉じたままで おかゆ、ゴマとうふにも、口を開ける事は無く。
 何も食べなくなって 終いました。
  昨日までが、良かっただけに、ショックですが、
 これが、普通の状態だと思います。
 初めてで最後だったのか、母に、おかゆと、ゴマとうふを全部
 食べさせて 上げられた事が私にとっては、良い
 思い出となりました。
  若杉の家の 母の部屋から見える、バラと菊です。
 バラは、母が挿し木したのが、成長したものです。



    
  
 緩和ケア病棟の入り口のカウンターの飾りつけです。
  
  12階からの東山いこいの森方向の風景。
 曇っていて、何も見えませんでしたが、天気が良ければ
 見えると思います。
 

  6階からの東山いこいの森方向の風景です。

 明日は、病院から、勝山へ向かいます。
 

脱帽。

2013年12月04日 14時09分17秒 | 日記




   


    


 母の病室で、簡易ベットで初めて 寝ました。
 弟が生まれてからは、私は祖父母の部屋で寝ていたので
 母の横で寝るのは、64年振りと言う事になります。
  これも、緩和ケア病棟の個室に入れて
 戴けたお陰での我ままをさせて 戴くことが出来ました。
 入院した直ぐは、何時でも連絡がとれる様覚悟しておいて下さい。
 と言われ、緩和ケア病棟に移ってからも、付き添いのベットは
 用意されましたかと言われていました。
  大阪から、妹夫婦が見舞いに来た時も、
 小松から、母の姉が来た時も、話の出来る状態では無く、
 みんな、心配して帰って行きました。
 水も殆んど飲めない状態だったのに、痛みや辛さを和らげる
 治療が うまく合って来たのか、声も少し出る様になり
 半分ぐらいは理解出来ます。

  今朝初めて、母に、朝食のおかゆと、ゴマとうふを 食べさせてあげました。
 一生懸命、頑張って 食べようと する姿に、胸熱くなりました。
  福井にいる、弟や妹は、毎日仕事が終わった後
 病室に顔を出してくれています。
 目を覚ました時 誰かがいる様に、今は妻が行っています。
  その間私はブログを書きに家に戻って来ています。
 緩和ケアは、特殊な治療システムですが、こういう
 病棟が増えて、家族が見守りながら、最後を向かえられる
 のは、本人にとっても、幸せな事だと 思います。
  東京や大阪にいる 妹たちは、お正月に帰るから、
 頑張っていてと 言っていますが、本当にそうなってくれれば、
 どんなに 嬉しい事かと、思っています。
  市の担当課からは、8月分の提出資料が足りないと、
 今頃になって言ってくるので、又東山へとりに行かないと行けません。
  幸い、1日、2日で どうこうなる様な状態では 無いので、
 行って来ようと思っていますが、せめて 東山にいる間に済ませて
 戴きたかった。
   

 



   


病室には、平成20年度、日本写真文化協会の第55回全国写真展第一部日本の自然に、
 応募してみないかと、山岸写真館さんに選んでいただいて、
応募した、東山いこいの森の水芭蕉の池でのモリアオガエルの産卵の写真です。
 私にとって全国展でただ一つ入選した作品です。
 写真の伸光さんで焼いてもらって、ガクブチ屋さんで
 額装してもらって、病室に飾りました。
 どうぞ、東山いこいの森のパワーが届きます様に。

昭和31年の御所ケ原

2013年12月03日 12時27分13秒 | 日記
 御所ケ原に 電燈が点いたのは、昭和29年9月。
 勝山市が誕生した年です。
  囲炉裏端での集合写真は、昭和31年正月3日と裏に書かれています。
 今から58年前の写真です。
 お客さんは、大阪市交通局の人となっています。
 家族は、曾祖父母、祖母の姉、妹、父母、私、弟、妹が3人。
 3番目の妹は、30年8月生まれで、母に抱かれています。
  囲炉裏のヒアマには、行灯が二つ、ぶら下がっています。
 未だ民宿という呼ばれ方はしていませんでした。
 お客さんが 多いときには、30名ぐらい無理やり
 泊まりこみ、どうやって、寝たり、食事をしたり
 していたのか、不思議に思います。
 煮炊きは、全て囲炉裏でしていたのですから、
 祖母や母は大変だったろうと 思います。
  それでも、沢山の人々が遠く 関西の方から
 やって来てくださいました。
 
  家の前に立っている3人は、白いベレー帽をかぶったのが
若き日の 池田欣也氏、当時は、観光課の課長だったと思います。
 真ん中が、山の関係の人なら知らない人はいない、
 上杉喜寿先生、端っこが 父源野茂男です。
春山スキーの写真は、こつぶり平らから、白山を眺めている写真です。
 

 
 
  

東山から。

2013年12月02日 13時49分10秒 | 日記
 朝、大野のハローワークへ行って、特例受給失業保険認定報告書申告書を
 頂いてきました。写真の城は、越前大野城です。





         
 12.1.2.3月の4か月間の失業で 40日分の何割かの手当が頂けるとのことです。
  それだけ、頂いて冬眠という訳にも 行かないので、何処かに
  良い働き口があれば、チャレンジしたいと 思っています。
 11月30日で、失業となりましたが、
 ブログは、続けられる限り頑張ります。
 今、11月分の月報、日誌の整理をして、この後
 市役所へ届けます。
 国道にもほとんど雪は無いのに、東山いこいの森まで
 登って来ると、銀世界です。
 冬の間もここにいて、登山者の世話が出来ると、
 結構面白いのでしょうが、
  

   





       




     











     

緩和ケア病棟。

2013年12月01日 21時01分13秒 | 日記
 緩和ケア病棟に入れていだいてから、母の容態が、
 少し良くなった様に思います。
  痛み止めの薬も良くあっているのと、
 本人も生きようとする意志が出て来た様に思います。
 声は、小さいですが、何とか意味が伝わってきます。
 何にも食べられず、飲み込めなかったのに、
 昼は3分かゆと、暖かいトウフを少し妻に食べさせて
 もらっていました。
  日曜日なので、妹の息子の子供たちも、曾婆ちゃんの見舞いに
 来ると、目を開けて、見ていました。



 管から出てくる小便を見ると、赤色ですから、
 残念ながら、そう長くは無い事と思います。
 見舞いの人たちは、4時ごろに、みな帰ったので、
 その後は、母と二人きりで、病室にいました。
 時々、お茶を少し飲ませたり、足をさすったり、
 今まで、したことが無い事をしながら、
 もう少し早く、自分で歩ける時に、色々して
 上げればよかったのにと今になって 思っています。