そうなんだ。

外国語で知ったこと。

百人一首  訳  

2015-09-02 13:00:00 | 旅行
前回のブログ・東北旅行の続きです。

平泉観光の翌日は、JR東北線に乗って
宮城県の松島に向かいました。

このJR東北線に軽いカルチャーショックを受けます。
1.車両は2両編成なのに、トイレが付いている。
2.電車のドアは乗降客が自らボタンを操作して開閉する。
3.“整理券をお取り下さい” の機械が車内ドア付近にある。
4.電車の入り口は階段のような段差がある。

車窓から見る風景は、芝生に見える一面の田んぼ。
走っても走っても田んぼ。
あまりの広さに驚いて、ずっと黄緑色を眺めていました。

さて、松島に到着です。
日本三景といえば、松島・天橋立・厳島ですが
今回初めて三景のうちの一つを訪れました。
この先、天橋立と厳島を訪れて日本三景完全制覇するのが楽しみです。

海はいいです。
波の荒い海もいいですが、松島のように静かな海も落ち着きます。
奥州の旅の紀行文『奥の細道』の著者 “松尾芭蕉” も
松島を訪れました。

『松島や ああ松島や 松島や』

この句はどうやら松尾芭蕉ではなかった説が有力です。

しかし、風光明媚な松島は平安時代の歌にも詠まれています。
平安時代後期に読まれた歌で、百人一首の一句になっているのが

『見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず』

訳:見せたいものです。 《松島の》雄島(おじま)の漁師の袖でさえ
  《波で》どんなに濡れても 《私の涙で濡れた袖のように》色は変わらない

平安期の女性は、恋焦がれて流す涙を “着物の袖で拭う” と
表現します。  袖の色が変わるほど涙するなんて、大袈裟・・・、
いやいや、せつないじゃありませんか・・・。

雄島へは松島の海岸から 朱塗りの “渡月橋” という名の
徒歩専用橋が掛かっています。
東日本大震災でこの橋が流され、しばらく雄島に渡れなかったそうですが
現在は橋が修復されていたので、見学できました。

なんか、怖い・・・。
なんとなく空気が重い・・・。

曇り空の夕方ですが
少々の観光客はいますし、娘は何も感じないと言っています。
しかし、 ここは自分の “ざわつく心” に従い
娘を追い立て、早々に雄島を後にしました。

後で調べたら、この島は霊場でもあるとのことでした。
私は、こういうの感じるタイプだったのでしょうか?

この不思議な体験も含めて
短い日程ではありますが、平泉・松島の旅は
平安時代後期の人々や芭蕉が愛でた風景を
駆け足ながら、堪能することができました。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする