二泊三日で京都に行ってきました。
第一の観光目的は新選組ですので
自称歴女の私は、旅のお供にプチ歴女の娘を選びました。
結成された頃の新選組が過ごしていた壬生地区を回ります。
まずは、『壬生寺』や屯所として寝泊まりしていた『八木邸』と『前川邸』です。
八木邸の見学では、“芹沢鴨や平山五郎が寝込みを襲われて惨殺された”
まさにその部屋に座って、案内人の説明を聞きました。
そして同じ間の仏壇に飾られた沢山の花は、9月16日に芹沢鴨の法要が行われた時のものでした。
芹沢鴨の子孫の名で供えられた花もあります。
逃げる芹沢鴨が躓いてそれごとひっくり返った机や、鴨居に残る刀傷。
歴史のある京都にすれば、たった150年前のことのようです。
それは、
八木邸だけに限らず、その後見学に向かった揚屋『角谷(すみや)』もそうでした。
揚屋(あげや)というのは、今でいう宴会場です。
新選組はもちろん、当時の人々が集まって飲んで食事して宴会した場所です。
『角谷』には、西郷隆盛が行水に使った“木のたらい”までありました。
この角谷での説明で印象に残ったのは
「江戸の吉原と京都の島原は、まったく違う」
吉原は『遊郭』で、歌も舞も宴会もない歓楽のみの町であるのに対し
島原は歌舞音曲を伴う遊宴の町であった。と強調していました。
宿泊は出来ず、どんなに酔っていても籠を呼んで客は帰したそうです。
浅田次郎が書いた新選組三部作のうち、『輪違屋 糸里』のタイトルにもなった
由緒ある置屋の『輪違屋(わちがいや)』の前で写真を撮りました。
現在もお茶屋業として営業しているそうです。
今回も歴史を巡る私たちの足となってくれたのが、
レンタサイクルです。
大通り裏通り、走り抜けました。
今回、レンタサイクル店のパンフレットでポタリングという言葉を知りました。
実はこのポタリングは和製英語だそうです。
「ポタリング」・・・目的地を決めずに気ままに自転車を乗り回すこと
英語の
「potter(putter) around」(ポター アラウンド)・・・ぶらつく・ゆっくり行く
から、作られたようです。
今回は目的地が決まっていましたが、それでも自転車で回っている時に
道々で様々な“跡”を見つけました。
京都市内のポタリングは、沢山の発見があってきっと面白いことでしょう。
上記『壬生寺』クリックで御朱印がご覧いただけます。 下記の写真は輪違屋。
第一の観光目的は新選組ですので
自称歴女の私は、旅のお供にプチ歴女の娘を選びました。
結成された頃の新選組が過ごしていた壬生地区を回ります。
まずは、『壬生寺』や屯所として寝泊まりしていた『八木邸』と『前川邸』です。
八木邸の見学では、“芹沢鴨や平山五郎が寝込みを襲われて惨殺された”
まさにその部屋に座って、案内人の説明を聞きました。
そして同じ間の仏壇に飾られた沢山の花は、9月16日に芹沢鴨の法要が行われた時のものでした。
芹沢鴨の子孫の名で供えられた花もあります。
逃げる芹沢鴨が躓いてそれごとひっくり返った机や、鴨居に残る刀傷。
歴史のある京都にすれば、たった150年前のことのようです。
それは、
八木邸だけに限らず、その後見学に向かった揚屋『角谷(すみや)』もそうでした。
揚屋(あげや)というのは、今でいう宴会場です。
新選組はもちろん、当時の人々が集まって飲んで食事して宴会した場所です。
『角谷』には、西郷隆盛が行水に使った“木のたらい”までありました。
この角谷での説明で印象に残ったのは
「江戸の吉原と京都の島原は、まったく違う」
吉原は『遊郭』で、歌も舞も宴会もない歓楽のみの町であるのに対し
島原は歌舞音曲を伴う遊宴の町であった。と強調していました。
宿泊は出来ず、どんなに酔っていても籠を呼んで客は帰したそうです。
浅田次郎が書いた新選組三部作のうち、『輪違屋 糸里』のタイトルにもなった
由緒ある置屋の『輪違屋(わちがいや)』の前で写真を撮りました。
現在もお茶屋業として営業しているそうです。
今回も歴史を巡る私たちの足となってくれたのが、
レンタサイクルです。
大通り裏通り、走り抜けました。
今回、レンタサイクル店のパンフレットでポタリングという言葉を知りました。
実はこのポタリングは和製英語だそうです。
「ポタリング」・・・目的地を決めずに気ままに自転車を乗り回すこと
英語の
「potter(putter) around」(ポター アラウンド)・・・ぶらつく・ゆっくり行く
から、作られたようです。
今回は目的地が決まっていましたが、それでも自転車で回っている時に
道々で様々な“跡”を見つけました。
京都市内のポタリングは、沢山の発見があってきっと面白いことでしょう。
上記『壬生寺』クリックで御朱印がご覧いただけます。 下記の写真は輪違屋。