~文章上達のカギは、とにかく 『書くこと』 である~
文章講座及びテクニック本で必ず授かるアドバイスです。
そうでしょうけれど
文章をひたすら書き続けているうちに、おざなりの文章に
なってしまわないのでしょうか?
おざなり・・・。 あれっ? なおざり?
どちらの言い方でしたっけ・・・。
両者とも“いい加減”という意味では共通でした。
その“いい加減さ”に根本的な違いがあります。
おざなり・・・テキトーに何かをするいい加減さ
なおざり・・・何もしない・放置するいい加減さ
いい加減に書いた文章は “おざなりの文章” で、その文章を
書きっ放しにしている状態を
“おざなりの文章をなおざりにしている”
と表現するのでしょう。
“なおざり” の元は “なほざり” で古語辞典に載っている
古い日本語です。
953年頃には完成したと言われている 『後撰和歌集』
の句のひとつが紹介されていました。
なほざりに 秋の山辺を 越え来れば 織らぬ錦を 着ぬ人ぞなき
訳:注意を払うことなく秋の山辺を越えて来たので、織らない錦を
着ていない人のいないことよ
なんのこっちゃ・・・という方のために
“注意を払うことなく” というのは、落ち葉が肩に舞落ちたり
服に付いたりするのをそのままにして(放置して)山を越えて
きたのでしょう。 紅葉を羽織に例えた織り物の衣類ではない
“織ってない錦” を着ていない人はいない。
“みんな葉っぱの服を着ているね” という歌です。
辺り一面の鮮やかな色彩が目に浮かびます。
天皇の命にて編纂された勅撰和歌集に載っただけあって
美しく表現されている和歌です。
1300年鎌倉時代末期の吉田兼好 『徒然草』 より。
よき人は ひとえに好けるさまにも見えず 興ずるさまもなほざりなり
訳:教養ある人は、そればかり好んでいるという様子も見せず
楽しんでいる姿もあっさりしている。
“なほざり” は “あっさりしている” と訳されていますが
この “あっさり” は “楽しんでいる心を表現しない・なにもしないで
放置している” というところから来るのでしょう。
古語としての使われ方を知ったことで、味わい深い言葉に聞こえてきました。
この“なおざり” という単語・・・
・・・おざなりには使えません。
文章講座及びテクニック本で必ず授かるアドバイスです。
そうでしょうけれど
文章をひたすら書き続けているうちに、おざなりの文章に
なってしまわないのでしょうか?
おざなり・・・。 あれっ? なおざり?
どちらの言い方でしたっけ・・・。
両者とも“いい加減”という意味では共通でした。
その“いい加減さ”に根本的な違いがあります。
おざなり・・・テキトーに何かをするいい加減さ
なおざり・・・何もしない・放置するいい加減さ
いい加減に書いた文章は “おざなりの文章” で、その文章を
書きっ放しにしている状態を
“おざなりの文章をなおざりにしている”
と表現するのでしょう。
“なおざり” の元は “なほざり” で古語辞典に載っている
古い日本語です。
953年頃には完成したと言われている 『後撰和歌集』
の句のひとつが紹介されていました。
なほざりに 秋の山辺を 越え来れば 織らぬ錦を 着ぬ人ぞなき
訳:注意を払うことなく秋の山辺を越えて来たので、織らない錦を
着ていない人のいないことよ
なんのこっちゃ・・・という方のために
“注意を払うことなく” というのは、落ち葉が肩に舞落ちたり
服に付いたりするのをそのままにして(放置して)山を越えて
きたのでしょう。 紅葉を羽織に例えた織り物の衣類ではない
“織ってない錦” を着ていない人はいない。
“みんな葉っぱの服を着ているね” という歌です。
辺り一面の鮮やかな色彩が目に浮かびます。
天皇の命にて編纂された勅撰和歌集に載っただけあって
美しく表現されている和歌です。
1300年鎌倉時代末期の吉田兼好 『徒然草』 より。
よき人は ひとえに好けるさまにも見えず 興ずるさまもなほざりなり
訳:教養ある人は、そればかり好んでいるという様子も見せず
楽しんでいる姿もあっさりしている。
“なほざり” は “あっさりしている” と訳されていますが
この “あっさり” は “楽しんでいる心を表現しない・なにもしないで
放置している” というところから来るのでしょう。
古語としての使われ方を知ったことで、味わい深い言葉に聞こえてきました。
この“なおざり” という単語・・・
・・・おざなりには使えません。