そうなんだ。

外国語で知ったこと。

なんば・大阪

2024-11-15 12:00:19 | 旅行

和歌山県・高野山から大阪伊丹空港へ戻るには
なんば駅からリムジンに乗ります。

道頓堀には行ったことがありませんでしたが
テレビの映像でちょくちょく目にしていました。
たとえば、道頓堀川に飛び込む人のシーンとか・・・。

めったに来ることのない大阪ですので
遅いランチも兼ねて、なんば駅から道頓堀まで散策することにしました。

メニューはたこ焼きに決めていましたが
どこで食べたらいいのやら・・・。

友人のゴンと二人で、東京では絶対に入らないようなお店に入りました。





写真を見せた大阪の友人からの返信は
「裏難波のコアな所にいったなぁ😆

「やっぱり?」と、歩いていた通りも含めて、ドキドキしました。
でも、たこ焼きは美味しかったです。

道頓堀の商店街に出ると、人・人・人でした。
人の波をくぐり抜けながら、店の大きな看板に釘付けになりました。

「凄すぎる!!!」

かに道楽



餃子



串揚げ屋さん



串カツと回転ずし



ラーメン店



「あっけにとられる」とは、このことでしょう。
友人・ゴンは、私の反応が一番面白かったと言ってましたが・・・。

つい先ほどまで滞在した高野山での、しっとりと落ち着いた心持ちは
一気に吹き飛んで、興奮状態になりました。

なんばを含めて、
今回の高野山の旅は心に残る良い旅になりました!

4回に渡る旅のレポートに、お付き合いありがとうございました(^^)/




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高野山③ 金剛峰寺

2024-11-09 17:28:41 | 旅行

平安時代初期に空海が開いた「高野山」。

1200年の間には、
各時代の権力者から名もない民まで、多くの人が詣でたり寄進したりしています。

高野山に関わった歴史上の人物の中でも
西行と平清盛に私が注目したのは、旅行前に読んだ小説の影響です。



この二人は今で言うところの「皇宮警察」仲間でした。
出家した西行は、優秀な「勧進僧」(寄付を集める僧)として高野山に貢献しました。

高野山・壇上伽藍内には、西行が暮らしていた「三昧堂(ざんまいどう)」と西行桜が残っています。

西行といえば
「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
桜のイメージです。


西行の友人の権力者・平清盛(1118年生まれ)といえば、厳島神社が思い浮かびます。
清盛が高野山・奥の院を訪れた際、白髪の老人が現れて
「厳島神社を修理してみなさい。完了したのちは、官位が天下に並ぶ者がなくなるに違いない 」
と言ったそうです。
この老人がどうやら弘法大師・空海(744年生まれ)だったようだ。との逸話が残っています。

このことがきっかけとなり、清盛が奉納したのが「血曼荼羅」です。
金堂の中、右に胎蔵界曼荼羅、左に金剛界曼荼羅が掛けられていました。

想像していたより大きくて驚きました(4.3m x 4m)。
撮影は禁止されていますので、血曼荼羅の御朱印帳をご覧ください。


左側の胎蔵界曼荼羅の中央をご覧ください。
大日如来の宝冠は平清盛が自身の頭から流した血で描かれているそうです。
これにより「血曼荼羅」と呼ばれます。

歴史の場面が繋がり、面白いです。

さて
撮影可能だった場所を駆け足で紹介させて頂きます。



「六角経蔵(ろっかくきょうぞう)」です。
把手を持って一周りすれば一切経を一通り読経した功徳が得られます。
撮影用にポーズを取りながら、周りました。



高野山の写真でよく見られる「根本大塔(こんぽんだいとう)」です。
中の立体曼荼羅をお見逃しなく。


本来ならば、紅葉がキレイと評判の蛇腹道(じゃばらみち)。
今秋は紅葉が遅れていました。

では、金剛峰寺です。

金剛峰寺とえば、「蟠龍庭 (ばんりゅうてい)」です。
白砂で雲海を。花崗岩で龍を表現しています。
雌雄一対の龍が奥殿を守っています。



白砂につけられた筋は、どんな風にお手入れされているんでしょうね。


他にもたくさん写真がありますが、この辺りで終わりとさせて頂きます。
皆様の高野山参拝のお役に立てれば、うれしいです。





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高野山②・奥の院

2024-11-02 13:29:21 | 旅行


前回に続き、友人ゴンと旅した「高野山レポート」第2弾です。

高野山を訪れる人が必ずお参りするのは、弘法大師空海の御廟がある「奥の院」だそうです。



一の橋から歩きました。

他の寺社仏閣の御神木以上の太さの杉が空を覆い隠すように連なっています。



その杉林の中にたくさんのお墓や供養塔。
戦国武将のお墓や




大企業の供養塔。


浄土宗・法然上人や浄土真宗・親鸞聖人など真言宗以外の僧侶のお墓もあります。


木の根元には、こんな可愛らしいお地蔵さんも。


年季の入って苔むしたお墓は少々不気味でした。
ようやく、その風景に慣れたとはいえ
「姿見の井戸」をのぞき込むのは、勇気が必要でした。
自分の姿が映らなければ、三年以内に死ぬ。との言い伝えがあるのですから。



ゴンの顔も私の顔も映ったので、三年間は生きていられるようです。

ラッキーだったのは
この日は、一年に一度の諡号奉讃会(しごうほうさんえ)で
奥の院の「燈籠堂」に集まり法要を行っていた僧侶の方々を見れたことです。


若い僧たちも、声を揃えて真言を唱えていました。


お茶処で、歩き疲れた足を少し休めて無料のお茶を頂きました。



奥の部屋のお釜にお茶が入っています。


奥の院散策では、非日常的な空間を存分に味わうことができました。


今秋はいつまでも暑かったので、高野山でも紅葉が遅れているようです。
それでも、色づき始めの美しい景色を見ることができて良かったです。




達筆過ぎて読めない「奥の院」の御朱印二つで、奥の院レポートを締めくくらせて頂きます(^^)/。








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